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2019年6月30日日曜日

心身の死について


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  心身の死は、単に分離という幻想が終わることだ。
  無条件の愛への目覚めは即時だ。見かけの上で起こったことには一切関係なく、
 私たちは自分の本質に包まれている。

  心身が落ちるとき、そこには準備や浄化といった中間プロセスはない。
 そのようなものが、どうしたらありえるだろうか。誰が存在していたのだろう?
 個人の「死後」や生まれ変わりという観念のすべては、心の働きがその継続性という
 幻想を維持しようとしているにすぎない。

  寓話は終わりだ。神の小説はすでに書かれており、心の働きがどのように
 判断しようとも、ほんのわずかでも違っていた可能性はない。

  風景は消滅し、登場人物たちは舞台を去った、、、、。
 彼らの見かけ上の存在は、演じられる夢とともに始まって終わる。

  そしてそれでも、何も起こってはいない。
 というのは、私たちはすでに海であり、波であり、闇と光であり、無であり
 すべてだからだ。

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(トニーパーソンズ著 オープンシークレットより引用)


こんにちは(^^)
やっと梅雨っぽくなってきた!

トニーパーソンズの本は、一年くらいまえに友達に借りて
返すまえになんとか読み終わろうと1年後に読み終わりました 笑
良い本だと思います。
ただもう、ここでノンデュアリティについて興味が起きてないだけで^^;


こちらは一ヶ月以上、体調悪くなったりちょっと良くなったりで投薬中~(漢方)
この季節、いつも体調いまいち。
ノンデュアリティの現実では、病気のときどうなの?っていうと、
普通に、具合が悪い 笑!

今まさに体調が悪いときに書いておこうかと思って。
何度も書いてるけど、見かけ上、すごい健康になる!不老不死!
の仙人になるわけではないです~(^^;
ラマナマハルシは癌だったしね。

すごく単純で子供のような反応が起こっています。
すっごく不調のときは、もう嫌、、、生きることって苦痛!! 
とか言って不機嫌に八つ当たりとかします 笑
そしてちょっと気分が良くなると、体調悪かったことを忘れて、げらげら笑ってる。

「この体は私のものではない。この痛みは私のものではない。。。」
みたいな、分析は起きず、ただ肉体の不調だけがそこに起きてるって感じですね。



ネイサン・ギルというノンデュアリティのスピーカーが、
自殺したという話を友達から少しまえに聞きました。(自殺したのはけっこう前)

彼のことは本も読んでないし、全く知らないけど
「なんで人生が楽になるのに死を選ぶの?」
みたいなブログ記事を見ました。

これも何度も書いてるけど、決して「彼の」選択ではないし、
人生が楽になる、というのは単なるひとつの副産物に過ぎないので、
ここでは重要なことではない。

世界も誰もなくなった友人(すごい表現w)が言ってたけど、
「死」対する恐怖がなくなった、と言っていました。
「死」に対する恐怖は、どうやら「個人」特有らしい。
(ここで表現している「シフト」は、「次元上昇」とかそういったこととは無関係)

私はその恐怖があったのか、ちょっと記憶がなくて(^^;

ともかく、ここでは「生」と「死」に違いがない。
だから自殺も、ただ起きたことのひとつに過ぎないというか、、、
生きてる方が素晴らしい!とか、自殺は悪い!という価値付けがないです。

私も不治の病ですごく辛かったら、たぶん肉体の死を選ぶかなーと思います。
(この見かけ上、選んでることも起きてることのひとつね)

というわけで、
先日は外国人も安楽死できる国をGoogle検索してみました。

こういう死の話題をしたりとか安楽死について検索してるけど、
明らかに毎日楽しんでるし、よく大笑いしてる。


すべてに価値がないことが、
私以外の場所で常に明らかで、起きてることが疑いなく完全です。



うーん、なんかどんどん面白く書けなくなってきてる^^;
けっこう頭の中が空白で、、、
誰かにこれを伝えたい!とかいう思いも湧いてこないからかな?
だって伝える相手もいなくなっちゃったんだもーん

いつでも、ここでは静かです(^^)



2019年5月23日木曜日

超現実



わわわ~!春ですね。というか初夏ですね。
ものすごーくご無沙汰してしまいました。
こちらは相変わらず、毎日平和です。

毎日ばかになったみたいに、考えつづけるってことができないし
悩みっていう悩みもなく、日々をままおかしく過ごしています。 
だからまあ、書くことがなかったんだろうな。
あとパソコンのキーボードが一部バカになっておりタイプに時間がかかるから、
またしばらく書かないかもしれない 笑

相変わらず誰もいません~
平和でとても静かな本質だけが常に明らかです(^.^)
で、これってどんどん深くなる一方。

いや、どっちかというと、浅くなる一方の方が正確かな。。
深い海の底では太陽の光が届かないけれど、水面に近く浅い方が
太陽の光に照らされてすべてが明らかになる。
そんな感じ。

今年の冬は日本で普通に暮らしててよかった。
前なら「つまんない!インド行く!」ていうような質素な暮らしぶりなのに、
そういうの浮かんでこず、なんだか楽しくしていた。
このつまらない暮らしが、なぜか楽しいから(個人がイメージする一時的な楽しさとは違う。)
誰もいないことがよりいっそう明らかになったと言いますか。。。
この暮らしっていうのが、本来「私」のものじゃないですしね。

ストレスを溜め込むことがないからか、ストレス食いしなくて、冬太りもほぼなし(^^)
欲や快、不快、好きや嫌いは普通に沸き起こってくるけど、
それらが「私」のものではない。

それだけのことなのに、もうぜんぶが明らかで、軽い。エネルギーがとかく軽い。

この普通な日本での生活が、このエネルギーの軽さ、シンプルさを加速させたような。。

ごく当たり前に、
税金の高さに、おそらく将来年金がほぼ貰えないであろうことに、
物価の上昇に、こんな世の中に子供なんて生めっか~!なことに、
歯医者のミスに、心ない一言に、荒々しい運転に、
怒って文句をぶーたら言うこと、心配してるように見える発言等も起こってるんだけども、
(最近だと、池袋暴走事件の上級国民様が逮捕されないことに怒り、被害者を思って胸を痛めておる。)
平穏しかなく、個人に起こる「深刻さ」というものは、やって来ることがない。

忘れる早さ、光のごとし。
(脳の働きで記憶はその時々で起こるから、表面的に覚えてるように見えることもある)

このシンプルなこれさえ明らかなら
表面的なことは正直、問題にならないというか、なんかそんな感じかな。

表面的には、
とても現実的で普通の話しかしなくなったかも。
むしろ、スピリチュアルな話にシラケるように。興味が起こらなくなった。

スピリチュアルな話の多くにも、ジャッジが絡んでいるような。。
目に見えるところを大事にすることも、目に見えないところを大事にすることも同じでしかないのに、
物質社会を叩く発言が多くないかな。

お金に関する考えで頭がいっぱいになることも、
いつも聖なる大いなる存在に祈りを捧げ清らかな気持ちで心がいっぱいなことも、
どっちも同じ。
なぜなら何を考え、どう行動するかという選択肢がないから。

ここで起こっている、いまこの手がタイプしていることは、
スピリチュアルなことでもなんでもなく、物質社会に物申す!ということでもなく、
スピリチュアルも物質社会もすべてが無価値で無意味でしかない、ということ。

ぜんぶ一緒でしかない。


世界で起こっていること、表面的に起こることは矛盾だらけで
納得いかないことが多いでしょ?
だから何でも有(^^)
どれも正すところがなく、同じに無価値で同じに無意味で、
ただ完全。

「個人」というエネルギーはジャッジすること=何かに意味付けや価値付け、優劣をつけうこと、
とセットみたい。
個人が消えたら、ぜんぶ無価値=優劣なくなりました。

「私」が大好きな美しい表現をするなら、ぜんぶが愛。

「私」が聞きたくない言葉を並べるなら、
泥棒も、不倫の恋も、悪意ある悪口も、困っている人を助けることも、
世界平和に祈りを捧げることも、 ぜんぶがその愛。

そういった「愛」について、ここでは書いています。

そして、
「そっか、何でもありなら好きに生きていいんだ!」

ということでもなく、
その選択肢がないことについて書いています。


「そっか何でも有なら、じゃあ流れに身を任せればいいんだ!」

ということでもなく、
流れに身を任せる「私」がいないこと、つまり「流れ」しか存在していない、
ということを書いています。


え?頭おかしくなりそう?
わかるわかる(^^;
頭での理解を超えたことを無理矢理、脳で理解する言葉で説明しようとしてるから
それもソノハズ。

しかし何故かわからんままでもこの手の話、エネルギーに触れていると
自分ではないところでの理解が起こる。


ところで、平和に日々は過ぎているけど、
ちょいちょい体調くずして、駅のトイレで吐いたりしてました、冬(^^;
電車通勤、きついですな~ 
駅のトイレで具合悪くなったりしたら、前なら惨めで悲しくなってたけど、
からっと、あーすっきりしたー!って感じ(^^)

ですんで、この平和は、表面的に起きてることと何ら関係はないこと。


ではまた☆