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2010年9月16日木曜日

ニケタンHW⑤

2006, Paris

順番はめちゃくちゃなので各自確認してください。(かぶってたらすいません。記憶あやふや)
写真も何の脈絡もなく4年前のパリ。
凱旋門の近所でパワーヨガ☆  聞こえが良いので言ってみましたー
 

ヨガを始めて半年ほど経ってから、ひとりヨーロッパへと旅に出ました。 
理由は覚えてないけど強烈に行きたかったみたい、当時 笑
  
まだ始めたばかり、変化が始まったばかり、どうしてもヨガがしたくってしたくって(ポーズをすることへの激しい執着でした)探して辿り着いた、自宅でパワーヨガを教えていらっしゃる先生と生徒さんと。
写真じゃわかりにくいけれど、顔の吹き出物マックスで、このとき知り合った人に会うと、ぶつぶつなくなったねーって言われます。まだ歯列矯正もしてないし雰囲気違うかなぁ。 
・・・ふと、「いとうあさこ」さんに似てないですか?! 笑!!
   
  
おっと、ニケタンの宿題にうつります ↓
一つ目のヒツジライオンの話は、スワミヴィヴェーカナンダの著書の中に書かれているたとえ話。
一匹のライオンがヒツジの群れの中にいるとき、メーメーと鳴きライオンに襲われたときも逃げ惑っていた。あるとき別のライオンの助言で、自分の姿を池だったか?何かで確認して、本当の自分を知ってからは百獣の王らしく生きていった、という話だったはず。
難しいですよね、この読解・・・未だにちょっと・・・ ごにょごにょ・・
 
 
1)『ヒツジ・ライオン』に教えられること

 私たちは行動をする前は、自分はここまでと自分自身で決めつけているときがある。しかし実際に行動してみると、そうではなく思っている以上に力を発揮できることがある。自分のことを自分自身できちんと理解してあげると、様々な可能性が出てくるという教えがこの話にある。
 
 私はヨガを教える前、自分は全然ダメだダメだ、と他の先生と比べて自信がないままに数件のスタジオの面接を受け不採用だった。しかし、現在ご縁があってteachingの場をいただいているスタジオのテストは、実際の生徒さんを前にしての模擬レッスンだった。そのことをその場で知ったときは卒倒しそうだったが、覚悟を決めてこれまで自分が練習で感じてきたこと、良いと思ったことをありのままに伝えたところ、先生、そして生徒さんからも想像以上に良い反応がかえってきた。行動を起こす前は、自分はできないと線を引いていたが、現場でやってみて案外、練習してきたことがすんなりと言葉や行動に出るのだと自分自身を知り、ありのままの自分を信じることができる体験だった。
 
 
2)幸福の定義について
①内心の状態が良い集中状態にあり、心の中に静けさがあるとき
 例:読書や映画鑑賞しているとき
②ゆっくりした心理作用のとき
 例:mindの働きが白い雲のゆっくりした動き
③内心の無心さ/静けさ
 例:作用の対象物がなく、mindが静けさそのものになった状態
 
自分自身の幸福感の変遷withヨーガ
 
 ちょうどヨガと出会った頃の私の幸福追求の対象は外のもの、物欲であったり他者から見て幸せにうつっているかどうかが重要だった。身につけるものは、周りから可愛いと言われ、そう言われそうなものを探して買い物に時間を費やすことが多かった。そして自分を幸せにしてくれそうな異性、愛して欲しいという依存心で付き合っていたように思う。食べる物も、本当に体が喜ぶものか、など気にせず外食を続け、痩せているためにサプリメントを摂取していた。しかし友人からいくら褒められても、そこに落ち着きや安心感はなく、常になにかを求めていた。


 ヨガの考え方は、当時の私には変わった価値観だった。しかし何かに導かれるように学び始め、やってみるとしっくりときた。ふわふわと地に足のつかない感覚やかぁーっと頭に血が上り足元がおぼつかない感覚は、いつしかなくなり「所有したい」や「他者にどう思われているか」という考えが少しずつ減った。
 
 アーサナや呼吸法、食生活を日常に取り入れ、心身のバランスが取れているのかと常に自分自身に問い自分を観察するようになってから、心身のバランスが取れた状態が何より幸せだと感じるようになった。特にシャバアサナのときの幸福感を味わってから、感情も感覚もすべてを所有しない時間は、心地よさという意識だけがそこにあり、いつもあの感覚でいたいと思うようになった。
 
 このような経験を繰り返し、日々実感しながら、ヨガ哲学の定義する幸福感と自分の幸福の価値観が重なってきているので、日々実践し環境を整え、それが常になるのを待っている。
 
 
3)ラウジング・エクササイズが心身症の患者さんに有効な治療法になる理由
 体の意識化をしながら行うことによって、心身ともに奮起させ強化することができる。眠っている筋肉や血液の流れなどを、力強く体を動かすことによって活発にさせ、体をよりしなやかに柔軟にさせてくれる。体験し自分のエネルギーを実感することを通して、内側から自信がみなぎってくる。変化してゆく体、そして心の動きを常に意識させておくことが大切。


 
 
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アラサーなう、アサクラミナミです☆とか言ってみたり。
 
 

2010年8月28日土曜日

ニケタンTTC④

 
このログを見つけた同期から、答えが決まってない宿題やから調べようという考えも浮かばなかった、と。
まさしくそうなんですよねぇ。
あくまで自分の経験でしか書けないし、わからないことをわかったふりをしても意味がない。
 
しかーし調べてしまった私は、何でもググっちゃえ~♪(google)世代なのでございます 笑
比較的「 ニケタン 」キーワードで検索してここにきている方がいらっしゃるので、このラベル、続けます。
 
 

1) 幸せの概念について
 西洋医学で考えられる幸せの概念は、病気を取り除き病気の原因を排除することに重きを置いている。
しかしヨーガ療法で考えられている健康の概念は、WHOの言うところの宗教的健康を重視する。
「 スピリッチュアルに健やかである 」ということは「 自分が如何にして、何故に今此処に存在しているのかという自己の出自に対して、しっかりとした自己認識を得ていること 」と古事記の記述にもあるように、自分自身の置かれた状況にOKを出し自己存在を肯定できていることが、宗教的健やかさといえる。
 
自分の経験の中における各次元の健やかさ分析
 社会人になってしばらくして、過呼吸に陥り倒れることがしばしばあった。そうなる前には、もっと気持ちの面で安心感を感じていたように思う。近くに家族が住んでいて、付き合いの長い友人もたくさんおり、社会的健やかさを感じていたし、疲労で立ち上がれなかったり無気力になったりはなく肉体的にも気になるところはなく自信があった。
 
 ただし、実は急激に強いストレスを感じ同様に過呼吸で倒れた経験は学生時代にもあったので、大学進学とともに一人暮らしを始めたころから、精神的健やかさは少しずつ感じられなくなっていたのかもしれない。
 家と学校という狭いテリトリーの中で、両親に導かれ教師に導かれ生活していたときは切羽詰る精神的不安や自己存在について疑うことはなかった。しかし一人の時間が増え、また自分で選択することが増え、すべてが自己責任であり、挫折する中で、自己存在を否定したこともあり、宗教的な健やかさが少しずつ脅かされるようになったように感じる。
ヨガとともに今はそのようなことをネガティブに考えることは減ったと思う。
 
 
2) ヨーガ療法で考えられている病気の発生原因
 発病原因であるストレスは、それをストレスと判断する者の心を変えることで悪いストレスでなくすることができる。
人は心でもっているものを外に見る。
このため心の働かせ方、心の向きを変えてあげることによってストレスがストレスでなくなる。
 
 このストレスと認知する心の仕組みは人間五蔵説でみることができる。
①食物鞘、②生気鞘、③意思鞘、④理智鞘、⑤歓喜鞘とタイッティリーヤ・ウパニシャッドでは、五蔵からなる人間存在を系統的に解説している。
 
 中でも理智鞘で、病気が引き起こされることが多い。この理智鞘の性質、判断や決定をする働きによって過去や未来をわずらったり、カーマ(どん欲)、クローダ(怒り)、ローバ(欲深)、マーダ(わがまま)やマートゥサルヤ(嫉妬)など愛着と憎悪の感情が生じ蠢き知らぬ間に心身症を引き起こしていることがある。
 
 私自身の場合、よくあるのが、他人を羨む=嫉妬という理智鞘の働きによりミスを犯す。
例えば自分の憧れている仕事についていて、賞賛され周囲との関係もとても良好に見える人を羨ましいと思う。そこから悔しい、という感情が生まれ、自分なんて何もなくてなんて嫌な奴だろうと、自己否定が始まり自己嫌悪に陥る。そうして、もうどうでもいいや、と投げやりになり暴飲暴食や不摂生な生活をし、大事な場面で力を発揮できず撃沈したことが何度かある。冷静になると、その人の幸せ=自分の幸せであるわけではないのに、まんまと心の作用に振り回されたのだ。
 
 
3) スークマ・ヴィヤヤーマを行わせる際に、呼吸と体の動きを連動させることがなぜ心身症患者の健康促進に役立つか。
 この運動が、体の各関節を呼吸と連動させてゆっくりと動かし、心身の調和を造り出すことを目的にしており、関節をはじめ、四肢の働きの悪さもいやし、更には人体の生気鞘や意思鞘にまで働きかけて、それらの働きを活性化させてくれるため。
 ゆっくりと体を動かすので、それに連れて脳の働きもゆっくりとしたものになり、更には心身の働きがリラックスし、その働きを意識化しやすくなることが期待できる。この技法は肉体や生気次元の体に良い影響を与えることができ、各種内臓の不調をいやし、その働きを活性化させてくれる。
 
 
 
 
  

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シヴァナンダの宿題も載せてみようかと思ったけれど量が膨大な上データが手書きなので書けずにいる・・・
  

2010年8月4日水曜日

ニケタンTTC HW⑨

「ヨガ ニケタン」 という検索ワードでこちらに辿りつく方が
けっこういるみたいなので、記録を発見できた宿題、アップしときます。
ヨーガのTTCでまで、かっこいいこと、社交辞令的に用意したこと言ってどうすんのってことで
けっこうホンネで色々書いちゃってました。 
特に最後は辛口かもw 
本音言ったくらいで修了できないなら、そんなヨガコースの資格いらんわって思ってるしね。
  
↓ 参考にされたい方はどうぞ~
 
1)この度学んだ「ヨーガによる全人格的教育法」を基に、
あなたが自分の立場で身近な若者たちや社会の人たちに貢献できる具体的な方法。
28歳の私自身も若者に含まれるのでしょうか・・・
青少年のとき非行に走らなくとも、長年蓄積してきた未消化なものが大人になっても解消できず、犯罪や日常で自分や誰かを傷つける、という形で現れている人が多いように感じている。
ヨーガを行じながら、そのような社会の中に身を置き生活する中で、今の自分にできることを短い間だが考えてきた。今、自分にできること、それは自分を良い人間にすること、
他人にとって良い環境となること、そして幸せを感じていること、ではないかと思うようになった。

私も誰かにとっての環境であり、良い自分であるよう努力し近づいていければ、小さな存在でも少しずつその波は広がっていくと思う。まずは自分で自分を幸せにできなければ、いくら口でどうこう言っても人々は何も感じないだろうし理解できないと思うからだ。
実行してない相手には説得力がない。

まずは自分をある程度まで成長させ、それからチャンスが与えられれば若者たちに向けて形あるアプローチを社会の中でしていければと思う。

 2)4大ヨーガの統一理論の解説と、私がヨーガとヨーガ療法を学ぶ動機について。
ヨーガを学び実践するのは、自分の幸福のためである。
自分が幸福であってこそ他人を愛し、与えることができるからだ。
内なる幸福を感じる生き方を教えてくれるのがヨーガだと感じているため、学び続けていきたいと思っている。

3)YICを受講して良いと思った部分と提案など。
日本の社会の中で、ヨーガを使って貢献でき、療法士や講師自身もそのカルマによって役割を確立できる道を作っていっている部分がとても良いと感じました。
利益追求第一ばかりになって心に余裕がなくってしまう状況も考えられるため、ヨーガの道で生活の心配(外的状況に左右される自分の心次第といえばそうですが)をしなくて済むならすばらしい講師がたくさん活躍できる場が増えるように感じました。
講座受講の条件のなかに、アーサナや呼吸法、瞑想法など、指導の実践として使っていくテクニックの講座受講を必須にして欲しいと思いました。(例えば毎週でなくとも月2回など)
もし自分がニケタン修了した講師や療法士からヨーガを教わるとしたら、日々の生活で実践している方がいいと思いますし、日々の実践こそヨーガだと感じるところだからです。

また他のヨーガ流派に対する言及は必要ないように感じました。
具体例のひとつは、リシケシのシヴァナンダアシュラムと南インドのアシュラムが無関係といった
発言を聞いた際、現地でも講師をしている知り合いに確認したところ、リシケシと連携しながら活動していることがわかったことです。
専門でない部分まで突っ込みすぎる必要はないのではないかな、というシヴァナンダヨーガのスワミと少しの間ですが寝食を共にし、日々の中で実践する者の個人的感想ではありますが書かせていただきました。
  

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自分と向き合えると楽しいけれど、向き合うまでは結構シビアな道のりだよね。
  
 

2010年6月19日土曜日

卒業しました。


体調悪くしていて、実家で寝込んだり、会社いってみてはまた寝込んだりしていましたが、色んな人のおかげで心は折れてなかったので、元気に過ごしておりました。
 
実家って楽ですね。
ありゃ住んだらパラサイトシングルしちゃうなぁ、危険危険。
ある程度の厳しさをもって自分を観察するのには、あまり向いてない環境だなぁと思ったので、行ったり来たりしてて、そのせいで体力失ってたのかも? 笑
 
不思議なもので、そういうときだからこそ、少し踏み出すと色んな人が手を差し伸べてくれて、神様はうまいこと与えてくれているんだなぁ、今までもきっと守られてきたんだなぁと思いました。
良い出会いがあり、体がおかしくしなってくれなかったら、なかった出会いたちです。
 
おかげで開き直って、ニケタン講師養成の卒論&試験も終えることができましたし 笑    
副読本を読むために、『 ヨーガの思想と統合理論 』というテーマで広く浅く書きました。
必要にせまられる機会をセッティングしたおかげで読むことができたスワミ・ヴィヴェーカナンダの本たち。
かなりわかりやすくまとめられているのでおススメですー どんなスタイルをしている方にもわかりやすい!ヴィヴェーカナンダさんがスパッと言い切るからまた心地良い。 
(ギャーナ・ヨーガに限り、ちょっとわかりにくかったかも・・・
それだけギャーナは言葉であらわせないほどに困難な道なんかねーと同期談)
 
ハタヨーガってそもそもなぁに?ラージャヨーガってなぁに?
ハッキリしてなかったことが、この本でカチーンときて、今まで自分がしてきたことの点が繋がって線になりました。そこから輪になるんですよね、きっと。。。 人生の一粒一粒はこれの繰り返しなのかなぁ、と。 
   
試験のあと最後、みんな一人一人の挨拶する機会があり、泣いてしまいました。
普段ああいう場所で泣くのは媚びてる気がして絶対嫌なんですけど(すいません捻くれ者なんです。) 
シヴァナンダのTTCのときと同じで、何がってわけじゃない涙が勝手に出ました。(あっちはもう寝食まで一緒の24時間すべて見せ合ったから号泣だったけど。) 
多くの人が純粋な気持ちになっていたからじゃないかなぁ。  
こういう涙はコントロールきかないから全く困ります。 
  
ニケタンを受講して初めてヨーガに触れた方が、「自分が今まで四苦八苦して生きる中で体感してきたことをヨーガは体系的にまとめてあって本まであって!こんなのが昔から伝えられてたなんて!
」と驚いたそうです。
そうなんです。
伝統的なヨーガって生きることそのものを伝えているんです。それをシンプルに普遍の原理で。それに肉がついたのが各々の人生って感じかなぁ。  
そやから生きるガイドになりますねぇ。 
「 人生に体操がくっついたようなもの 」っていう友永先生の名言が忘れられません。うまいことおっしゃいますね。  
   
さて来月はその先生に会いにいってきます☆
彼女のレッスンはニケタン受講されている方はセラピーの参考になると思いますよ~
「意識化」って言葉を使わないのに意識化させる誘導になってます。  
シヴァナンダさんが元々お医者さんだからセラピー要素が濃いのかなぁ、と。
運動って感じと違うものね。でも体脂肪率が落ちて体はしまってくるから若い方にもおススメですよー。 
 
それからマントラのパワー再確認。
実技試験で唱えたのですけど、場の気の流れがガラッと変化しますね。ありゃすごいわぁ。  
では明日のキャンドルヨーガでも愛をこめて祈りのマントラ唱えさせていただきますー 
 












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すでに同窓会の案が出ているらしいですよ 笑 
 
 
 

2010年4月16日金曜日

TTCで泣く女


あたしあたし。常習犯でして。 照笑
放っておいてもらえないっていうか有難い話なのですが。
「 だって優しすぎるんやもーん  じゅるいーー ぐじゅぐじゅ 」 (子どもか!)
と、ニケタンTTCでも泣き虫を発揮してしまいました。。  
お昼ごはんの時間、そんなに泣くような話をしてたわけでもなくなだけに、恥ずかしい恥ずかしすぎる・・・
「でも」というのは、もちろんシヴァナンダTTCでも大泣きしてしまい。てへへ。。泣くつもりはいつもなく、クールに(笑)やって遂げる予定なんですけどねー。 おかしいなぁ。
ヨガしているときに泣いちゃうっていうのはよく聞くし私もだいぶ前はそうだったような気がするけれど、TTCではそういう人の顔見ただけでもうダメ、喋ったらKO負けでした。  
  
その方と話した瞬間に 「 あ、まずい、、この人、ときどきいる神様みたいに優しい人だ。こらえなきゃ。 」( たまにいませんか、人間離れして無私に愛情はなっている人 ) と覚悟していたのに、
ポンッと肩たたいて「 力ぬいて 」と言われたらもう。
一回ゆるんだ涙腺はなかなかしまらず、その後の実習、もうぐっずぐず 笑
 
アロマオイルをかがせて落ち着かせてくれて「 どっちが好き? 」と、選んだほうのボトルに書かれた手書きの文字が「 がんばりやさん 」でした。
「 上手に頼れない人は、頼りにくい人になるよ。頑張らないで頼っていいんよ。 」
ヨガしたわけでもなくそばにいるだけで癒されてしまいました。ヒーラーさんってホントに居るだけで癒されるのだねぇ。。。
  
実を言うと、ヨガとかアロマとか目に見えないものとか、今でもないならないでいいし、そういうの無関心で何の疑いもなく損得勘定の世界にドップリ慣れたい!漬かりたい!それに満足できる人生を!とアツい野望があるのだけれど、どうしてもそっちの方に事がはこんでしまうようなのです。
会社の人と話していて「 もっとずるくなっていいんじゃない 」と言われて、一生懸命ズルさに慣れようと努力したみたけどダメで、なんで出来んのか!!と悔し泣きした ^^;いいんだか悪いんだか
  
これが宇宙の流れにのるってやつなのでしょおか。 
頃合を見計らってヨガのお仕事はいったん手放していこっかねーと思い始めているときに「ヨガ教えてほしい」という生徒さんや友人にバッタリ再会しちゃうっていう。。。明確な返事をできないっていう。。。
なんなの宇宙。翻弄しやがってチクショウ・・・ ってな一週間でした。
  
  
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すべてのことに意味がある。 ・・・らしい。 
 

2010年4月13日火曜日

ニケタンTTC HW④

っ っ っ っ!!
ドロップアウトしたいぎりぎりハート、ブレーク寸前です。
回を重ねるごとに難しくなる宿題の問い群。 フェードアウトしちゃった人たちの気持ちがわかるよぅ・・・ヨーガは資格は関係ないという思いは変わりませんが、資格取得している人たちの努力は心から尊敬します。
後期のもう2年、YTIC( 前期はYIC )を修了した先生のヨーガセラピークラスを受けてみたい☆ 
   
今回はヨーガによる、ストレスマネージメント。スピリチュアルの件で流されそうな古来からのヨーガの智慧、現代人を苦しめるストレスに因る病や悩みの解決策になるとは・・・ 目からウロコな学びでした。やっぱり時代をこえて受け継がれてきているものには、ちゃんと本物の輝きがあるんだなぁと思いました。 
  
指導していくなかで一番大事な2番目の問いに最も苦戦!!どうやって目に見えない理智鞘や歓喜鞘に働きかけるのか、具体的な瞑想や内観への導き方がわからないでいます。。。 
( シヴァナンダのTTCで「鞘(コーシャ)」って聞いたときはサッパリだったけれど、ニケタンで再度学習してなんとなくつかめたような気がします )
 
教科書まるうつしみたいなもんですが ↓ 
  
 
1) 何故ヨーガ・セラピーにおいてはこうした体の意識化が重要視されるのか。

 現代人の多くが悩んでいる心身症や生活習慣病の原因は心による。
失感情・失言語化症、失体感症といった心身症の特徴からわかるように、自身の感情や自身の状態、つまりストレスや過労などの負担に気づいていない人が多くいるのである。  
 
 このため、自分自身の本来の感覚を取り戻す意識化を促す動きや呼吸が重要になってくる。
体の感覚や呼吸に意識を向け、自然な感じ方を取り戻し気づきを得ることにより症状がひどくなる前に対応することが可能となる。ゆえに体の意識化が重要なのである。




2) ヨーガによるストレス・マネージメントにおいて、感覚を鋭くさせる方法として採用されている手法について各次元における具体的方法。
① 肉体(食物鞘/生気鞘)の次元
-筋肉の緊張と弛緩を反復することにより、深いリラックスを誘導する。

-血流、血圧、脈拍、心臓の鼓動を一度、緊張状態にしてから弛緩させ、ストレスからの解放感を体に覚えさせる。
-強さと速さの調和が取れる呼吸法の実践により、緊張と弛緩のバランスを調整し安定へと導く。
 
② 感覚(意思鞘)の次元
-少し負荷のかかるポーズで体に刺激を与え解放したときに少しずつ調和をはかろうとする神経の動きを観察。
-アウン=OMを唱え、体中に広がるその響きを感じる。その共鳴の後に生まれる静寂を感じることにより感覚次元の緊張に気づき調和を促す。
 
③ 知性(理智鞘)の次元
-イメージトレーニングにより、観察力や想像力を鋭くする。心の中でOMを唱え、知覚レベルで微細な共鳴と静寂を感じ、この微細な次元の調和を取り戻す。
-現代の教育では欠落しがちな、愛情・調和・静けさを感じ、感性を鋭くさせる。リラックスした状態を喜びの感情、緊張状態を不快など、状況を感情として捉える。
  
④ 歓喜(歓喜鞘)の次元
-潜在意識内の葛藤を調整する。自動化された作用、記憶の再生を止めて脳に意識的に働きかけ知力を鋭敏にする。
-心素の浄化、瞑想・内観。無心の奉仕修行が最適。

 
3) これまでの人生の中で、最もタパスに徹して燃えた体験を残存印象の中から拾い上げて書き、書いてみての感想。
 たった2週間の短期間のことだが、6年前の大学4年のときの母校での教育実習がそれだったと思う。教員免許を取得するための単位欲しさという見返りを期待しながら始まった実習だったが、毎日若くて真っ直ぐな後輩たちと向き合い、また教壇に立つという決して手を抜けない緊張感ある場所に身を置き、かつての先生から真剣な指導を受けるうちにその見返りを忘れるくらい行為そのものに没頭した。
 特に大変だったのが毎日の指導要領作りで、早朝から夜遅くまで学校での業務をこなし、帰宅して資料と向き合う時間は本当に苦しかった覚えがある。眠さをこらえ、考えに考え抜いた時間は純粋な努力だったと感じる。

 このことを書いてみて、現状の自分の怠惰さに気づく。会社勤めをしていてストレスがある、と言うと頑張っている聞こえがあるが、自分の思いなどを抜きに事象のみを捉えると、与えられた仕事を少し苦労してきれいに納まるよう、うまいことやっているだけなのだ。楽をしているのだ。正直、これまで勤めた会社で仕事をしているときも同様のことを感じてきた。「楽」は「楽しい」を意味するわけではなく、自身の本当の意味での成長や向上も感じられない。真に楽しいときとは、自己が成長しているときなのだろう。
 

 しかしこれは、今後の人生で私が向き合い乗り越えていく問題でもある。会社の枠内でのみそれを見れば、ただ楽であることかもしれないが、人生という範囲で見ると一つのポジティブな壁だ。たとえ楽で退屈な環境に身を置いても、それをコントロールし良しとできるぶれない心を作ること、またこの経験から本当に自分が心を注ぎ集中できるものを探求していくこと、これを課題に努力していきたい。
 

 社会に出て制限がなくなることは、一見自由であるように感じるが、制御のない自由(例えば、諸感覚器官をありたいままにさせること)とは不幸であるように日々感じている。この制御とは法律ではなく自分で作るものだと思う。例えば、制御がないと、私の会社の件のように、自動的に依存に流されることもあり得る。あくまで我々個人は、依存でなく独存の状態にあるときに幸福な存在である。そうあってこそ初めて、有限の次元や個人的執着を超え、全体に意識を拡大し、その一部として機能し生きることができるのである。
 己で己のすべてをコントロールすることができたときに私たち人間は、自分の人生の主となり、幸福を得ることができるのだと思う。その目標を果たすのに、ヨーガを人生に取り入れることが役立つと感じている。
 

 
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長距離走が苦手ゆえに1年以上のTTCは向いてないかも・・・これもタパス?
 

2010年3月21日日曜日

ヨーガメモ

春ですね。。。
風が強くてまた寒くなった福岡ですが、昨日のあたたかさで咲いちゃったし今さら引っ込みつかないしっていう桜の声が聞こえてきそうです。黄砂びゅんびゅん。
我が家のアイビーからも小さい新芽が出て可愛いです  ↑   
   
今月のヨギーニにニケタンの木村先生がインタビューに答えているっていうので見にいってきましたが、次号なのかな?記事を見つけられませんでした。
でも沖ヨガの沖先生の特集がされていて、幸せな気持ちになりました。
そして最近気になる佐保田鶴治先生も。
あの三本ラインのジャージとか、いざというときの紋付はかまの感じがたまらない。
    
  
今日はひとりごと的におそわったことをメモログ。
  
 
インドの聖典群
●天啓聖典(Sruti Parasthana)   ・・・啓示、インスピレーション受けれる人らが書いたやつ
 - ヴェーダ聖典(聖師ヴィヤーサ)
 - ウパニシャッド
●聖伝聖典(Smurti Prasthana)   ・・・天啓をわかりやすく物語調で書いたやつ
 - マハーバーラタ(バガヴァッドギーター)
 - マヌ・スムリティ、プラーナ文献
●論理聖典(Nyana Prasthana)   ・・・論理的なの
 - ブラフマスートラ
 - ヨーガスートラ
 - バンチャダシ    など
 
 
スートラ → 格言集・・・説明してもらわないとわからない
格言 = 物事の判断基準    ・・・犬も歩けば棒に当たる、の意味を知らなかった自分に気づいた。




インドの精神文化の上にヨーガがのっている。
 


病気の原因→ 観る者と観られる者(5つの鞘)を混同すること。
つまり 無智。
苦悩からの解放は両者が別のものであるという不動の智恵を得ること。
 


Sivananda AshramuのSwami Krishunanandaの「ヨーガの認知論」より
パタンジャリ大師のヨーガ・スートラでは、自己制御と呼ばれる過程で各次元の自己がコントロールされ、最終的には大宇宙に満ちる全真我(アートマン)/絶対者ブラーフマンを制御することになっている。
こうして全部の自我をコントロールすることが、究極の真我(アートマン)/絶対者ブラーフマンを悟ることになる。
 
自己制御される、次元の低い自我から始まって、究極の真我(アートマン)/絶対者ブラーフマンにまで至れるのである。
従って自己制御と自己の悟り/自己確立/解脱は同じなのである。
病気の克服が即ち、健康の回復と同じだからである。
つまり、自己制御は真我(アートマン)/絶対者ブラーフマンの悟りなのである。
 


伝統的に師から伝えられる瞑想法の4段階
・シュラバナ(聴聞)
・マナナ(熟考)
・ニディディヤーサナ(さらなる熟考)
・ギャーナ(悟り)   ←これしか教えない瞑想が多い。

師から与えられたテーマをもって考える瞑想

禅にない。江戸から明治になるときに廃仏毀釈により伝統的なものが排除。
 
 
バイオフィードバック法→ 緊張と弛緩を意識化。意識化して休んでいるというのがわかってrelaxできる。 

  
妊婦さんは体をやわらかくさせる運動でなく適度な負荷をかける運動が必要。

 
 
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いろいろ確認したいことが湧き出るです。

2010年3月20日土曜日

ニケタンTTCメモ&シヴァナンダTTC



今月のニケタン講義はアツかったー。
朝から脱線につぐ脱線。 
ヨーガの先生たちのおもしろい話はたいてい脱線に含まれている気がします。
そこからきちんと本線に軌道修正して、日常の中のヨーガに戻ってくるからとてもわかりやすい。
  
メモするな。いま覚えんだ感じるんだ考えるんだ、メモを取るから脳が怠けて忘れるんだ!
っていういつも素敵な木村慧心先生のお言葉からスタート。
   ・・・ いや言わんとしてることはわかるけど凡人だから無理やし、後から宿題せないかんですし。。。
  
今月の木村先生は白いポロシャツに足首のとこきゅ!ってしぼってある、白いスウェットパンツ、七三分け。
おぉ・・・全身白でなんと神々しい・・・  というより、そこいらのおじさんでした。
  
あの普通さが素敵で、目をハートにして先生のお話に耳を傾けています。インド放浪中も七三だったってステキー、もうちょっと年が近かったらよかったのになー  先生のこと好きな人多いですよねぇ・・・
  
   
日本国内で確実にヨーガで人の役に立ちたいならニケタンは良いと思います。アーサナも難しいことないし、年を取ってからでも始められる。
現在、日本統合医療学会が国内でヨーガ療法がきちんとした医療として認知、病院内で実践されるように政府にも働きかけているというし。
    
ただ
大いなる真剣さと忍耐をもって真摯に勉強し続けないと療法士自身が大変だと思います。
だって向き合うのは病気の人、体当たりでくるし知識も求められる。
ワタシも今、身体が不調に陥りかけで、念力で(笑)普通を装い日常生活しながら、血眼になってあれこれ調べてますが、自分の身に痛みが降りかかると、真剣度合いが半端じゃないですね。
健康なときは、こんなに本読んだり聞いたりせんかったもん。 
 
病気の人って知識もすごいあるし、彼ら以上に正しい勉強をして公平な目で見れないと信頼関係も安心も何もないでしょうねぇ。  
  
日本マタニティ・ヨーガ協会の代表のお医者さんもカイラス山修行に参加してらしたそうなのでマタニティヨーガを指導していきたい人やヨーガを取り入れたい助産師さんにもニケタンはいいのかもー色々紹介してもらえるのかも・・・?(すいません曖昧で)
  
いわゆる社会的でいて、
南インド・カルナータカ州のシュリンゲーリの総本山へ第35代シャンカラ大師の元を尋ねていたりして幅広いけれど一貫性がある学びを得られると思います。
ひとりよがりの修業的ヨーガじゃなく( 私はこれも有と思っているけどw )社会に還元していける体制がこれからどんどん出来ていくんじゃないかしら。
つーか、シャンカラって一人で終わりかと思っていました。ダライラマの名前のように継がれていくものだったのですねぇー  へぇー
 
映像でそのシャンカラさんは梵語(サンスクリット語)を喋っていて、通訳のインド人も何語かわかんない英語を喋っていて木村先生の通訳すげーと思いました。
( 「 何言ってるかわかんないから適当に通訳してたさ 」:本人談 ) 
 
木村先生の師匠は、スワミ・ヨーゲシュワラナンダ大師という人で100歳まで生きて自ら死んだらしい。
いわゆる自殺っていうのと違って、100歳になったとき自分の墓を弟子に作らせて、そろそろ肉体を死なせるかーって1週間飲まず食わずして、少しずつ静かに死んでいったという。。。
ふつう発狂するわな。すごいですヒマラヤのヨガ行者さん。
  
一般的にヨガでは代謝をあげていくという知識が広がっていますが、最終的には代謝を究極までおとすから若さをキープでき長生きできるのだとか。
ヒマラヤにこもると食料がないから、木の根っことかだけで生きなきゃでしょ?お腹すかないように代謝を落とす、と。
ホントに集中してヨガしたあとお腹空かないのは、代謝が落ちてるってことですかね・・・ 日本で女子として暮らす者としては困る話だよぅ。。。
 
シヴァナンダヨーガのプラナヤーマ(呼吸法)は代謝を上げるのやって下げるのやるから、バランスよく考えられたシークエンスだな~と納得しました。
 
ヴィンヤーサをポジティブに思っていないきらいがあるのは相変わらずで、マイソールを通り越してシュリンゲーリに行きましょう、みたいな発言もあったりでした。
ケララのシヴァナンダアシュラムについても、イタリア人が運営しているから滞在しても意味ないよー・・・みたいな発言もあったので(発言の真意はわからないけれど)、私はそのイタリアの方に日本で会いましたよーうふふふ、とお話しました。 
 
いつだったか、
世界中にシヴァナンダアシュラム作って宣伝がうまい西欧人が、外国人観光客相手にしているって誰かに言われたこともあります。
確かにちょっとそうかなって感じるとこはあります。(私の個人的シヴァナンダラブは置いといて)
組織が大きくなったら、そういう人もいるだろうし、純粋な人もいるだろうってことだと思います。
     
 
どこに属しているかなんて大きな問題ではないと思います。
そもそも帰属意識への執着も固定概念も取っ払って、完全なる自由を手に入れるための行法で、
こだわりをもって我が我がオレオレ、言ってたら本末転倒な気がしますものー 
 
でも直接話してみて、その人が否定的であるかどうかって何となく伝わってきますから、言葉はあまり問題でなく。木村先生がシヴァナンダを否定しようとかそんなの微塵も感じなかった。話していて心地の良い方です。 
 
なんとなーくリシケシのシヴァナンダアシュラムと、スワミビシュヌデヴァナンダが世界中に作ったアシュラムが今は交流がないっていうのは属している方々と話をしたり調べたりして感じていたところだし。
→ 訂正: 双方でやりとりあっていること確認取れました☆
でも私が良いなって思う賢明な人たちは、決して攻撃的になんてならない、思った通りです。 
現在、受け継いでいる運営者たち同士がどう思っているのか知らないけれど、2人のスワミジの心は同じだったと思う。
純粋に学びたい弟子にとってはそれがわかっていれば十分な気がします。
  
そこに真理を感じる場合、自分のために学べばいいんじゃないでしょうかー そこに愛があれば必ず周りに良い影響が伝わるでしょうし。
シヴァナンダもニケタンも好きですもの。 ヴィンヤーサも嫌いじゃないよ 笑
ある程度、おもしろがれないと楽しくないので
人生を楽しくしてくれる要素があるものを選んでいければですね。
    
ほら自宅で感電して突然死っていうこともありえますから。。。 とほほ 
 
 
↑ こんな感じでネットで検索しても出ないようなインドのコアな話も聞けるから(こんなのほんの一部)講師養成コースはなかなか楽しいですよ、さあどうぞ 笑
  
 
さあて気になるお値段はー・・・ 
べべん!

シヴァナンダ: 2960ドル (USA CAのドミトリー4人部屋の場合) 4week宿泊食事講義
 アメリカは割高かもー インドは安い。楽園らしいがバハマ高い。 詳しくはSivananda TTC 
 テキスト代が40ドルくらいしたような・・・ 
 
日本ヨーガニケタン: 6万円 + 3万円(講師交通費)  月1回×10回
 テキスト代(副読本)が全部で5000円くらい。 
 欠席するとDVD(5000円)が勝手に送付されてくるらしい。


いまヴェトナムで通訳付Sivananda Yoga TTC真っ最中ですが、
タイTTCの方もアップされているようです。 オンライン申し込みは準備中みたい。
っていうか場所ここー! きゃー! 間違いなくhot showerですよね? 笑
インフラ重視のおバカヨギーですいませんw 
日本人中心で行われるそうなので安心度高いですよ~ 2500ドル!安い!
     
こちらも通訳付です☆
近隣の方でご興味のある方は教科書を事前にお貸ししたりできますので気軽に連絡ください♪
東京方面ではシヴァナンダセンターで説明会もしているようです。お出かけください。 
 
 
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ニケタンもシヴァナンダもごちゃまぜな内容になっちゃった。。。あははー
 

2010年3月17日水曜日

ヨーガニケタンTTC HW③


はい、今回はバクティ・ヨーガについてでした。
うぅ難しかったよぅ・・・・
 
副読本を読んでいて面白かったのが、
ヨーガの極みに向かうには最終的にどのヨーガも放棄につきるのですが、
( ラージャ・ヨーガ、カルマ・ヨーガ、バクティ・ヨーガ、ギャーナ・ヨガ )
捨てるって、なかなかどうして大変じゃない? しかしバクティに関しては何の苦難も葛藤もなく放棄できていくっていうのが素敵でした。
  
バクティ・ヨーガ、簡単に言うと「 のヨガ 」
講義の途中、思わずメモってあった→ 「 愛=大切にすること! 」  良いねぇ。
 
バクティの放棄とは、愛をどんどん大きくさせていって、それまでの小さくて個人的な愛が消える、つまり包括しちゃうってことみたい。
それが「 神 」への信仰=愛のヨーガ。
  
宇宙全て=神様を愛すれば、目の前の家族も恋人も含まれるから、これまで通り愛しているに変わりなく(むしろ自分の愛は大きくなっているからより深く愛せる)
他の放棄と違って難しくないっことかしらね。 バクティ、良いね~ナイスやね~
   
仕事のあと頭ぼんやり状態で途中から放棄気味なのが伝わる感じとなっておる、今回の提出レポートです ↓
 
  
1)なぜ私たち人間には「意識化範囲の拡大」が必要なのか。
 
 プラナヤーマの実践を通して自分の感覚を意識化することで、自分自身への気づきを得ることができる。それはプラナヤーマ実践中に限らず、日常での無意識の行動の意識化へも繋がる。
改めて自分自身を意識する=自分をよく知る機会を得ることで、私たちはその延長線上の世界、他者のこと、すなわち宇宙の構成に気づくことができるようになる。
 それは人間が二次元的な感覚で生きるというところから、次元を超えた世界を認識する進化へと繋がる。我々はさらに進化することでシンプルな状態、自由な状態=幸福に向かうために意識化の拡大をしていくのだろう。
 
自分自身の意識化拡大の体験について書きなさない
 
ヨーガを始めて1年ほど経った2007年頃、自分自身への様々な気づきがあったことで、自分が感じていることと他人が感じていることは違う、ということを認識し始めた。
嫌なことがあるとしばらく引きずって鬱々とした気分で数日過ごすことが、ヨーガの実践を始める前はごく当たり前だった。過去を後悔したり、未来に期待をして一喜一憂する日常、他人にとってもそれが当たり前だと思っていた。
しかし常に平和な心のあり方をもって生きている人たちがいることを、また自分にも自分次第でそれが可能だとヨーガを通じて出会った人や知識で知って目から鱗だった。

数年実践するうちに、嫌な感情をもたらす事象について、それが起こった数時間後にはそれに心が捉われていない状態になっている自分に気がついた。これは常に永遠の今という時間を生きる私にとって、大きな幸福であると感じた。
 同時に、宇宙には自分がどれだけもがいても変えられない大きなものがあり、それのせいで自分が苦しいのだと思っていたそれが、実は自分の構造と同じであり、変えられないと思っていたものこそ自分の心の有り様だったのだと感じられるようになった。
 「私」という小宇宙は、この宇宙の自然を教えてくれるとヨーガを通して感じ始めてから、他者=自分以外の世界への理解が深まった気がしている。それは自分以外の他のすべてのものへの思い遣りに繋がったように思う。



2)ガウニの信仰と、パラーの信仰の違い
 ガウニとはバクティ・ヨーガの準備の段階を差し、パラーとはその最高のもののことを言う。
準備段階では以下の訓練を実践することによりバクティへ近付く。
 
1)特定の宗教的伝統に関する行為 (賛歌斉唱や巡礼など)
2)祈り (神名の誦唱や導師への礼拝など)
3)9種のバクティ (キルタムなど)
4)神様に対する五つの態度 (善性優位)

このガウニの段階では、以下の3つの状態がある。
第一段階:カーマ(情欲や強欲などの愛着)
第二段階:プレマ(カーマを基に神様に献げ物をしたり、分かち合う友情)
第三段階:バクティ(プレマに自己放棄の心が加わり友情を越える)
最終段階での放棄とは、神様でないものへの無執着であり、神様への深い愛着から生まれる。この放棄によって、至高の帰依=パラー・バクティへの門が開かれる。この境地ではすべてのものに区別を見ずに、すべてのものに神を見るのみとなる。
 

3)「愛の三角形」と「パラー・バクティ」について詳しく説明し、あなたがこうした愛の形の内、どのようなものでも体験したことのある愛の形を具体的に、いつ、どこで、私が、どのように体験したと、お書き下さい。

愛は三つの特徴を頂点とする三角形で表される。この三つの特徴がバランスよくととのったときに真の愛が成立する。
 
①愛は取引しない。(見返りを求めることなしに愛を与え続ける)
②愛は恐れない。(恐怖心を払拭するために愛するのではない)
③愛は比べない。(最高の理想:多くにとっては神を愛する)

パラー・バクティはマザー・テレサやアウシュヴィッツ強制収容所で身代わりになったコルベ神父の例のように、真の心、それは放棄という行為から始まる。
諸感覚器官の快楽や知性への喜びへの愛はすべて、最高の理想=神への大きな愛によって、
捨てることなくそれらは自然な形で消滅していく。
より大きな愛を育む努力によって、苦闘も抑圧もなくその愛は成長し至高へと導かれる。
 
 
 
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自分の愛の体験は恥ずかしいので割愛。


これ副読本↓

2010年3月6日土曜日

ヨーガニケタンTTC HW②

アロマポット( ですっけ? )なんて洒落たことしていたら、
小さい虫がオイルに捕まって息絶えていました。。。 
ひぃ 無意識トラップ! アヒンサー(非暴力)違反!
 
ヨガしてて蹴っ飛ばしてオイルぶちまけてしまう始末で、
出社前の忙しいときに、床ベタベタになり慌てふためきヨガ効果なしだったような。。。
                      ・・・ ふぁいとぅっ 

 
ではニケタンの宿題メモへ ↓ 

-ヨーガのアーサナといわゆるスポーツの違い
 スポーツの方法は、速い動きで動的であり、エネルギーを消耗し肉体は疲労する。自我意識においては、自己顕示や闘争心を強化する。

 これに対し、アーサナはゆっくりとした動きで安定している。快適な状態で保持され、エネルギーが保存されるので肉体は弛緩し心身ともに落ち着いてくるため自我意識は昇華される。
 
 また前者により影響を受ける組織は、体壁筋肉、呼吸・循環器系で、後者では呼吸・循環器系に加えて消化器系、内分泌・免疫系にまで働きかける。
 
 ドーシャに見る進歩は、スポーツでは暗性(タマス)から動性(ラジャス)、アーサナは動性(ラジャス)から善性(サットヴァ)へ導かれる。
 

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卒業論文どげんしませうね・・・

2010年3月4日木曜日

ヨーガニケタンTTC HW①




日本ヨーガニケタン講師養成講座の宿題で、困ったときに検索したら
ブログで書いている方がいて理解を促すに助けられたのでワタシもmemoしておこうかと。
お役に立てればいいですって感じで気まぐれに。
  ※優秀な生徒じゃないんで微妙かも。
 
  
-生命が進化することとはいかなることか。
猿が人間へと変化したときに見られるように、そこに「道具を使う」、「言語を話す」という知恵の存在が働いている。
アインシュタインも明らかにしているように、この世の基本構造はエネルギーである。
エネルギーとは最も粗雑な現れ方をしたプラーナのことを指す。
私たち生命は進化していく上で、知性というエネルギー:プラーナを働かせてきた。
こうして生命は鉱物から植物、植物から動物、そして動物から人間へとより良くプラーナの自由度を顕しながら変化してきた。
これが生命の進化である。
 
 
-人間の行動の自由度とは何か。
臨界状態になったときに変化できる柔軟性を持ち合わせた者が生き残ることができる。
すなわち、心のエネルギー:プラーナを柔軟に使う対応が自由度の高い行動と言える。
悪い意味で「NOと言えない日本人」など言われることがあるが、ある意味で我々は、対応能力のある、プラーナを自由に働かせることができる人種と言える。

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うぬぬーそろそろ次回の宿題せねば・・・