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2017年6月8日木曜日

にさるがだったまはらーじ

こうじ(麹)君にお願いして、甘酒せんぱーい!
ぱいせん今年もウマイっす、押忍。


こんにちは。
色とりどりのアジサイが美しい季節になりました。
ひと雨ごとに、元気になってゆく様が心をうるおしてくれます。。
屋久島は水が綺麗だからかな、うちの崖にたくましく咲く紫陽花たちより
嬉しそうな気がするね。

健やかにたおやかにお過ごしでしょうか。
私は、
怠け者です、
はい。

隠居してるひとみたいな暮らしっぷりです。
しかしながら、冷蔵庫がぶぃーっと言う音が聞こえるたびに、
息するだけで消費しているんだなぁ~、と思います。
おっと、スローライフではないですな^^; 

暑くなってきたので、残った玄米を甘酒にする季節がきました。
道具がないので、あまり甘くならない日もあるのですが、
小さな一人鍋で、湯たんぽで作るので、自分用、
失敗してもおいしく食べてます。うま。

一日のうちに自分で食べるものを作って食べる、という時間がないような生き方は
もうしたくないなぁって思って。
ひと様が何やってても別に構わないけど、私はそんな感じ。
おいしくいれた後のコーヒーの粉を、窓際で干して、
そしてご馳走さまーと、ゴミに出す、そういうことをやれない暮らし方はもういいかな、
という風になってます。
インドで時に、「くそばばー!」「このジジィ!!」と叫ぶ私ですけどね^^;

しかし、時間があっちゅうまです。
屋久島って、時間の動き方がちょっとアルナチャラ(インド)っぽい気がします。
すごい物忘れ頻繁(-.-;) 
仕事にならないんですが。。

昔のように、メモをとるようにしました。
スケジュール帳が埋まっているのを見るたび、ひぃ、やめて、、と思うけれど、
ひとさまに迷惑をかけるわけにはいかないので致し方なし。
昔は埋まってないと落ち着かなかったけど、
今は空っぽのスケジュール帳をみて、ほくそえむ。
満月と新月の確認程度に持ってるこのところだったのですが、
埋まってきて、ドキドキしておる、、、

瞑想のためにインドで暮らしてる人たちって、自覚があるのか知らないが、
物忘れが、すごいです^^; 
おそらく、今この瞬間しか存在しない次元で暮らしているからだと思われるが、
日本から着いて間もない頃は、混乱しました。
えっとー、、これ言うの4回目だと思うんですがー、、、とは口に出して言わなかったけど、
たびたびこういうこと有。

決めてもらった私の今のおうちは、まさか屋久島くんだりで車の騒音に悩まされるとは、、、
という神奈川県は川崎市、コンビニエンスストアーのお向かいに
住んでいた時以来のうるささ満点な場所に位置しており
(屋久島とはいえ、場所選ばないと悲しい滞在になりますよ)、
あれっ
北九州の高速下に戻って来た?という感じ、
決して静けさの中で、めいそーチーン!というわけではないのですが、、、
波動は沖縄よりも私に合っているようです。
インドのうるさい安宿に泊まった時以来、音楽かけちゃった^^;
屋久島ハイウェーライフ。

静けさは、八重山諸島の離島に軍配、
なんせ人間の数より牛が多い島だった。そりゃそうだ。
そして人々も優しかった。
ヒッチハイクしてないのに、歩いてたら「どこまで~?」って乗せてもらえた。
(あそこも運動不足だったから、あえて歩いてたのだけど。)
海帰りで、びしょびしょの水着で歩いてるのに声をかけてくれる島の人達、
ほがらかさ~ いいとこさ~

しかし八重山は、なんというか、、、エネルギーがLow。
としか表現できませんが、
躁(ラジャシック)か鬱(タマシック)と言われれば、鬱っていう波動でした。
好き嫌いでなく、私の波長との反応なんだと思います。

このところは、ひまな日は小1時間くらいお散歩しています。
近所の人から、ご飯食べにおいで~なんて言われたりして。
ひとりで来たっていうと、なんか皆やさしい、、、
当たり前にインド一人暮らし歴も長く、(今年は長く同居人がいたけど)
ひとり温泉もひとり焼肉(ベジだから行かないが)も一人山登りも
淋しさカケラなく楽しめちゃうのですが、
こんなにも、おひとり様に慣れすぎているという点にハッしました^^; あははー

でも一人でも十分楽しい、屋久島は、、、
木々達が、話しかけてくれるっていうか、
色々「本当のこと」だけを教えてくれるから、
余計な感情が出てこない気がします。
むしろ一人でいて自然のエネルギーと寄り添いたい雰囲気、かな。

「本当のこと」の世界では、
寂しいという感情も、寂しいと思う人も存在しない。

これらの出所は一体どこだろう?
 マインド。
ではマインドとは実在のものだろうか、と
内なるハートにたずねてみると教えてもらえる。
感情が出てきてもさーっと流してもらえる。
そうしたことを、この数年のインドで、人生の学びとして真剣に学んでいます。

ヨガの人たちは、
実は、心配で、不安な人が多い、そんなイメージ、かな。
私は、心配も不安もなく、ただ今ここに在る静けさの中に在ろう、という選択をしたので、
アルナチャラ(自然)に教えをこうているところです(^^)

言葉では教えてくれない自然たちの教えを言葉にして示してくれているのが、
インドの聖者と呼ばれる方々。
「にさるがだったまはらーじ」もそのお一人。
今年は、彼のお言葉にたくさん力を貰いました(^^)

「死が怖い? 喜んで死ぬがいい!」とかね^^;
真理のひとは、相手になんと思われるといった感情の動きが微塵もないので、
どストレートでステキです。

彼は喫煙者であり、小さなよろず屋さんを経営、家族有。
ヨガの世界のグル(先生)には、あまりいないタイプ、
世俗の中でただ真理だけを見て生きるために、なるほどなーと参考になるかも。
パパジ(プンジャジ)ともラマナともまた違ったタイプのバガヴァーンです。

バガヴァーンとは、サンスクリット語で「神様」という意味、
人が偶像化した限定的な神様というより、そこかしこに在る宇宙の大いなる力ってイメージかなぁ、、
インドでの暮らしの中で、私はこのように覚えたので、
インド哲学を教えている人たちがどのように表現しているかは存じません。
私はテスト等ない、アルナチャラ・ラマナ大学の短期留学生(もぐり)なので。

とにもかくにも、
このような方向性に生き方をシフトしたい人や瞑想者には、
ニサルガダッタおすすめで~す(^^)
「 I AM THAT  」 というタイトルで、
こちらも、尊敬する福間先生が素晴らしい翻訳をなさってくれてます。
ご参考までに。

分厚いから、借りてるうちに読み終えなかったってゆう、実は。。
よく本を読んでると思われるけど、これだ!っていう本を、
何度かゆっくりと読むタイプ。
3ヶ月かけて1冊とか。

しかもこのところは、お金がないのでインドでしか日本の本も買えず、
(日本のハードカバーは高すぎるー!インドだと半額で買えるものもあるのです)
本もってないし、そんなに読んでないです^^;  


彼らは言う、
ではバガヴァーンとは誰なのか、
あなたを離れてバガヴァーンは存在できるのか?
ハートにいつも何度でも、たずねてみなさい、
バガヴァーンはかく教える。




また読みたい!と思った方は、【 ヨガ 】バナーをぽちっと。→
あんまりヨガっぽくなくなってきたが、このblog^^;


2016年6月9日木曜日

信心銘 Xing Xing Ming 僧璨鑑智禅師


Tiruvannamalaiでうーんと考えて迷っていた時に、
助けになってくれた禅の言葉をご紹介。
泣くような言葉じゃないけれど、私には必要でなんか泣けてきて、
迷いや余計な考えが消えていって力をもらえました^^
日本語は英語のあとに~

Xing Xing Ming

The great way is not difficult
for those who are unattached to preferences.
When love and hate are both absent,
everything becomes clear and undisguised.

Make the smallest ditinction, however,
and heaven and earth are set infinitely apart.
If you wish to see the truth,
then hold no opinions for or against anything.

To set up what you like against what you dislike is the disease of the mind.
When the deep meaning of things is not understood,
the mind's essential peace is disturbed to no avail.

The way is perfect like vast space
where nothing is lacking and nothing is in excess.
Indeed, it is due to our choosing to accept or reject
that we do not see the true nature of things.

Live neither in the entanglements of outer things
nor in inner feelings of emptiness.
Be serene in the oneness of things
and such erroneous views will disappear by themselves.

When you try to stop activity to achieve passivity,
your very effort fills you with activity.
As long as you remain in one extreme or the other,
you will never know oneness.

Those who do not live in the single way
fail in both activity and passivity, assertion and denial.
To deny the reality of things is to miss their reality.
To assert the emptiness of things is to miss their reality.

The more you talk and think about it,
the further astray you wander from truth.
Stop talking and thinking
and there is nothing you will not be able to know.

To return to the root is to find the meaning,
but to pursue appearances is to miss the source.
At the moment of inner enlightenment
there is a going beyound appearance and emptiness.

The changes that appear to occur in the empty world
we call real only because of our ignorance.
Do not search for the truth.
Only cease to cherish opinions.

Do not remain in the dualistic state.
Avoid such pursuits carefully.
If there is even a trace of this and that, of right and wrong,
the mind-essence will be lost in confusion.

Although all dualities come from the one,
do not be attached even to this one.

When the mind exists undisturbed in the way,
nothing in the world can offend,
and when a thing can no longer offend,
in ceases to exist in the old way.

When no discriminating thoughts arise,
the old mind ceases to exists.
When thought objects vanish,
the thinking subject vanishes,
as when the mind vanishes, objets vanish.

Things are objects because of the subject (mind).
The mind (subject) is such because of things (objects).
Understand the relativity of these two
and the basic reality, the unity of emptiness.

In this emptiness the two are indistinguishable,
and each contains in itself the whole world.
If you do not discriminate between coarse and fine,
you will not be tempted to prejudice and opinion.

To live in the great way is neither easy nor difficult,
but those with limited views are fearful and irresolute.

The faster they hurry, the slower they go,
and clinging (attachment) cannot be limited.


Even to be attached to the idea of enlightenment is to go astray.
Just let things be in their own way 
and there will be neither coming nor going.

Obey the nature of things, your own nature,
and you will walk freely and undisturbed.
When thought is in bondage, the truth is hidden,
for everything is murky and unclear,
and the burdensome practice of judging brings annoyance and weariness.

What benefit can be derived from distinctions and separations?
If you wish to move in the one way,
do not dislike even the world of senses and ideas.

Indeed, to accept them fully is identical with true enlightenment.
The wise man strives to no goals,
but the foolish man fetters himself.

There's one dharma, not many.
Distinctions arise from the clinging needs of the ignorant.
To seek mind with the mind is the greatest of all mistakes.

Rest and unrest derive from illusion.
With enlightenment there is no liking and disliking.
All dualities come from ignorant inference.

They are like dreams or flowers in air:
foolish to try to grasp them.
Gain and loss, right and wrong,
such thoughts must finally be abolished at once.

If the eye never sleeps, all dreams will naturally cease.
If the mind makes no discriminations,
the ten thousand things are as they are, of single essence.

To understand the mystery of this one-essence
is to be released from all entanglements.
When all things are seen equally,
the timeless self-essence is reached.

No comparisons of analogies are possible
in this causeless, relationless state.
Consider movement stationary and the stationary in motion.
Both movement and rest disappear.

When such dualities cease to exist,
oneness itself cannot exist.
To this ultimate finality no law or description applies.

For the unified mind in accord with the way
all self-centred striving ceases.
Doubts and irresolutions vanish,
and life in true faith is possible.

With a single stroke we are freed from bondage.
Nothing clings to us and we hold to nothing.
All is empty, clear, self-illuminating,
with no exertion of the mind's power.

Here thought, feeling, knowledge and imagination are of no value.
In this world of suchness
there is neither self nor other-than-self.

To come directly into harmony with this reality
just simply say when doubts arise, "Not two".
In this "not two" nothing is separate, nothing is excluded.

No matter when of where,
enlightenment means entering this truth,
and this truth is beyond extension or diminution in time or space.
In it a single thought is ten thousand years.

Emptiness here, emptiness there,
but the infinite universe stands always before your eyes,

infinitely large and infinitely small:
no difference, for definitions have vanished
and no boundaries are seen.
So too with being and non-being.

Don't waste time in doubts and arguments
that have nothing to do with enlightenment.

One thing, all things:
move among and intermingle without distinction.
To live in this realisation is to be without anxiety about non-perfection.
To live in this faith is the road to non-duality
because the non-dual is one with the trusting mind.

The way is beyond language,
for in it there is
no yesterday,
      no tomorrow,
           no today.


信心銘

大いなる道は難しくない
選り好みをせず
愛することも憎むこともなければ
全てははっきりと明らかになる

だがわずかでも分別をすれば
天と地は遙かに隔たる
真理を実現したければ
賛成や反対の見解を抱いてはならない

一つを嫌い一つを好むことは
心の病だ
物事の本質を理解しないとき
心の平和は徒に乱される

道は大いなる虚空のように完全で
欠けたところも、余分なところもない
ただ取捨選択するために
物事の本質を見極められないだけだ

外界に巻き込まれてはならない
空という概念にもとらわれてはならない
一なる境地に帰して、ただ静かにしていなさい
そうすれば誤った見解はひとりでに消え去る

心の活動を止めようと努力しても
その努力がさらなる活動をもたらす
対極の一方を選んでとどまるかぎり
一なるものを知ることはできない

一なるものを知らなければ
静動、正否ともにその自由な働きを失う
物事の現実性を否定すればその現実性を失い
空の概念にしがみつけば空の原理を見失う

話せば話すほど、考えれば考えるほど
ますます真理から遠ざかるばかり
話すことも考えることもやめなさい
そうすれば知り得ないものは何もない

根源に帰すれば本質を会得する
だが現れを追いかければ源を見失ってしまう
一瞬にして悟れば
現れも空も、ともに超越される

空の世界に起こる変転変化を
無知ゆえに人は実在と呼ぶ
真理を追い求めてはならない
ただ相対的な見方をやめなさい

二元的な分別にとらわれて
現れを追ってはならない
わずかでも是非を区別すれば
心の本質は失われてしまう

全ての二元対立は一元から生じるが
その一元さえ執着してはならない


心が生じなければ
世界が背くことはない
何も背くことがなければ
すべてはあるがままだ

分別心が起こらなければ、心は存在をやめる
主体である心が消え去れば、対象も消え去るように
想いの対象が消えれば、思う主体も消え去る

物事(対象)は主体(心)が存在するために対象となる
心(主体)は物事(対象)が在るためにそのように在る
その二つの相関関係を理解しなさい
その根底にある実在は一つの空なのだ

この空は相対を排斥せず
すべての存在を差別のまま包みこむ
粗雑と精妙を区別せずにいなさい
そうすれば偏見に陥ることはない

大いなる道に生きるとは
易しくも難しくもない
だが視野の狭い人は恐れ疑い
急げば急ぐほど遅れてしまう

真理に執着すれば度を失い
悟りという概念にさえ囚われて道に迷う
すべてを放てば自然となり
来ることも去ることもなくなる


あるがままにまかせなさい
そうすれば悠々自適に生きていける
想いを働かせれば、真理は隠され

想いを止めれば、暗く澱んでしまう

有念も無念も徒に精神を疲れさすばかり
そのどちらも好んでも避けてもならない
一なるものを求めるなら

感覚や思考さえ嫌ってはならない

感覚や思考を完全に受け入れることは
真の悟りと同じなのだ

賢者は目的を求めて努力しない
愚者は目的を求めるために己を縛る

法(存在、現象)は一つであって多数ではない
区別は無知の愛着から生じる
心をもって真理を求めることは
最大の過ちだ

迷えば安心や不安が生じ
悟れば好きも嫌いもなくなる
すべての二元対立は
自己中心の分別から生じる

それらは夢まぼろし、空中の花
つかもうとするだけ愚かなこと
得も失も、是も非も
すべて一度に放り出してしまえ

もし心眼が眠らなければ
すべての夢は自然に止む
心が分別をしなければ
存在は一なるものとしてあるがままにある

この深遠な神秘を理解すれば
すべてのもつれは解きほどかれる
千差万別の存在が平等に見られれば
あるがままの自然の姿に帰りつく

この原因も関係性もない状態では
比較も類比もできない
動を静と見なし、静の中に動を見なさい
すると動も静も消え去る

二元性が存在しなければ
一なるものも在りえない
この究極の境地には
どんな法も描写もあてはまらない

道と一つになった平等な心に
自己中心的な計らいはない
疑いも恐れも消え
真理を信頼して生きるのだ

束縛を一撃で絶ち切り自由になれば
印象はとどまらず、記憶すべきこともない
すべては空、明らかにして自ずと輝き
心を用いることもない

想念、感情、知識で推し量れない
このあるがままの世界には
自己もなければ他己もない

この実在と調和の内にあるには
ただ「不二」と言うがいい
この「不二」の中ですべては等しく
すべては包みこまれる

世界中の賢者たちは
この根源的真理を会得している
真理は時を超え
絶対なる今の一念は、そのままで永遠なのだ


ここも空、そこも空
だが無限の宇宙は常にあなたの目の前に在る

極大と極小は異ならない
境界を忘れ去り、区別を消し去れば
存在も非存在も同じこと

そうでなけらば真理とはいえず
守るべき価値もない

すべては一つ
一つはすべてだ
このように悟るなら
不完全を思い煩うこともない

この真理を信頼し生きることが不二の道である
不二と信頼は一体なのだから


道は言語に絶している
そこには
昨日も明日も今日もないのだ



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福間先生の翻訳より引用。


2015年6月21日日曜日

Living on the Earth


こんにちは。
スタジオでのヨガも好評ですが、うちの自宅ヨガが一番心地良いですよ。
って、もう今月はもう終えましたけどね~ 笑
やはりヨガの良さは、
体操を通して瞑想状態=深い集中の状態=無心へと導かれていくこと。
この深い集中した状態にあるときに人は、永遠の至福、極楽状態を体感するのだとか。。

ときどきテレビを見ながらでも・・・とアドバイスする先生もいるようですが、
それだと効果半減です。
テレビに意識が向いちゃうもん。
体操によって刺激があるところに意識をおいて呼吸をする、
これにより心身のバランスがとれます。

それと個人的な意見ですけど、テレビを見るとボケるのが早い気がする・・・
うちの両親を見ていて感じます。
(まだボケちゃいないけど、ちょっとその傾向が。
 ボケた人が自分が年取ったって自覚がない傾向にあるように思う。
 みんな年をとるのは当たり前だけれど、シャン!として年とったのを自覚してボケていきたい。)
暗いニュースを何回もリピートして流すためか、
暗い気分になるから、私はたまーにしか見ません。
インドにいるときは、心躍る♪ボリウッドダンスだけ、リッチな長距離バスのテレビで見たり 笑

学生の時だったと思うけど、
知ることは大事、と教えられて新聞を読むことをすすめられたが、
しっかりと自分の意見が確立された今、
冷静かつ客観的にメディアの情報について考えてみると、
果たして真実なのか、果たして知ったところで世界をステキに変えるために有益な知識なのか、
と問うと違う気がします。
自分を平和にすること、この小さな一歩が世界の平和へ繋がると私は信じています。
だから、生きることを真剣に学ぶことができる、ヨガや瞑想を続けてる。


さて、タイトルはおすすめの本。
三日月キッチンさんで立ち読み(笑)して面白かったのです。
邦題は「 地球の上に生きる 」 です。
ヒッピーのバイブル!!みたいなコピーをよく見ますが、
そんなことなく、決してヒッピーでない私でも参考になりました。

いま歯茎が痛くて(加齢による歯周病とにらむ・・・)茄子の黒焼きについて
調べていたところ、この本に、塩でマッサージするだけでもいい、
と書いてあったのでやってみたら、ちょっと効いている。
・・・ めちゃくちゃ痛いですけど。あー効いてるぜー!って爽快です 笑

自然に則した生活の方法あれこれが、可愛いくておしゃれなイラストと
手書き文字で書かれていて、読んでいて楽しい一冊。
豆知識豊富なので、一家に一冊あってもいいかも。
(アマゾンで見たら3000円近くして、私は今のところ諦めましたが・・・)

これから日本全国、どこで地震や火山噴火やその他、災害が起こっても
おかしくないわけで、
対応力、つまり生きる力がもっとも役に立つ「備え」だと思います。
備えあれば憂いなし。
ヨガや瞑想を通して学べることのひとつ、対応力=生きる力
心の柔軟性が身についていると、何が起きても大丈夫!と
自信を持って対応、順応できるように思います。


暦の上では明日が夏至ですが、
今日、日曜日が一番昼が長い日になったそうです。
九州は晴れの一日だったので、それを実感しやすかったのでは、
と、ラジオで言ってたよ。


ことしの味噌も仕込みました。
三日月キッチンさんの助言で、フードプロセッサー使わず足で踏み踏み。
本当はお味噌は、寒仕込みといって冬に仕込むのが良いそうだけれど、
私はあつい季節しか日本にいないんでーこのところ。。。

お久しぶり登場、こつぶちゃん。
すっかり大きくなって小さいママ。
お手伝いしてもらう予定だったのに、恰好だけで満足したらしい。。
つぶママと私で、せっせと足で踏みつぶしました。

去年仕込んだ味噌は解禁。
半分残して2年ものにする予定。
部屋の隅っこで味噌が山積みになってきたので、重さを利用して押し花してます。 
うふふ。。。

良き新しき一週間を。


2014年11月18日火曜日

引得黄鶯下柳條



こんにちは。
携帯電話を解約してしまい写真のアップができずにお送りします。
お風呂から上がるときの最後の水シャワー、
鼻からスイカが出るくらい・・・じゃなかった、これは出産でしたね、
口から心臓が飛び出そうなほど水が冷たくなってきました。
冬に日本から出て過ごす、という世の中をなめ切った生活も3年目、
すっかり寒さに弱くなってしまっているのか、鼻水とクシャミが止まりません。
花粉なのか、PM2.5というやつなのか、風邪なのか、謎。
水シャワーのせいかもしれないけれど、やめたくない爽快感。

寒い日々、いかがお過ごしでしょう。
寒くて朝の散歩はやめました。 あっさり。

この寒い季節になると、シヴァナンダヨガの良さが
心身の芯に、さらにはもっと深いところに染み渡るように感じています。
寒くて真っ黒い夜空の下を、恵比寿のヨガスタジオから自転車の帰り道、
身体の表面が冷えてきても、
あたたかさと幸福感が包み続けてくれた、あのぬくもりを思い出します。


先週、日本での今季の定期クラスを終えました。
どうもありがとうございました。
幸い来てくださる方がいらっしゃるから、我々の仕事というものが成り立つわけで。
それを忘れて「先生」と呼ばれる類の職業の人たちには、
年を重ねたり、経験を積むと傲慢になる、という落とし穴が存在する。
学生時代には、学校でも習い事でも、あまり良い先生に恵まれず
尊敬できる恩師みたいな人が残念ながらいないのは、
子供心にもこの傲慢さを感じたからだろうなぁと思います。

やっていることがヨガなのと、
ラッキーなことに、ヨガを教えてくれた先生方は、
謙虚さや知足というものを持ち合わせている素晴らしい方々だったので、
リピーターが多いとか、良いクラスだったとか、褒めていただいても、
嬉しい、というより、いつも自分が未熟だと思えるし、(卑下しているわけでない)
全く有り難いことだというのが心から自然と湧いてきます。
だって私はぜんぜん良い人ではないし、素晴らしい人間とは程遠いし、
それで良いと自分のこと好きで肯定しているから 笑

私が自然でいて出来ること、正直な気持ちで他人と関わりながら、
意外とお金の発生するビジネスの世界ではこれは難しかったりする。
こないだ、お買いものしたときに、
明らかにウソ笑顔、明らかに言いたくない「ありがとうございました」
を言われて、
嫌な気分になったのでなく、昔の自分を見ているようで同情。
単に得ようとしているものの種類が違うから、それに伴うエネルギーの質が異なる、
ただそれだけのことなのでしょうけれど、
それでも、世界からそういう、押し殺すとか我慢するとかいう類のエネルギーが
減ったらいいな、と願います。


携帯電話を解約したおかげで、読書にのめりこみました。
便利さと自由さというものは、反比例しているように思います。

吉本ばななさんの作品、やっぱり好きです。
フィクションの中にたくさん散りばめられたリアリティ。
人間の本性(特に女性の、かな。女性作家さんだから)と宇宙の真理が、
ばななさんの独特の美しい言葉使いでもって、登場人物や場所を介して
表現されている。

散りばめられているので、
抜粋したいとこがあり過ぎるため、今日も「禅語」より良い言葉を抜粋します。




引得黄鶯下柳條

絵に描かれた花の美しさに惹かれて、鶯が柳の枝から下りてくる。

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 あるものの似姿を写しとりたい、という願望が、人間の心にはある。
物心つくかつかないかのころから、誰が教えたわけでもないのに壁や地面に
落書きをはじめる。
よく似た似顔絵を見ると感動し、芸人のモノマネが本物に似ていると言っては喜ぶ。

 仏教の寺院や仏像、さまざまな儀式などもまた、仏法という目に見えないものを
かたちに写しとったものなのかもしれない。
でもそれはあくまで「似姿」であって、人の心を動かす手段とはなっても、
その実体はべつのところにある。
実体があってはじめて、似姿が人の心を底のほうから揺さぶる。

 造花と、生花の違いは決定的だ。
でも、その決定的なはずの違いが、忘れ去られてしまうことがある。
化粧をした顔のほうが美しく見えるのは、どういうことなのだろう。
詐欺まがいの商売に騙されてしまうのはどうしてなのだろう。

偽物はこの世界の至るところに待ち構えていて、私たちの心に風穴を開ける。
偽物は私たちに塩水をどんどん飲ませる。
偽物は私たちに「満たされている」と思い込ませて、本当の満足を盗み出してしまうのだ。


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世界の本当について知っておきながら、
世界の中で遊ぶように人生を謳歌したいものです。
自分自身の感性を大切に信じてください。



2014年10月12日日曜日

雪月花


台風日和なこの数日。
秋を感じる毎日、いかがお過ごしでしょうか。
私の台風の思い出は秋が多くて、停電して学校がお休みになって、
おうちのなかで、わくわくウフフと過ごしていたのを台風の日には思い出します。
集団行動が苦手な子(先生に気に入られたくて良い子ぶりっこで周りに合わせてたが)
だったので、学校休みとか心の底では嬉しかったなぁ。。

このところの寝る前読書は禅語。
いくつか読んで、ほぉ~っとなってウトウトと眠りにつくのが今秋の夜の楽しみ。
シータマ先生が教えてくれた石井ゆかりさんの占いは、
日本語の美しい言葉使いが心地良く、ときどき見ます。
この本は、禅の言葉を石井ゆかりさんなりの言葉で、
わかりやすく解説してくださっているもの。

シータマ先生が教えてくれた素敵なことは、細く長く私のお気に入りに
なっているものが多い。 
彼女のブログに励まされたことも多かったし、
ヨガを学んでいる皆さんに、こういう出会いがあり、
世界が広がり自由を感じられていたら良いなぁと思います。 

この妹の旦那氏からの差し入れ禅語、心に響く氣の良い言葉がいくつもあったので、
今日はひとつシェアしようと思います。
まだ雪の季節ではないんですが、、、 

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雪月花
「 琴詩酒、友は皆我をなげうつ 雪月花の時 最も君を思う 」
雪・月・花の美しいときには、ともに詩を詠じた君のことを思い出す、
という、白楽天が旧友に贈った詩の一節。

 雪は冬に降り、春にはあとかたもなく解ける。
月は満ちては欠け、花も一瞬のさかりを過ぎれば散りはてる。
雪や月や花の美しさは、時間の中でその姿を刻々と変えていく。
 それがないときには追い求め、手に入ると失うことを怖れ、失われれば嘆き、
というふうに、
私たちはいつも、時間の移りゆくのを苦痛に置きかえて生きているようなところがある。
愛しいもの、友と過ごすかけがえのないひととき、美しさや愛情も、
時間の流れの中でうつろいでゆく。
人はその変化を怖れ、変化に苦しみながら生きている。
 ひとつの春、ひとつの冬というスケールでは確かに、
それらの美は一瞬で消えてしまう。でも、もっと長い時間をとらえると、
花は毎春、雪は毎冬、途絶えることなく訪れる。
それが失われることを怖れて苦しむのではなく、それが今目の前にあることだけを
心から楽しめたらどんなにいいだろう、と思う。
 目の前から大切なものが失われたとしても、それは永久に失われたのではなく、
春の花のように、冬の雪のように、また時間の流れの中で、
巡りあえるいのちのようなもの、なのかもしれない。


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「 一瞬のなかに永遠を見、永遠のなかに一瞬を見る 」
先生がクラス中にぽろっと言った言葉がとても印象的で、折に触れ思い出します。
去年から、集中的に瞑想をするようになってから、
先生の感覚、こんな次元で生きていらっしゃるのかしら、とほんの一瞬感じられたような・・・

今この瞬間を大切に慈しみ、
しかし、
過ぎゆくままに手放して生きられたら、
巡りあう永遠のいのちを内側に感じ、なにも怖れず生きてゆけるのかもしれない。

「 明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい。 」
このガンジーの言葉からも、
ある種の境地にいきついた人たちは、我々と同じ世界で生きながらも
異なる次元で世界を見ているのだろうなぁと思う。
永遠に変わらない、不変の真理を通してのみ。


このちいさいひとの目の前にあるすべてもまた、
失う怖れも、嘆きも、追い求める虚空の何かでもなく、
今この瞬間という永遠だけなんだろうなぁ~    
…ぷぷ、かわいいやつ。。


2014年8月24日日曜日

my bibles


梅雨が戻ったような天気が続いていました。
お元気ですか?
残暑お見舞い申し上げます。
今夏は暑いのが一瞬でしたね〜
エアコンをつけて眠ったのは2日ほど。 拍子抜け。

少し前に久しぶりの激しい偏頭痛で吐きました。 
あぁすっきり!
鎮痛剤を飲んでいた時は、雨のたびに偏頭痛、、、のように
しょっちゅうでしたが、薬は飲まずに見守るようになってから、
吐いてスッキリおわり!ぐっすり眠る。
偏頭痛の回数が劇的に減りました。
見ている側にすると、かなりしんどそうに見えるようですが、
(トイレにこもってゲーゲー言ってるからねぇ)
当人の私は長い目で見るとこっちの方が楽〜
薬はすぐ効きますが、やはり副作用がある。 
薬って冷えるそうなんですね、陰性。 
冷えから体のあちこちが辛くなることは、もはや定説の昨今ですよね。

たまには真面目にヨガのお話でも。。。
写真は私は何度も読み返している本たち。
なにか心にモヤモヤしたものが溜まっていたり、
自信のないときに力をくれる書物たちであります。

たくさん本を読んでいるように思われることがあるのですが、
大切な数冊を何度も何度も読み返し、それを現時点での自分の人生と照らし合わせる、
そういう風な読み方をしています。
そんな大層な生き方はしていないので、反省すること多し、ですが・・・

日本語の言葉遊びや、きれいな表現も好きだし、
携帯のせいで漢字を忘れがちなので、小説やエッセイも読んだりしてます。
俗っぽいものも特にこだわりはないので、なんでも読みます。 
マンガも読む。
英語の勉強のために見た海外ドラマや映画で私が覚えた&聞き取れるようになった
俗語といえば、
Son of the bitch!! ちくしょうめ!  (失礼)

左上の本は、最初に買ったヨガの本で、
色んな旅先に持って歩き、カバーのカバーがボロボロになり、
テープで補強しています(笑)
沖先生の「 ヨーガの喜び 」
ヨガの入門書としてもおすすめですし、何度読み返しても、
ハッとすること、新しい気づきを得られる一冊なので、なにかの折に
何度も読み返しています。 
ピックアップしているポーズやその解説もおもしろいです。。。

物質社会、だけでなく、ヨガのことも西洋社会のビジネスに巻き込まれ、
今や、さまざまな新しいヨガのこと、
ワークショップやスタジオ、○○ヨガ、がたくさんあり、
ここでも、情報の選択が求められます。
それでも真実はひとつ。
ときどき、その情報の多さにうんざりして、
満ちすぎて辛い・・・と独り言を言っているときが。。

感覚を、心を研ぎ澄まし、真実を見る目を養い、
自分の幸せ、日々の喜びに役立つものを皆さんが
選択されているといいなぁと思います。

色んなヨガがありますがどれを選んだら良いですか?
と尋ねられることがあります。
好きなものを選んでください。  わくわくするもの。
退屈なことは続かない。  
身体と心、さらにはもっと深~い我々の命を輝かせている生命の根源部分、
魂が求めるものを選んでみてください。

私は、こういう生き方になったらいいな!!っていう明確な目標があります。
そういう生き方をしている人たちを目の当たりにして共感。 
いいなぁ、そこに私の幸せもあるなぁって思った。

職業とか、何かを作る、とかそういう物質的なものではないです。
どんな職業であっても実現可能なライフスタイル?(的確な言葉が見つかりません・・)
ヨガでそれが実現していかれる感触があり、
今のヨガのスタイルを選択し、
実は、
好きかと言われるとそんなに好きではなくて、
サボる口実を探す日もあるんですけどね、
なんだかんだ、毎日ヨガしてます・・・


最近は、おしゃれ~なヨガウェアに興味がなくなり過ぎて、
家族に注意されました。。 
日本でヨガの先生をするには、もうちょっと身なりを整えないといけないらしい。
その部屋着でスタジオに行くのはやめなさい! やぶれたタンクトップは捨てなさい!と。
(だってまだ着れるし・・・ ぶつぶつ。。)
あぁ。。。
男だったら仙人みたいな恰好でクラスに行っても許される、
むしろ女性ウケするんやろうなぁ、、、いいなぁ、、、などと
考えても無駄なことを考えてみたりして相変わらずです。
男子ヨガは、髪も胸も生理も気にしなくて良いからいいな~!!


最後はまじめに、お友達がシェアしてくれた、
尊敬する先生の言葉をシェアします。

「 明らかにする、という事 」
ヨーガを行い、自分が今なぜ迷っているのか、苦しいのか、
悲しいのか、居心地が悪いのかを明らかにするのです。
自分としっかり向き合うのです。
そうして自分を知り、自分を打ち破る。殻を破る。
そうするとだんだんと強くなるのです。




2011年3月10日木曜日

日日是好日

またまたTamaki先生のSivanandaクラスに参加。
途中で眠ったりなんたりして、とても心地良かった。
やっているときには汗なんて全くかかないのに、終わってスタジオを出るころにじわじわ汗が出てきて足の裏からかーっとアツいものがやってきた。 
外の寒さはもちろん、気になることは何もない安定した清々しさだった。
 
・・・ これこれ♪
  
来週~再来週くらいに掲載されると思うけど、「 笑ってヨガとも 」というサイトでリレーブログを書いた。
テーマは、ヨガをもっと楽しむための方法。
わかりやすく!端的に!とか色々考えてしまって、結局考えすぎてわかりにくくなってしまっている。。
  
ただこの、これこれ♪、を選択すればいいって単純なことなんだと、再再再再々・・・・・確認できた楽しいヨガの時間だった。 
ただそれだけなのに。
私の脳みそは、考えることができるがために欲張りになって、案外簡単なことのほうができなかったりする。
    
カルマは繰り返す傾向にある。
私は考えすぎて、何度も同じところで立ち止まることを繰り返しては、あーまたやっちまってた、、を繰り返している。
  
そのリレーブログにも引用したのが、この本、「日日是好日」。
友人から「ヨガだよ」と渡されたお茶の本。 
なんのこっちゃっ茶ーと思いながら読んだが、まさしくヨガと同じ学びの本だった。
リレーブログで上手に引用できなかった気がするのでメモ。
  
ベジたこ焼き。こういうひっくり返すものが苦手。パンケーキとかね。大好物なのに。。
  
「 会いたいと思ったら、会わなければいけない。
好きな人がいたら、好きだと言わなければいけない。
花が咲いたら、祝おう。
恋をしたら、溺れよう。
嬉しかったら、分かち合おう。
幸せな時は、その幸せを抱きしめて、百パーセントかみしめる。
それがたぶん、人間にできる、あらんかぎりのことなのだ。
だから、だいじな人に会えたら、共に食べ、共に生き、だんらんをかみしめる。
一期一会とは、そういうことなんだ・・・。 」
  
ブランジュリタケウチさんのクロックムシュー
おりこうさんぶってナイフとフォークで食べたけどガッチャガチャ。次はがぶっと手でいく。
   
「 茶室が開放されたり、閉じられたりするように、人の心も季節によって変化する。
開く、閉じる、また開く・・・。そのサイクルが【呼吸】のように繰り返される。
 世の中は、前向きで明るいことばかりに価値をおく。
けれど、そもそも反対のことがなければ、【明るさ】も存在しない。
どちらも存在して初めて、奥行きが生まれるのだ。
どちらが良く、どちらが悪いというのではなく、それぞれがよい。
人間には、その両方が必要なのだ。 」
 
ヨガに来ていた方にランチに誘ってもらったよ。
ヴェトナムーン。パクチーフェスティバルーン。
  
「 こんなふうに一心に雨を聴いたことはなかった。雨音の密林の奥深く、分け入っていくような気がした。ドキドキする。生々しくて、なんだか恐ろしい。だけど、もっと先へ分け入りたくなる。私は【耳】そのものになった。
 
 突如、だだっ広い場所に、私はいた。
ここはどこだろう?
私をさえぎるものは何もなかった。
 手順を間違えてはならないという緊張も、抱え込んだままで常に気にかかっている仕事も、今日帰ったらしなければいけない用事も、何もなかった。
 
 自分はもっと頑張らなくてはダメだという思いも、他人から好かれ評価されなければ自分は無価値なのではないかという不安も、人に弱みを見られたくないという恐怖感も、消えていた。
 とてつもなく自由だった。 
 
 こんな自由、今まで知らない。
どこまで遠くに行っても、そこは、広がった自分の裾野だった。
ずーっとここにいたし、どこかに行く必要もなかった。
してはいけないことなど、何もない。
足りないものなど、何もない。
私はただ、いるということだけで、百パーセントを満たしていた。 
  
 【雨の日は、雨を聴きなさい。心も体も、ここにいなさい。あなたの五感を使って、今を一心に味わいなさい。そうすればわかるはずだ。自由になる道は、いつでも今ここにある】
 私たちはいつでも、過去を悔んだり、まだ来てもいない未来を思い悩んでいる。どんなに悩んだところで、所詮、過ぎ去ってしまった日々へ駆け戻ることも、未来に先まわりして準備することも決してできないのに。
 
 過去や未来を思う限り、安心して生きることはできない。道は一つしかない。今を味わうことだ。過去も未来もなく、ただこの一瞬に没頭できた時、人間は自分がさえぎるもののない自由の中で生きていることに気づくのだ。 」
 
パンを食すときは存分に目の前のパンを味わう。

「 雨の日は、雨を聴く。雪の日は、雪を見る。夏には、暑さを、冬には、身の切れるような寒さを味わう。・・・・どんな日も、その日を思う存分味わう。
 お茶とは、そういう【生き方】なのだ。
 そうやって生きれば、人間はたとえ、まわりが【苦境】と呼ぶような事態に遭遇したとしても、その状況を楽しんで生きていけるかもしれないのだ。


京都にいるときは京の味を存分に楽しむ。


 私たちは、雨が降ると、【今日は、お天気が悪いわ】などと言う。けれど、本当は【悪い天気】なんて存在しない。
 雨の日をこんなふうに味わえるなら、どんな日も【いい日】になるのだ。毎日が良い日に・・・・。


【日日是好日】 毎日がよい日 」


甘いものを堪能したら辛いもんよね、の抜け出せないサイクル。。。
カルマの輪?

「 【目を覚ましなさい。人間はどんな日だって楽しむことができる。そして、人間は、そのことに気づく絶好のチャンスの連続の中で生きている。あなたが今、そのことに気づいたようにね】
 そのメッセージが、ぐんぐん伝わって胸に響く。
 二本の脚ですっくと大地に立って、全身に雨を受け、世界と対峙しているような気がした。
 深く息を吸い、心の中ではっきりと思った。 
 【 今この瞬間の感覚を、忘れずに生きよう!】 」
ふと昔からある小さな店の店内にかかっている古ぼけた掛け軸の文字に気づく。
「 日日是好日 」
 
「 言えばきっと、言葉の空振りになるのがわかる。思いや感情に、言葉が追いつかないのだ。
 だから無言のまま、わが身と同じ大きさのたぎる思いを、ぐっと飲み込んで、座っているしかなかった。そして、出口のない内なる思いに、少し目頭が熱くなった。
 ・・・・・・・・・・・・・ 
 その時、痛いほど思った。人の胸の内は、こんなにも外からは見えない。
 茶道の風景を外から見れば、ただ黙って座っているにすぎない。しかし、見えない場所で、同時に、別のことが起こっているのだ。
 その静けさは濃密だ。 
 ・・・・・・・・・・・・・
 走って誰かに伝えに行きたいような胸の熱さと、言葉が追いつかない虚しさと、言いたいけど言えないやるせなさが、せめぎあう沈黙。
 沈黙とは、こんなに熱かったのか・・・・。 」
 
先生とわたしinリシケシ
 
「 静かに並んで座ったまま、私は、先生と気持ちを共有したような気がした。
 先生は、言わないのではない。言葉では言えないことを、無言で語っているのだった。
 本当に教えていることは、目に見えるお点前の外にある。
 
 言葉で言ってしまっては、伝わらないものがある。

 先生は、私たちの内面が成長して、自分で気づき、発見するようになるのを、根気よくじっと待っているのだった。
 
 本当に知るには、時間がかかる。けれど【あっ、そうか!】とわかった瞬間、それは、私の血や肉になった。
 もし、初めから先生が全部説明してくれたら、私は、長いプロセスの末に、ある日、自分の答えを手にすることはなかった。先生は【余白】を残してくれたのだ・・・・。
【もし私だったら、心の気づきの楽しさを、生徒にすべて教える】・・・それは、自分が満足するために、相手の発見の歓びを奪うことだった。
 先生は手順だけ教えて、何も教えない。教えないことで、教えようとしていたのだ。
 それは、私たちを自由に解き放つことでもあった。 」

次回は美味しくないインド料理だって存分に美味しくなさを味わえるかも。

「 お茶をわかるのに時間制限はない。三年で気づく人も、二十年で気づくも本人の自由。気づく時がくれば気づく。成熟のスピードは、人によってちがう。その人の時を待っていた。
 理解の早い方が高い評価をされるということもなかった。理解が遅くて苦労する人には、その人なりの深さが生まれた 
 どの答えが正しくて、どれが間違っている、どれが優れていて、どれが劣っているということはなかった。【雪は白い】も【雪は黒い】も【雪は降らない】も、全部が答えだった。人はみんなちがうのだから答えもちがう。お茶は、一人一人のあるがままを受け入れている。」
たまにヒルが入っているインド料理だってっ・・・

「 個性を重んじる学校教育の中に、人を競争に追い立てる制約と不自由があり、厳格な約束事に縛られた窮屈な茶道の中に、個人のあるがままを受けいれる大きな自由がある・・・・。
 
 いったい、本物の自由とはなんだろう?
 そもそも、私たちは何と競っているのだろう?
 学校もお茶も、目指しているのは人の成長だ。けれど、一つ、大きくちがう。
 それは、学校はいつも【他人】と比べ、お茶は【きのうまでの自分】と比べることだった。 」

どこに学びがあるかは人それぞれ。

「 この世には、学校で習ったのとはまったく別の【勉強】がある。あれから二十年が過ぎ、今は思う。それは、教えられた答えを出すことでも、優劣を競争することでもなく、自分で一つ一つ気づきながら、答えをつかみとることだ。自分の方法で、あるがままの自分の成長の道を作ることだ。
 
 気づくこと。
一生涯、自分の成長に気づき続けること。
【学び】とは、そうやって、自分を育てることなのだ。 」
インド文化の【それ】の一つがヨガ、日本文化の【それ】の一つがお茶。
 
何度も作者の内なる胸の熱さに共感し、目頭があつくなった。
この本を渡してくれた友人に、ありがとう。
  
この出会いもまた、ヨガが教えてくれた幸せ。
 

2010年9月9日木曜日

沖正弘先生とシヴァナンダヨガ

 会社を辞めてほとほと気の抜けた生活をしてしまっているので、こりゃいかんバランス悪し、とクラスの前にシヴァナンダヨーガのアドバンスプラナヤマ&アーサナCDのガイドにしたがって2時間半ほど自己練習。
 
大阪のヨガスタジオ、スピリットさんで、アシュタンガ&シヴァナンダを指導するノリコ先生のクラスを受けたとき、「単純なポーズほど意識の集中(精神的強さ、自己コントロール)がいるから難しい。」とおっしゃっていたのを思い出しました。
 
同じことを延々とやるから最初は集中力なくて、つまんないのよね。。。 
一人でやると誰も見てないし、余計にサボっちゃうのさ。(すべての目撃者は自分なのだけどねぇ~ついね~)そういう怠惰な心を、めんどくさいという心の波から一歩ひいたところで見つめながら行っていると、だんだんに集中の深みに入って、シンプルな心の状態=無心に近くなっていく。
シンプルなポーズたちはそういうことも教えてくれます。  
  

バリエーションに入るのも、例えばヘッドスタンドなら、5分ホールドしてなお心身のコントロール、集中できる者だけっていうガイドだから、5分ホールドできないあたし、マジでつまらんかった最初。そういうときは5分が長い!
集中しているときの5分はあっという間。心次第で時間は短くも長くもなる、そういうことも体感させてくれるヨガ時間です。
    
前置きが長くなりましたが。
またまたラージャヨガ部門のテクニックについて質問があり、しどろもどろで答えをはぐらかしてしまったので、調べてみました。
 
『 ヨーガ大全 身体と精神の開眼 』スワミ・ヴィシュヌデヴァナンダ著  より引用しますが、
この本は大好きな沖先生の推薦文付! なので、まずは沖先生の推薦文から 笑
 
 
推薦のことば   沖正弘 


 世界各国でヨガブームがおきている昨今だが、はたして真実のヨガが、どの程度人々に理解されているだろうか。真実のヨガは、「シャカを悟りに導いたヨガ」であり、「人類を救うもの」であり、生活に直結したものでなければならないはずである。
ヨガは、体験体得の行法哲学であり、人生万般の原理・原則を身をもって把握し、苦行し、かつ生活化してゆくものである。ヨガとは実体ではない、心、身、生活、環境の最高の統一・結合・調和状態である、と私はつねづね説いている。
 私は真実の立場をとって、不治といわれる難病(結核やガン)を克服しつつ、人間救済の道を求め、一方、人類平和への希いから、各国の治療法、生活法、宗教的修行法などを学び、体験して、ハタ・ヨガ(身体的訓練法)とラジャ・ヨガ(心の聖化法)とカルマ・ヨガ(奉仕の道)を統合、総合ヨガとしての沖ヨガを創造し、かつ世界に広めようとしているものである。


 求道生活にはいってから四十年以上にもなるが、その間、わずかではあるが、真実の生活を求めて身を捧げる先師、知友を得ることが出来た。オッタマ僧正やガンジー聖師はその代表的人物である。これら、心を中心とし、生活を求道の場とする人々によって、求道の渦中にある私は、どれだけ意を強くされたか分からない。現在では、先に訳出したアイアンガー師(『ハタヨガの真髄』)、今回のヴィシュヌデヴァナンダ師などは心強い知友である。


 ビシュヌ師にはじめて出会ったのは、約三十年前、シヴァナンダ・アシュラムにおいてであった。
私は、初代インド大統領、ラジャンドラ・プラサド氏とともに、日本人として初めて当アシュラム訪問、シヴァナンダより特別指導をうけたのである。先般の世界ヨガ大会で来日したサッチダナンダ師は当時、瞑想行法を専らとしており、ヴィシュヌ師は私の兄弟子にあたる。師は、ヨガナンダ師につづきインド人としてははじめてアメリカへ布教へ出向いたが、途次、香港にヨガ・アシュラムを設立した。私はそこに招かれて、しばらく指導した思い出がある。米国でヨガを説き始めたのは、東洋人としては、私とヴィシュヌ師が最初である。現在、米国にもヨガのグループはたくさんあるが、師の組織は最も大きいものとなっている。


 ヴィシュヌ師は心を中心として、真実のヨガを追究している数少ない一人だと思う。特に、本書の哲学的部分は、ヨガの本質的理解に欠かせないものであろう。私の立場からすれば、やや小乗的きらいはあるけれども、より総合的立場で、歴史や文化伝統の差異、個性別などを考えに入れて理解し、行じてゆくならば、かならずや、真実のヨガの理解に達する一助になると確信している。


 あまりに遊び的、美容的、治療法的に堕しているかにみえる日本のヨガブームの中にあって、真実の目を曇らせることなく、その本質を理解しようとする学徒にとって、本書は格好の機会となるだろう。弟子の一人、山内隆明君の翻訳をうれしく思う。ぜひ一読され、実行の道を歩んでいただきたい。この出版に賛同し、あえて、多くの人々に推薦する次第である。
 
 
物言いがはっきりしていて、ほんと男前な方や~
で、本当は中身のテクニック(呼吸法とバンダ)についても引用したかったんですが、想像以上に推薦文が長くて腱鞘炎になりそうなので、次の機会に・・・
 
   
 
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でもこの本、まだ最後まで読めてないのであーる
 

2010年8月26日木曜日

それを知っている人

ashes & snowより引用

いかにして人は自分自身を知ることができるか。
 
観察によってではなく、行為によってである。
 
汝の義務をなさんと努めよ。
 
そうすれば、自分の性能がすぐわかる。
 
だが、何が汝の義務であるか。
 
その日その日の要求。
 
「 格言と反省 」 ゲーテ
 
----------------------------------------------------------------------------------------
 
いつしかのメモより。
ゲーテって確か「 シッダールタ 」を書いた人? ですっけ? 忘れた~
→ ヘッセ でしたね。 友永ヨーガ学院の本棚から借りて読んだの。
 
ほらあのヨガでもよく出る「それ」を知っている人だったんでしょうかねぇ。。。
芸術家に多い気がします。 
これを読んだとき、あぁヨガだー!と思ったからメモしたんでしょうな。
しっかし本のチョイスが可愛くないな~、この頃のあたし 笑
   
知っているがゆえに現実=mayaとの間に生じる葛藤? 
芸術肌の人は、苦悩の人生を歩いているイメージがあります。
   
苦しみ苦しみ苦しむからこそ、
すばらしいものを
生み出せるのか。
その先の至福を彼らは見たのか。
 
 
   
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男の人は繊細。
という話をしました。どうでしょ?
 
 

2010年7月4日日曜日

日本のあるカルマヨギのお話


またまたヨガ講師仲間にお借りした本。
なぜか、こういう情報に詳しいヨーガな仲間と仲良くなります。みんな、出会ってくれてどうもありがとう。
これは大阪ヨギーのYさんに聞いたお話と同じ方で良いのかしら。
気になっていたら本が手元にやってきました~  意識が現実を作りますねぇ。 
   
この絵本の中の言葉が心に残っているので抜粋。   

 「 人は受け入れられたと感じたとき、大きな癒しになります。
  受け入れるとは、答を用意しないことです。 」
 
あぁなるほど。
今の(日本の?)社会を生きていると、「これが正しい」っていうメジャーな一例=答えが「当たり前」な風潮を感じることが多々あります。
私だけか? いや違うよね、だから初女さんのとこにもたくさんの人が集まってくるんだものね。 
  
初女さんは、おむすびをにぎるだけです。
ただそれだけで、多くの人が癒されて帰っていくのだそう。
もう、どんなおばあちゃまなの、会いたい。。。 
 
 
あとがきで、私も感じていたことが書いてあり共感したので抜粋。
  
「 伝えようと話せば話すほど別な方向にいくことがあり、戸惑うことが多かったのです 」
 
これ、ヨガ講師されている方で感じている方も多いのでは。
ヨーガも似たとこあるように感じます。
こないだも友人に求められ、話しながら、「なんか違う、なんか違う、喋れば喋るほどそうじゃないんよぉぉぉ、」と思っていたら声までおかしくなっちゃいました。 ビシュッダチャクラがクローズな感じで。
 
沖ヨガの沖先生が著書で、ヨーガは密教だ、と書いてあったことを思い出しました。
( おっと、あやしくなってきたw ) 
経験してもらうことでしか理解ができないことだし、人によってしっくりはまる言葉が違うから、言葉は無意味だなぁと思います。
  
 
森のイスキア、いつか行けますように☆

  
  

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できれば夏に行きたい青森。 


2010年6月1日火曜日

カルマヨーガ


論文を書くのにこの本を読んでいますが、おすすめです。
ヨーガニケタンTTCの副読本で、今まで手にとっては、無理!!と避けてきたけれど
読むべきときになったら、案外すんなり頭に入ってくるものだなぁと思いました。
世の中に無理やりすべき何かってないんだろうなぁと感じる瞬間。
無理やりなときってたぶん必要のないとき。そういうタイミングじゃないとき。 

でもそのときどきで果たす「義務」があるとしたら放棄してはいけない。そういう見極めをしながら生きていかないといけないですね。
まさにその「義務」と「行い」の話が書いてあるので、生きる上での助けになる一冊となるんでないかと。

詳しくはうちこさんのレビューを読んでください。
良い感じでまとめてくださっています。
バガヴァッド・ギーターで有名なあの場面(主人公アルジュナが軍の隊長として、敵対する自分の肉親を殺さないといけない場面でのクリシュナの、義務についての助言。)のことも取り上げてあって、わかりやすい解説本になっていると思いました。
action in inaction.
inaction in action.
上がカルマヨーガ。
 
 
私なりに理解できたカルマヨーガは・・・

カルマとは行為を意味する。なので「行為のヨーガ」
いま自分がしている行動、息をする・キーボードを打つ・他者と言葉を交わす、これら全部が未来の自分を作る。
良い行いは未来の良い結果の種。悪い行いは未来の悪い結果の種。
( 良い悪いっていうのは自分の心次第なので、本当は存在しないんだけれどね。だから自分の心にとって良いと感じることか悪いと感じることか。 )
誰かに八つ当たりすれば八つ当たりされるよっていう、誰かを騙せば騙されるよっていう。 それについて、良いと感じるも悪いと感じるも自分次第。
 
良いも悪いもない行動 → 無執着の行動を行うようになったとき、私たちはこの原因と結果の法則(カルマのリピート)から解放される。
良いことにも縛られている限り、まだ自由ではない。良いこと、楽しいことにも執着しないときに完全なる自由=幸福がやってくる。  

無執着の行動とは、結果や報酬を期待しないこと。
行動そのものを「ただする」こと。 それが本当の愛。
何かしてもらいたいから愛するんじゃなくて、相手が自分を蔑んでもただ愛し続けるのが愛。
 
人にはそれぞれ今居る場所で義務がある。それをただ果たすこと。ただ働く。
頭と体をフルに使って働く。でも心は静かに、善にも悪にも偏らず、ただ目の前のことをやるだけ。

そうこうしてたら、ヨーガの最終地点、解脱になる。
だからポーズをせずとも世の中の人すべてが、日常の中でヨギーの目標にたどり着けうる。
 
 
うーむ勉強になる本だった。
確かに、今出会っている人たちって、過去の自分にそっくりだったり、過去出会った人と同じタイプだったりで、毎日の中で今の生での繰り返しを見ている気がします。
「自然」に試されているなぁ。自然は私たちを成長させてくれるために、色んなトラップをしかけているんだって。それが人生の山だったり谷だったり。
そう考えると人生はゲームっていうヨガの考えがしっくりくるような? 




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すべてのことから逃亡しても追ってくる~♪でも逃げた~い
 

2010年5月26日水曜日

尊敬すべき幸福な人


尊敬すべき幸福な人は、

逆境にいても、つまらぬことはくよくよせず、

心配しても始まらないことは心配せず、

自分の力のないことは天に任せて、

自分の心がけをよくし、

根本から再生の努力をする人である

『武者小路実篤人生論集4 幸福の条件』(講談社)より



うぅ~む、まさしくヨギの生き方!


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よっヨギー!