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2012年1月23日月曜日

愛について

今朝の窓際の豆苗で見つけたひと

こんにちは。
数少ないブログリーダーの皆さま、寒い日が続きますがお元気でいらっしゃいますでしょうか。
たとえお会いできずとも、皆さまが幸せでいてくれると嬉しいです。  
  
京都でのヨガクラスの件をアップしなきゃしなきゃ、でも時間あるし~♪ と思っていたら
Miyuki先生が先に上げちゃって、早くも予約のご連絡があり慌てふためていているところ。
 
うーむ、シヴァナンダ先生のおっしゃるとおり。 
「 今日一日はDIN (do it now) 、今すぐやることを実行しよう。明日には延ばすまい。 」
ですが、先に書いておきたいことがあり、まだアップしません。  ( せんのか~い 笑 )
  
   
この半年くらいめっきり落ち着いて、己のエゴから、
愚痴まじりで面白くもない自分の身の上話をしたりする機会が減っていたのですが。
以前は、
「 私をわかってほしい 」
「 私の存在を価値あるものとして認めて。そして私を好きになって。 」
時として
「 私はこんなに可哀想な人間なの! 」(いま冷静に客観的に見ると全く不運でも特別でもない)
という欲求からか喋り、ぶちまけ表面上スッキリしたような気分。 
ということの繰り返しの日々でした。 
  
今はいくらか落ち着いてる。  年か? 
いやヨーガのおかげです。
そんな経験もあり、同じような堂々巡りに陥ってる人の話を何度も聞いてると
つい余計なアドバイスをしてしまう性分でして、こないだ愛と執着の話になりました。
その時に、大好きな友人のひとり、Maoさんの先生の言葉を思い出し引用したので、ここでも引用します。
Sita Yumiko講師も引用していたので、もう読んじゃった人はごめんなさいね。 
  
 
  そもそも、こと男女間や家族間での”愛”とか言われているものが、”愛”という名の”執着”であることが多い。
  あるいはその二つを混合してしまっている場合が多い。

  
  ”愛”する、というのは”あなたに幸せになって欲しい”ということです。


  ”執着”する、というのは”わたしを(あなたが)幸せにして欲しい”ということです。


  だから、相手の幸せを願って、それにもとずいて相手に接する、
  つまり愛すれば愛するほど、二人の関係は向上し、幸せになっていくでしょう。


  その一方で、相手に自分を幸せにするよう要求する、
  つまり執着すればするほど、それが問題を起こしていくでしょう。 
 
        
こういう話になって尋ねられるのが、
世の中のカップルで、本当の愛で結ばれ結婚してる人ってほとんどいなくない?!
当時、こういう普遍の愛について読んだとき私も思い悩んだ。 世界を見渡して、不信の目で人々を眺めた一瞬。
   
で、ほんの一瞬、恋愛不信になった結果、
他人が愛し合ってるかどうかなんて疑う必要はない、自分が真実の愛を貫けばいい、私は執着より愛が幸せだから、
そういった感じで落ち着きました。  
  
まま、恋という名の執着は苦しいのに心はそちらに行こうとするのですけどね。。。
その呪縛から抜け出せるほど成長しきってないし、今のこの年の青春を楽しみまーす 笑 
    
ではヨガの勉強から帰宅してから、
2月の代行スケジュールやお出しするお菓子やスムージーについてお知らせしまっす! Good day!
  
 

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