わなかむわなかむ。
これ以上、上達せぬワシのタミル語^^;
まぁインドに住む必要ないよーってことでしょうかね〜
嫌いではないが、インド人って超根に持つし(ひどい仕打ちで報復した話など聞いて暗い気持ちになりました…)
コネに執着するから、住めないなーって思います。
例えば、私のこと軽視してたよく行く店の人だったりが、
あれっこいつ長く居るんだな…
と恐らく気づいたんでしょうか、
えらく話しかけてきたりして、ゴマスリ根性を感じ、
やらしーなー別に変な噂流さんしーと、ね^^;
偽りなく心を込めて商売やってたら、
たとえ愛想なくても関係ない、と思う。
インド人はB型多いなど言われてるが、
この根に持つ点、B型にはない。
(私の周りの友人と自分には少なくともない)
今この瞬間を生きてる人種と聞いてたが、
ものすごい先の日程の列車の予約とっており、しかも重複してとって直前キャンセルとかしやがるの(笑)、
旅人は経験あると思いますが、我ら外人は予約が困難ですしねー ^^;
私、とても真面目にここでやってるらしいんすけど、
お休みいただいて、お金はたいて家族に心配にかけインドくんだりまで来てるので、
まぁある程度は一生懸命にやろーっと思っては来てたんですが、
予想以上に真剣(に見える)らしい。
…実はそうでもなくて脳の蓋でもあけてみると、
朝食にイドゥリを食べるかプーリにするかでいっぱい、
眉間に皺よせて何十分もかけて悩んでたりする。
ある意味とても真剣なんですが(笑)
真剣にやってる(朝食の話じゃないですよ(笑)理由を、
なんだか友達や知人には言いにくいので、ここでバラさせてもらいますと、、、
単に、、ヒマだったんだよーいょーぃょーぃ!!! 笑
おかげで、早朝から瞑想し6時には山に登って瞑想して、
山から下って瞑想して、ご飯食べて洗濯してヨガしたりして瞑想して、
ヒマを見つけては瞑想して、
っていう、書いてみると、おっと真面目ですな^^;、
な日課になった次第。
でも日本じゃ7時にしか起きないし、気が向いた時のみジョギングしたり泳いだりもするが、
(そうでもしないと田舎の車暮らしは足腰が弱る)
2時間くらいダラダラヨガして、、、
みたいなものなので、
インド修行の旅(いちおう)に来たからにはこのくらいで良いんでしょうかね〜
突き詰めて思ってみると、
ヒマだから瞑想してるとか、
心地良いからヨガをしてるとか、
でなく、
ただ瞑想をする、ただヨガをする、ただそうなだけ。
すっかりラマナファンね!なんて言われてもしっくり来ないし、
ただそうなだけ。
我輩は猫である、理由はない。
みたいな。
あ、これは名前でしたか^^;
自我で避けたいと思っても、
来るものならば必ず来ると定められているらしいし、
知人たちの苦労話を聞くにつけ、
本当にたくさんの「仕事」(この場合、not business。人生で与えられたやるべきこと)
に見舞われた人生を送ってる方達がおり、
そういうもんなんだなぁって思うが、
私の場合、来ないんですよねー^^;
まだ肉体年齢は若めなのでこれからですかね?親の病気や死とか?
で、ヒマで坐る時間が山ほど。
だからまぁ今はそういう運命に定められているんでしょうとしました。
実は全てのことに理由なんてなくて、ただ「そう在る」だけなんだな〜って、
最近、座ってて納得しスッキリしたこと。でした。
前述のコネの話ですが、
長くいるならこの地でコネクションがあった方がいい、
アシュラムの人に気に入られてといた方がいい、
という話をちらほら聞いたりして、当然そうである方がベターだとは思うんですが。
もしそちらを優先するあまり「一番大切なこと」がおざなりになるならば、
私はそんなもの要らぬ、と これも自分の中で明確になってスッキリ。
その「一番大切なこと」を「バガヴァーンとの約束」と浮かんできたので、
ここではそう呼んでいるのですが、
神様との約束、とでも言うのかな、
それを守ることを生きる上で一番に優先せよ、
と内側の何かが教えてくれました。
わかりやすい例えも、同時期に浮かんできて、
親が子供を育てる時に、一番大切なことは「愛」かなーと思います。
根底に愛さえあれば、
彼らを叱っても時に叩いたとしても、何の問題もない、それと同じ。
(愛と理由付けたエゴイスティックな気持ちのそれとは違います)
愛は。
バガヴァーンのお言葉を借りるなら、
「すべてを拒絶すると、ただ真我だけが残る。
それが真実の愛である。
その秘密を知った人は、世界が普遍の愛に満ちていることを知るだろう。」
だそうですので、
こういうとこでの修行、
および人間生活における日々の生活での修養は結局、
真実の愛に満ちた人生のためなんですな〜 ^^
バガヴァーンとの約束、
アルナチャラとの約束を優先した結果、
例えばこの土地の権力者から嫌われて出入り禁止になったとしても、
友達がいなくなってもいいな、と思います。
「なんのために生きているのですか?」
ときどき、
スワミチダナンダジのこの言葉が降ってきて勇気をくれます。
人間関係のコネクションを得るために、
アルナチャラに毎年来るために、
ヨガを伝えるために、
家や車を持ったり、家族を繁栄させるために、
生きているわけではないのだ。
(書物に関しては、必要なら欲しい物がもらえる運命みたい。
ありがたいありがたいばかりです。)
この御本、とても良いです。
読んでいると涙が出ます。おすすめ。
悲しいでも嬉しいでもない涙、
内なる核心に触れられた時に出る涙があるのだそう。
そのような内容なのかな、と思います。
こういう涙が流れることを経験すればするほど、
生きている理由が確信的になると思います。
理由がないことが理由っていうこと。
スワミジの上述の質問の答え、何て書いて〆ようかな、
と思っていたところ、こちらの本を開いたらスバリ現れてくれていました。
「実現の座は内側にあるため、
それを外側にある対象物として見ることはできない。
その座は至福であり、生きとし生けるものの核心である。
それゆえ、それはハートと呼ばれてきた。
この人生におけるたった一つの有益な目的とは、
内面に向かい、それを実現することだ。
それ以外にするべきことなど何もないのである。」
なんのために生きていますか?
ヨガや瞑想はそれを明らかにしてくれます。
皆様が平和、至福、Shanti、愛で満ちていることをいつも知っていますように。
バガヴァーン、
世界の霊的ハートと呼ばれるこのアルナーチャラの恩寵が、
日本の皆様にも届きますようお祈りしています^^
0 件のコメント:
コメントを投稿