すいようび、満月でしたね。。
たまたまヨガスタジオで代行で夜おそくのクラスを担当していて、
帰り道のドライブはフロントガラス越しに月光浴。
ずっとお月様が照らしてくれて、、、、
遠慮なく暴走ドライブ 笑
私は運転は苦手なのですが、まっすぐのびた人通り、車通りの少ない道で
スピードを出すのは好きです、、、
写真は、
インドを出発する前夜に見た満月。
山のすぐ上に見えて、月が沈んでゆき朝がやって来る様子。
月も夕日と同じように沈んでいくんだ〜!!ってこのとき初めて知りました。
スタジオでも、私がインドで滞在している場所は特にヨガスタジオがあるというわけではないのに、
なぜインドなの? なぜそこなの? と尋ねられました。
うーむ。。
また言葉につまってしまいました。
私が好んで滞在している場所、南インドのティルヴァンナマライ。
聖なる丘、アルナチャラ。
その理由を言葉で説明しても違うものになってしまって伝わらないし、
変な宗教にでもはまったと誤解を招いてもめんどくさいし、
友達や家族に来て欲しい!っていう熱い思いも今のところないので、
(私はあそこにいて、日本より不便だけど日本にいる時以上になぜか満ち足りているし、
人それぞれ人生の役割も必要なものも違いますし、
来たけりゃ勝手に来ればいい、必要ならばたどり着く、と思うので。)
熱意を込めてあの場所について伝える気もなくって。。。
一般的に出回っている言葉でいうならば、恩寵、としか言えないんですね。
英語だと、グレース。
私がインドのあの場所にいくのは、アルナチャラの恩寵を感じるため。
恩寵なくして、自由なしだなこりゃ、と
ある瞬間に確信しまして。
なんのために生きてるか、この世を楽しく生きるには、悩まない心をもつこと、
それは自由になること、人生を自分のものだ!とこだわらないこと、
というのに行き着きまして、
それがいつしか人生の一番の優先順位になっちゃったのです。
同世代の多くの女性とはちょっと違う、変な女なのかもしれません^^;
あとはヨガの小難しい哲学あれこれが苦手だー!ってぼちぼち気づき始めており、、
アルナチャラの聖者、ラマナマハルシ(バガヴァーン)は、
ヨガ、インド哲学の小難しいことをやる必要はないし、
自分はそれよりも自由へのダイレクトな方法を教える、ってんで、
あの場所のエネルギーを感じてみたら、
ヨガでは拾いきれてなかったらしい心の奥底の澱、
人間なら皆もってて当たり前だよねぇーって決めつけていたモヤッとしたものが
どんどん抜けていったのですねぇ。
前よりも、子供みたいに世界を見れるようになってきた、
というのがわかりやすい例えかなぁ…
二秒後には、ふーんって忘れちゃう感じ。
周りはこんな私にイライラしているかもしれないけれど。
幸せなバカでいいの。。
何も考えない、バカ呼ばわりされる人に、
考え過ぎだった昔の私はなりたかったから近づいているようでラッキーかな^^
↑ 周り超迷惑ね。今は母が一番の被害者(笑)
サイコーでしょ?
バストイレ共同の、なにもない部屋だったけれど、
バストイレ共同の、なにもない部屋だったけれど、
でも、私を満たしてくれる全てがここにありました。
白い花は薔薇。
この薔薇の木がアーチになっていて小道を覆っていて、
ふわふわ~と花を摘みながら歩くと、
まるでアリスの世界にいるようでした^^
ここからも毎日、自然の恩寵、愛を感じていました。
早朝、グループ瞑想の前の呼吸法、ドアを開け放ち、
清い空気のなか少しのあいだ一人で坐る時間。
雨の日もまたいいのよ、これがー
雨の日もまたいいのよ、これがー
気づいたら鼻歌うたってスキップしてた。
どんだけゴキゲン^^;
どんだけゴキゲン^^;
ただここにいれて私は幸せ者だなぁって思わせてくれるもの、恩寵。
すごい月…
と、いつもより少し寝坊した早朝、
慌てて屋上への階段をのぼった。
誰もいないであろうと、
溜め息とamazing...ひとりごとを漏らしたところで、先客に気づく。
二十代のインド女子カーリーが座っていました。
彼女はインド人の女性には珍しいタイプで、一人きりでバックパックを背負って、
インド中ちょこっとネパールを、10か月かけて旅していた。
カーリー(つよくてこわいインドの女神)という名に相応しく、
芯が強い、でもとびきり優しく美しい心をもった女性で、
(インドで女性が自立するのはまだまだ大変。男尊女卑が根強いです。)
(比較的)年の近い私とたくさんお喋りしたかったの、、、と
私が去る前夜、暗闇のお散歩に誘ってくれました。
その日は、私のお誕生日で、そこに滞在している人達のだれにも言ってなかったのに、
なぜか暗闇でカーリーは「 When is your BD? 」と突然尋ねてきた。。。
え、、、
きょ、今日ですけど・・・ と驚きつつ
神様、満月のイタズラかな?
インド中ちょこっとネパールを、10か月かけて旅していた。
カーリー(つよくてこわいインドの女神)という名に相応しく、
芯が強い、でもとびきり優しく美しい心をもった女性で、
(インドで女性が自立するのはまだまだ大変。男尊女卑が根強いです。)
(比較的)年の近い私とたくさんお喋りしたかったの、、、と
私が去る前夜、暗闇のお散歩に誘ってくれました。
その日は、私のお誕生日で、そこに滞在している人達のだれにも言ってなかったのに、
なぜか暗闇でカーリーは「 When is your BD? 」と突然尋ねてきた。。。
え、、、
きょ、今日ですけど・・・ と驚きつつ
神様、満月のイタズラかな?
おかしく思い笑いながらこたえる私に、
彼女は、きゃあ~!と、ハグ&キスをしてくれました。
この若くて美しい強い女神様からのキスのblessing、
神様からのお誕生日プレゼントを愛おしく思った、
彼女は、きゃあ~!と、ハグ&キスをしてくれました。
この若くて美しい強い女神様からのキスのblessing、
神様からのお誕生日プレゼントを愛おしく思った、
満月の夜の散歩道を思い出しました。
日本に帰ってくると、月を見上げるのを忘れるほどに、
つい何かをしていることが多いです。
アルナチャラにいなくても、
本当は誰でもがどこにいても、大いなる地球や宇宙のグレースを受け取れる。
そのはずなのだけれど、
未熟な私は、月の存在やお日様や自然が与えてくれるものの大きさ、有り難さを忘れてしまう。
日本の、九州の月も星も十分に美しい。
日本に帰ってくると、月を見上げるのを忘れるほどに、
つい何かをしていることが多いです。
アルナチャラにいなくても、
本当は誰でもがどこにいても、大いなる地球や宇宙のグレースを受け取れる。
そのはずなのだけれど、
未熟な私は、月の存在やお日様や自然が与えてくれるものの大きさ、有り難さを忘れてしまう。
日本の、九州の月も星も十分に美しい。
コダイカナルの山で見上げた月も星もそれは美しかったけれど、
あの決して良いとはいえない空気のティルヴァンナマライで見上げた、
月と星の輝きはやはり格別。
カリフォルニアの田舎で見上げた広い空に浮かぶ満天の星々よりも。
月も星も、アルナチャラの存在を喜ぶように強い輝きをはなっていた。
その宇宙からのblessingがアルナチャラに注いでいるように感じる限り、
その宇宙からのblessingがアルナチャラに注いでいるように感じる限り、
私はまたあのエネルギーを感じにかの場所を訪れるのだろうと思います。
でも、
すべては変わってゆくものだから、
いつでもそうしなくなってもいい、という柔軟な心を忘れずに^^
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