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2017年6月22日木曜日

「私の部屋にはなんにもない」



こんにちは。
お元気にお過ごしでしょしょうか。
屋久島ハイウェイライフの私は、ちょっと参り気味、車の音に、、、
まさか屋久島くんだりで、川崎市にデジャヴするとはな 笑
部屋から空が見えないのがまた辛い、、、です、、、
車の音、トラックのエンジン音、シャッターが揺れる音というのは、、、
無機質すぎて、つらい、、、
意識して暮らさないと心が病みそう。
、、、屋久島くんだりで^^;   、、、ネタとしては面白いかも?!

インドはしゃあし(うるさ)かったけど、もちょっと有機的な音がした。
(しゃあしい、はウチの地方の方言。たぶん博多弁の「せからしい」が訛ったのかな。)
朝5時の鈴の音は、牛さんが乳搾りに出かける音。
ときどきモォ~と鳴く、
アンマの「そっちさ行くな」という「へぃっ!」という掛け声と。

5時を過ぎると、みんな門の前に水をまいて掃きそうじを始める音。
門の前にコーラムという米粉で書く、幸運のシンボルが家々の前を彩る。
(おぅえっ おぅえっ と家族全員がタンを吐く音も ^^;)
しかし、
このタンを吐く音も、笑えてしまうおもしろさを含むのがインド。
うるせーよっ!と毒づきながら、私は笑ってしまうのである。
アシュラムの滞在は、ご飯は美味しいし寺が近くていいけれど、私はやっぱりインドの人たちの暮らしを垣間見る暮らしが好き。
そこからヒンディズムについて、多くを学んだように思う。
ヒンドゥー教とはインドそのものだ、と以前ヨガの先生が教えてくれたことが腑に落ちる。
土地に根付いたインドという土地のエネルギーの表現たち。

ずいぶん前に誰かが、
「バリヒンドゥーはアニミズム(自然崇拝)だから共感するけど、
インドのヒンドゥーは、ちょっと違うかな。」
みたいなことを言っていて、へぇーなるほど、と思ったものだがそれは大きな間違い。
今年のインド滞在で、かの地は、生粋のアニミズムであることを思い知ることがあった。友人がそれに気づき、以来、意識してお寺などを見回すと、
ヒンディズムとはアニミズムでしかないのだ、とわかった。

詳しいことは書きたいところだけれど、
ここに書くとね、、、無断で引用して集客、ビジネスに、自分のblogやクラスで
我が物顔で使う人がいるので 、ごめんなさい、ここではシェアしません^^;

自分の修業にとって、そういうエネルギーとは間接的にも
今は関わりを持たない方が良い気がして。
私がこんなケチくさいことせずも、知ってるし、見られてるのですけどね、ぜんぶ。

バガヴァンは、宇宙は、
全部お見通し。

アカシックレコードとかも、結局バガヴァンの領域へのアクセスなのだろうなぁ、
なんて、ずいぶん前に道に迷って本を読みあさっていた時、ざーっと読んだ本のことを思い出したりして。



さて本題、
写真は今暮らしている部屋ですが、見てのとおり、「無い」です。
コタツ机をいただいたのですが、毎朝の瞑想とヨガでけっきょく移動しないといけないから、
アマゾン学習机をご愛用。手放せない。
穴があいているのが見た目には、おいおいなのだが、この穴をひょいっと持つと
移動が楽 笑
これは寝袋を買った時のものなのですが、そうご名答、布団もなくて寝袋で寝てました^^;
体調がずっとイマイチだったので、もしかしておぬし寒いのか!!!と気づいて、
(悩みに悩んで)布団は買いました 笑

ヨガするようになって、ずいぶん綺麗好きになりましたが、
瞑想するようになって、さらに暮らしがシンプルになった気がします。
整頓するのも大好き。
もっと良いのは、整頓するものが最低限であること。
持ち物とは、自分の頭の中を表している気がする。
ごちゃごちゃ何か考えているときは、なんだか部屋や荷物も雑然としている。

なにか素敵なものがあることより、「無い」ということに、より美しさを感じるし、
事実、
朝の瞑想のときも、周りになにもない方が気持ちが良い、ビューティフル。
実家の部屋は、もうちょっと家具などあるのでまだまだです^^; 
(ぜんぶ捨てたいが、日本は捨てるのにもお金がかかるから億劫です。。。)

今朝、台所付近で、
ごきぶりの糞とおぼしきものを発見し、そっこう台所の棚、整理、捨て。
食材の買い置きも最低限にしよう、と思ったところです。
「無い」方が掃除もざーっとしやすく、気持ちがいい。

偽物である外側は、
これまたその幻を作り出す内側(マインド)の表れなのでしょうね。。

このところは、お金も持ちすぎないようセーブしています。
(これは私の運命で、心配せずとも持てないらしいのですけど、占星術によると^^;)
単なる紙であるところのお金は、そこにどんなエネルギーがくっついてるによるのだろうし、
物質的な貯蓄と、魂への貯蓄って反比例しているように思う。
ほら、せっしゃ終活中なもので、いまは魂への貯蓄が大事なんです。

本物の侍ヨギー、沖先生曰くの、
「あっても無いと思え、なくてもあるように振る舞え」
が、
できるのであれば、なんでもたっくさん持とうかな、と思うけれど、
マインドが物質的なものに対して動くうちは、あまりたくさん持たないでおこうという流れ。

「すべてのものは地球からの借り物で、私のものはなんにもない!」
と本気で思えるようになった時に、私はリッチになるでしょう。
ここで言うリッチとは、
永遠に失われることのない溢れ出る内側からの愛と至福だけをみていきている、ということ。


殿様みたいに部屋の真ん中で寝ることはなんとなく憚られ、
隅っこで寝て隅っこで生活してます。。。
サリーとして着ていた5メートルの布を目隠しに。
持つべきものは布だな、など身勝手な断捨離^^;


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