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2018年1月23日火曜日

悟ってしまったらしい件


こんにちは(^^)
お元気にお過ごしですか。
毎日意図せず、3時過ぎとか4時過ぎとかに起きてるようなんですが、、、

こうなって来ると、どっからが夢でどっからが現実かわからなくなる。
アルナチャラならではらしい現象が起こっています。
「自我」の存在しない現実では、
肉体が眠っている時にみる夢と、
「私」たちが信じているこの現実は、なんら変わらない夢だとは、
数々の覚醒した人々が言ってはいることですが。

ラマナマハルシは、
寝てる時の夢との違いは、ただ連続性の有る無しか、と言ってますね。

ノンデュアリティでは、「個我」にとって連続しているように見えるだけで、
実際は、瞬間瞬間が新しい夢なので、そこに因果関係はなく、
何かしらの法則(運命とか)を「個人」が後付けしてる、と言います。
(それらのアイデアも全て、起こっているだけ、なんだそうですが、、、)


今回も、「K氏」の夢の話を記録しようと思います。
どうも「私」、悟ってしまったらしい、、、
そんな夢を見まして。

夢には時間が存在しないことは周知のこと、
過去がないから、記憶もどんどん砂の城のように、
つかもうとするとハラハラと崩れ去って、持っておけないでいます。
昨日のことが、何十年も前のことみたいに現実味をおびない。

この夢について、いくつか疑問を持ったとき、
似たような夢を見ている人たちがYouTubeでお話していたのですが、
記憶がほとんどない、と皆さん言うんですね。
なので、
覚えているうちに書いておくことにしました。

この夢の始まり、夢だけが起こり始めたのはたぶん、屋久島にいた時。
正確には、もっと前からちらほらと夢が現れることがあったのかな、という出来事も覚えていますが。
顕著なのは、このブログでもときどき書いていたように、
ヨガを教えることにほとんど興味がなくなった、ということ。
興味がなくなったというか、そこにこだわりがなくなったというか、そんな感じ。


いつからか、このブログ、ほぼストップしましたよね?
あれって、思考をキープできない状態が起こっていて書けず。
これネタになるなー書こっかなー、と思いついたことが、消えてしまっていって、
自分の意思では、キープできなくなってしまっていました。


この「私」の夢のことを、世間一般では「ノンデュアリティ」と呼ぶ人が多いようです。
Non Dual ふたつではない。
「いちなるもの」と言うと、2の存在を認めることになるため、このように言うようです。

すっかりやめたしまったヨガのお勉強、アドヴァイタヴェーダンタとかも、
同じなのかなー   やめちゃったから知りませーん。
ザックリでいいので、ちょっと気になる。  あくまでザックリ(笑)

屋久島で暮らしているあいだ、いつものように思考が浮かんできて色々と
この「K」さん(クマリでもカナコでもどっちでもいいけど)は考えていました。
忙しい時もあったけど、パートを始める前とか、信じられないくらいヒマな時もあって、
お金もないから遊びにも行けないし、友達もいないし、
(ガソリン代が高くってー。遊ぶのにお金がかからない、という意見もあるけど、
 それは一定収入ある人の意見だよね、だって山登りする登山口まで車で1時間以上かかるとこばーっかりだし)
ただ、
無駄に思考の渦の中にいて、自分の考えに疲れることしばし。

で、
この「K氏」、あるとき考えに考えまくった結果、ひとつの結論に達しまして、

人間がしている行為のすべては、自分のためであって他人のためとか社会のためとかなくね?
だって、
日本で人助けと信じてやってる行為が、実は地球の裏側で子供を搾取してたりして、
ぜんぶがうまく幸せなんてこたーありえんことやん。
自分が永遠のヒマの中にいる、ということに気づくのを恐れ、
その事実に気付かないために、忙しくあれこれやってるだけやん、
おそらく病気とか悩みもしかり、悩んでる間は、そのことで必死やもん。

なーんだ、人生ヒマ潰しだったー 
わたしもヒマだから、働いてるのかー、 ヒマ潰ししてお金もらえるとかラッキー☆

みたいな思考が夢の中で、起こったようでして。
それから、「嫌なこと」が少しずつ減ったような記憶があります。
てっきり、
毎朝の日課、フラワーエッセンスの「レスキューレメディ」が効いてきたんだと思っていましたが。

それでもしばしば、
仕事いきたくないなー 今日はやりたくない仕事がきそうだなー ぜったい忙しそー やーだー
とか思うこともあって、
特に台風の日に出かけて、外作業があるときの憂鬱さったらなかったね。

そういった時、無意識に、
「でもさ、ヤダっつっても、やらないかんわけよ。
台風きとるわけで、他にやる人おらんし。じゃあヤダって思うのは時間の無駄じゃね?」

みたいな自問自答が内側で起こっていたような。。。
そしたら、
不思議と「嫌だ」という気持ちが、仕事から離れてって、ふわふわーと消えてなくなったのを覚えています。
そのうち少しずつ「嫌だ」というのが現りつつも、こっちまで来なくなって、あとはもう仕事(行為)だけが起こっていたような感じ。
つまり、仕事(行為)に、嫌だっていう原因はないんですよねー なーんだ。

今年、
屋久島には台風が4,5回きたんですが、そうなると家で缶詰、
ひどい時は3ー4日、出れないこともあり、一人暮らし(ワンルームだし)は誰とも口きかず、、、みたいなこともありまして。
前だったら、「わーーー!!外に出してーーー!!!ひまじゃー!!」

ちょっと鬱気味?頭おかしくなりそう?とにかく気分の良いものではない状態になるところ、
最後の方の台風では、いつもと同じ感じで過ごしてて
レスキューレメディすごいなぁ、と思ったものです。

そうこうしてるうちに、秋。

ゲストハウスの方の仕事が終わりに近づき、
別になけなしのお金をはたいて車を買ってまで屋久島に住みたい情熱もないし、
引っ越しもめんどいしー、などなどあり、
パートも辞めて引き上げることにしたんですが、
パート先から、だいぶ引き止められました。
良い条件で話をもらったりして。 ありがたやー
(ボーナスのある生活に心が揺らいだことは確か。職場の人、全員が全員、良い人だったし。)

ここで言いたいのは、この夢の登場人物「K」の優秀さではなく、
マインドのない状態で、仕事だけが起こっている時に、良い感じで仕事が為される、という
バガヴァットギーターの教えの真理を思ったりして。
そう、個人(私)の不在、というのが、なんかスムーズみたいなんです、幻想の(夢の)人間社会では。
パートの仕事してて、やっとバガヴァットギーターの意味がわかったですよ 笑
(正確には、良い感じで仕事が為されない場合も起こり得るけど、それもパーフェクト。
 仕事の失敗を気に病む個人の存在は幻想なので)

「カルマヨガ」ってのは、給料もらわないで行うボランティアの仕事のことではないですよー 
無為の行為。 
つまり、行為者がいないまま起こる自発的行為。
これって自発的に起こるから、「カルマヨガ」やろうって発想が誰かにある時点で、
(やろうって思う誰かがいる時点で)
その仕事を、カルマヨガではないものにしてるっていうジレンマ。
ラマナマハルシも言ってるー 
カルマは自発的に起こる、つってねー
(ボランティアやろうっていう思考は起こるかもしれないけど、誰に対しても起こらない)

そんなこんな、
ぜんぜん興味ないパートタイムの仕事だったけど、なんだか楽しかったし、
暇つぶしで褒められて、
お金までもらえて、ていうことが起こったり、
日常の中で、そういう、ごく自然な、小さな変化が起こっていました。

あくまで「K氏」の夢の中で。

つづく
(かもしれない 笑)



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もはやヨガでもなんでもなくなってきたけど^^;



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