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2011年6月1日水曜日

10日間の心の手術 in千葉

初めに。
滞在中にお世話してくださったボランティアスタッフのみなさんに心から感謝します。
いつもニコニコしながら、備品は完璧だしトイレもピカピカ、
ゴミ箱からはいつの間にかゴミが消えてて、
雨の日にはマットや雑巾がさり気なく準備され、本当に快適に過ごすことができた。
私が行ったことのある歴代修行場ホスピタリティランキングをつけるとしたら
堂々の第1位!! 笑
    
ずいぶん前にこの団体の存在を知ったときは、
こんな物質至上主義の社会で寄付とボランティアだけで成り立つ団体なんて
あるわけないでしょ、と思ったのが最初。
大金持ちのスポンサーがいるか、実は宗教団体で別のことで資金集めしてるんでしょう、
と思っていた。
   
そして、10日間もの間、10センチとなりに人が寝ていながら
一緒に食べたり行動するのに、一切しゃべらない、目も合わせない、
ボディランゲージなしなんて、お喋りな私には到底無理だわーと思っていた。
   
ずっと興味はありつつ縁のなかった、ゴエンカ氏のヴィッパサナ瞑想合宿
去年スリランカのバーベリンアーユルヴェーダリゾートで、ちょっとだけ話した
名前も知らない人と再会などあり、ほーんと世界は繋がってるよなぁと思う。
  
簡単に書くと、10日間とにかく瞑想。寝て起きて食べては瞑想。
一日10時間くらい、坐り坐り坐り続ける日々だった。 
私にとっては久しぶりの修行で、
もーいーやーだー!やなのやなのー!!ってなることもしばしばw
   
最初にセンターにつくと、貴重品や携帯、ペンや本、お守りなど、
とにかく一切の情報や自分にとっての外の集中の対象などを預けてしまう。
自分自身を徹底的に観察するために。
    
初日は簡単な夕食をとって就寝。 
ごはんが美味しいの、これ 笑
この決して特別でなく、質素で美味しい食事があったから頑張れた気がしないでもない。
   
聖なる沈黙も心地よく、余計なお喋りは避けていけたらいいなーと思った。
喋ることで何か解決すると信じている人には苦しい行なのかも? 
残念ながら誰かと喋ってバカ騒ぎしたって一時凌ぎ、
なんも解決しないぜってことは、何年か前に知ってから辞めていたので、沈黙はオッケー。
  
ボディタッチも禁止だったのだけど、
帰りの電車が満員で人にぶつかられる度にすごい衝撃が体に走ったり
ちょっとした感覚の変化もあった。 (これはすぐ消えたw)
   
   
千葉の施設は、大部屋とテント(個室)があった。
私は大部屋だったけど、あんなに大人数の見ず知らずの他人たちと
一緒に寝ることは滅多にないな、とちょっと面白かった。
異空間。
     
初日はイビキがうるさくてまったく眠れず耳栓してたりしたけど、
翌日からは大声かつ博多の人にもわからんような激しい方言でハッキリと寝言を言うほど
爆睡。
いい感じであつかましく?おばさんに?なったなぁと。 ははは
いやぁ修学旅行とか、一睡もできなくて蕁麻疹とかできちゃう子どもだったもんで。
    
肝心の瞑想は、あんまり集中できてない。
そういう自分の、サルのように飛び跳ねる心との根競べだった。
あっちにいっては引き戻す、そっちへいっては
今この瞬間の自分に起こっている現実に引き戻す、という感じ。
   
運動しないからガスが溜まってしまい、こんな静かなとこではオナラできーん!
とホールでなく部屋で瞑想する日もあった。
新しい生徒の人は大体みんなホールにいたなー
   
ここだけの話、
嫌になったら、もーやなのやなのー!!と枕に顔を押し当てて手足ばたばた、
子供みたいになっては、ダダこねてもしゃあないっしょ、と自分に言い聞かせた。
  
便秘になりたくなくて、毎日コーヒー飲んだり朝は消化の悪い玄米やめとこ~
今日は寒いから陰性の強いバナナは避けよ~とか、豆乳にハチミツ入れて甘くしよ~とか、
いつものごとく食事への想像に執着してたり。うへ。
    
ラッキーだったのは、TTCでのたった30分の瞑想では、
股関節が痛くてたまらなかったのに、今回あれだけ坐っても足に全然こなかったこと。
途中からヴィパッサナ瞑想指導が始まり、
1時間×3回/day、絶対に動いてはいけない瞑想タイムがあるのだけれど、
足が痛くならない自分の成長をちと褒めてあげた。毎日のヨガ効果ですな。 
その代わり、背中にきた。 
   
誰かが言ってたけど、股関節は強情、腰痛は怒り、とか言われてるんですって?
肩と背中はなんだろう? 知っている方いたら教えてください。
 
いろいろ過去の嫌な思い出が溢れて苦しい人もいたみたいだけれど、
私は楽しい思い出と楽しい未来の計画しか浮かばなくて、
それはそれで楽しいからそっちに執着しちゃって心を引っぺがすのに苦労した。
  
  
夜に1時間半の講話があり、ここでかなり混乱した。
どうしてもヨガの話と比較しながら聞いてしまうので、
否定的感情が生まれたり、ヨガのほうを正当化したくて葛藤した日もあった。
それこそが執着、欲情なのよね。
   
ちょっとくらいヨガの知識を知って天狗になってる私の心のおごり。ヨガへの執着。
良い気づきの一つ。 
雨降って地かたまる。 
波風起こっても、静かに見つめていれば
客観的に自分の状態を見つめられるようになるもんだな~と。
目をつぶってスルーするでも、否定するでもなく。
  
でもこの講話、あくまで真実をズバズバと申していくので、ちょっとスッキリもする。
もともと聖者たち(キリストや釈迦)は、同じただ一つの真実を語っていたはずなのに、
頭の狂った人たちが宗派や哲学を作り云々~ のくだりなんかは噴出してしまったw
辛辣だけど、ひっくり返しようのない真実で、なかなかおもしろく、楽しんだ。
一番前で耳栓してる人もいたぞよ。なにか気に食わなかったんですかね。
   
実践あるのみ、体験あるのみ、という点はヨガと一緒ではあるけど、
逆だな~と思ったのは、
体の動きでゆがみを治したりといったことはなく、痛かろうが痺れようが、
動くな!!強い決意で!! という点。
痛みも痺れも永遠はなく、いずれ消えていくから見つめていなさいってことなんだけど。
(ごもっとも!死んだら肉体は終わりですもんね!なんやけど、
私はこれ以上歪むのは嫌ですぅ、と一時間おきに必ず左右の足を変えていた) 
 
 
日常はまだヨガでいいな~と思いつつ、
またチャンスがあればヴィパッサナで修行したい!と思った。
あ、あと私はバジャンやプジャなど、
宗教儀式のようなものに全然抵抗ないからいいんやけど、
日本人に多い宗教嫌いな人たちにはとても向いていそう。
  
チャンティング(聞くけどね。唱えはしない)もないし、儀式めいたことが一切ないから。
集中の対象がないのってハードル高いと思うから、大変だとは思う。
マントラなど唱えると、やはりエネルギーを持ったものだから、
どうしてもそちらに意識が集中してしまい、心と体に集中しにくくなり、
結果、心の表面の浄化はできても、
潜在意識の奥底の汚濁を浄化することはできない、という解説があった。
(こういう解説だから、混乱しちゃったのだ。)  
 
終わってから羽田に向かうとき、周りの知らない人たちに、
ありがとう!ありがとう!って言いたいような幸せな気持ちと自然に笑顔がやってきた。 
ニヤニヤあやしいやつ。
  
自分自身と向かう良い時間が過ごせた。ありがとう。
メッターをこめて。(とかさっそく言ってみる)
  
 

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

こんにちは~!去年の秋、リシケシで出会ったYokoです。覚えてますか?
あちこち行って、いろんなこと体験してますねぇ。。座禅断食もヴィパッサナーも。。
どれも私も興味あるものばっかりです!
9月まで働いて、10月にとうとうシバナンダヨガのTTCに参加することにしました^^