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2017年3月1日水曜日

2月の覚え書き日記

愛犬ぷち。ぷっちゃーん。

こんにちは。
いかがお過ごしでしょうか。
こちらは少しずつ暑くなってきて、春までいれるのかな私、、、
とちょっと心配。
先日、電池を買ってきて、果たしてこの隙間だらけの家でエアコンは効くのか
疑いつつも、ちゃんと動くのか試してみたりして。
今のところ、すこぶる元気で元気過ぎるくらい。
すくすくと太ってるようで、先日はメニューも名もなき食堂のアンマに
ほっぺたギューとされました。。 

やっぱりなかなかどうして書きたい欲が湧いてこないので、
書き留めるという行為を覚えている日は(そっちを忘れる)、
ちょこちょこと短く日記にしてみようかな、と思います。
面白いことが書けるといいんですが。
っていうか、一体いつインターネットカフェでアップできるのか、
と思いつつ書き留めること、努めたいと思います。
、、、別に仕事じゃないから努めなくてもいいのか^^;

【2月15日 水曜日】
4時頃目を覚ますと、ルームメイトの姿がもうない。
チダムバラムに朝から巡礼に出かけると言っていたにしても早いなぁ、と思いつつ
身支度を整え、プラダクシナ(山の周りぐるり一周)に出かける。
朝早いのと、瞑想状態に入ってくるから、追って来る物乞いの人の相手ができない。
と、考えた作。
歌って踊ってみる。
今のところ100発100中、避けてくれる。
聖地で頭おかしくしちゃう外人が時々いるので、その類と見なされているのかな。
とにかく、そっとしておいて欲しい時には歌と踊りの提供、もしくは独り言に限る。
最近のお気に入りSongは、友達の子供が幼稚園で歌っているという「のの様」のお歌。
のの様 = のんのん様 = 観音(かんのん)様
ということらしい。
大人が歌ってると、確かになかなかイカレタ風でイカシテルし、聖地にはぴったりな選曲かと。
いつも通り、2時間40分くらいで14キロのウォーキング瞑想終了。
ミルクを買って朝ごはんを作って食べ、お寺へ朝の瞑想へ。
一度帰宅し、もろもろ家事を済ませ、今度は読書中の本を持って寺へ。
お昼を作って食べて、こまごま家事をし、夕方のヨガをして再び寺。
一日中、マウナ(沈黙)で過ごし、すごく良い感じ。
3度も健康的なお通じがあり、心身ともにとてもクリアな気分。
体はマインドに属するものだから、マインドをクリアにすれば自然と体も浄化されることを、
ここで瞑想三昧していると体感する。
マインドは瞑想により浄化されてゆきます。
夜の瞑想後、帰宅すると、巡礼から戻ったルームメイトの姿。
2時半に目が覚め、そのままバスに乗って、予定と違うカーンチプラムが頭に浮かび巡礼に出ていたそう。
バス停の前のSri Krishna Sweetsであま~いインド菓子をお土産に買ってきてくれた。
日本だととても食べれない甘さ&オイリーなのかもしれないけど、インドだと意外とすすんじゃう。
明日食べるのが楽しみ、、、☆

【2月16日 木曜日】
4時半頃目が覚めたので、身支度を済ませ、家のお花の木から花をいくつか摘む。
自分の頭にも白くて小さな花を一輪飾る日課。
インドのこの、生花を髪飾りにする習慣が愛おしい。
みずみずしいお花を飾ったサリーのインド人女性の美しさ。元気になる。
家に花の木があるのが嬉しい。
昨年はお庭にプルメリアはじめ、花々が咲くおうちに住んでいただけに、ちょっと寂しい感じはあるけど、
それでも何もないのとでは全然ちがう。
お花を捧げて、30分ほど瞑想し山へ。
なんとなくいつも行かない上まで登って瞑想するも、けっこう風が冷たくて、
呼吸法と短い瞑想を済ませ下山。
来た道と反対の町の方へくだる途中、こんなところにこんな洞窟あったっけ?
入ったことのなかった洞窟にひょいと入ってみると、
若いサンニャーシンがちょうど祭壇を浄めており、中まで来い来いと言ってくれる。
正座で歩をすすめても頭を打ってしまうほど低い天井の洞窟、祭壇に礼拝すると、
ビブーティ(聖なる灰)をすすめられる。
一輪の赤いバラをプラサードとしていただく。
朝からお花をいただくと、何て麗しい気持ちになるのだろう。。嬉しい。
町におりて、フルーツを買い、
こないだ見つけた薬膳系?のメニューも水道も名もなき食堂に入り朝食。
なんなら英語の表記もないし、英語の数字すら通じない潔さ。
タミル語の数字を客のおっちゃんに教わりつつオーダー。
アンマが顔を覚えていてくれてよくしてくれるのはいいが、会計を間違えられる。
英語も通じないし、インドドネーションはやっとくに限るので訂正もせず。
ここのご飯はニンニクが入ってないのか、インド料理特有の後引くスパイス味がなく、
食べ終わったあと満腹でもいつも「チャイチャイチャーイ!」となる感覚がない。
家でコーヒーをネルドリップして、テラスでお土産の甘味、をルームメイトといただく。
テラスがあるって幸せ。
いつのように昼頃、寺に出かけて瞑想し、お昼を作って食べ、
夕刻にはヨガをして、夜の瞑想に出かけ一日を終える。
薬草入り、緑のむるかったんドーサ。

【2月17日 金曜日】
4時半頃起床し、いつものごとく花を摘んで寺へ。
30分ほど瞑想し、山へ登り、呼吸法と瞑想をして下山。
一度帰宅し7:45のミルクマンを待ちつつ、大家さんの愛犬プチと遊ぶ。
インドの犬はかわいい。
野良でも可愛いな、と思うとナデナデしちゃう。
めっちゃ吠えられて石を掴むことも多いけど、、
近所に子犬を見つけてしまったが、昨年、本気で遊んでしまった結果、
パンツ(服の方)を食いちぎられてしまったので、今年は子犬と力いっぱい遊ぶのはぐっと我慢。。
何を間違ったか鍋いっぱいにチャイを作ってしまい、ルームメイトとシェア。
もう一軒の寺へお参りしに出かけると、小さなホーマ(護摩)をやっており、
ワオ!ラッキー(護摩好き)と火の前に座らせいただく。
こっちゃ来い、とプジャリーさんがビブーティをすすめてくださるので、いただく。
ひとしきり瞑想し、最後にプラサードのお花をくださったので、髪に飾る。
昨日に引き続き、朝からお花をいただくと、なんて美しい気持ちになるんだろう、と思う。
ただいま魔女見習いを目指し魔力をためるべく(?)育毛中なのでショートの時よりお花が似合うから嬉しい。
その後、いつものお寺で瞑想、生地屋さんへ出かけあれこれ下見して、食材を買って帰宅。
ルームメイトの魔女が、餃子と雑穀のお粥、サラダにデザートとフルコースでご飯を作ってくれていた!
嬉しい!
今年は一回もお腹壊すことなく過ごせているのは、やっぱりこういう優しい味があるおかげだな~と思う。
アタ(全粒粉)だけで作ったという餃子の皮はもっちもちでとっても美味しかった。幸せやー
食後にお茶をいれて、ムルックという米粉のインドスナックをつまみつつテラスでまったり。
テラス最高。
夕刻のヨガを済ませ、寺へ夜の瞑想に出かけるも、おでこの真ん中を蚊に刺されてしまい、
早々に帰宅。
そういえば、護摩のとき、第三の目のところに護摩で使うギーをつけていただいたから、
その香りに蚊が寄ってきちゃったのかな?

【2月18日 土曜日】
3時半に目が覚めたのでプラダクシナへ。
いつも日が登る前に帰りたくて、けっこう早歩きなので、このくらい早いとゆっくり歩けていい。
今朝は、いつもの物乞いのおばちゃんの前で、「歌えばんばんばんば~ん♪」と景気良く歌って踊ってみる。
うん、やっぱ避けられる。ナイス^^
時間に余裕があるから、いつも気になりつつ参拝できないでいるお寺に入ろ~♪とウキウキしていたが、
土曜だからか、朝早いからか閉まっており残念。。
ビッグテンプルの前で、山で会う憎めない物乞いのおっちゃんに会い、
「ちーっす!」と挨拶すると、乞うことなく「ちーっす」と返してくれる。
山への出勤はけっこう遅いけど、意外と早起きなんだな。
朝のチャイ代でも乞うてるのかしらん、など。
大きな木をご神体としている小さなお寺にちょっと寄ってみたりしつつ、
最近見つけてお気に入りな、外人来ないようなヨロズ屋で野菜を買って帰宅。
いつもマニラ(タミル語でピーナッツ)を買うので、マニラの女として覚えられている様子。
今日も3時間弱くらいで歩き終わったかな。
ルームメイトの魔女が美味しいミルクコーヒーをいれていてくれていたので、
バナナパンケーキを急いで焼いて、テラスで朝日を浴びながら朝ごはん。
その後、昨日の残った餃子の皮に、残ったお粥プラスチーズをいれて、
再び焼いてくれたので、調子にのって二人で朝から腹一杯食べる。
生理前の女性の満腹中枢は完全にイカレていると思う。
ゆえに気にしないでおくのがいい。あるがままで。。
でも今回は、ホメオパシーのティッシュソルトを飲んでいたためかPMSが軽かった気がする。
早朝のプラダクシナのときも股関節や腰がなんとなく痛いかも?ってときにそなえて、
ポッケに神経痛のレメディを忍ばせていて、よく効く。
ホメオパシー、いい!
いま飲んでるのは、白髪が消えるやつ。
お寺に瞑想にいくも、何度口を閉じても、口を開けて寝てた模様。
町にフルーツを買いに出かけ、お昼を作って食べ、お茶飲んだり、お菓子食べたり、
くるった満腹中枢のせいにして、食べつづけて午後を過ごす。
夕刻のプージャ(お清め)の時間に寺へ出かけ、チャンティングを聞きながら瞑想。
週末で人が多いので、早々に退散し、もう一軒のお寺にお参りして帰宅。
今日も、飲料水を届けてくれるオヤジが来ないので、電話で催促。
ムーンディが来たので、路上のココナッツスタンドに寄って飲み食い。
ココナッツ屋のアンマはほとんど皆、気立てがよく可愛い。
そして旦那がロクデナシなパターンが多い気がする、、
ムーンディを理由に、夕刻のヨガはなし。


【2月19日 日曜日】
4時半に目が覚めるのが当たり前になってきた。
沖縄でヨガの仕事をしているとき、このくらいに起きて、
瞑想してから仕事できたらサイコーなのになーと思っていたのに、
目覚ましかけても5時が限界だったことを思い出す。
インドは、だらだらと眠っていられない。
かっ!と何者かに呼ばれるかのように目が覚める。
お花を摘んで、お寺で瞑想後、山へ。呼吸法と瞑想をして、一度帰宅しミルクマンを待つ。
フルーツなど食べ、お寺にご挨拶し、朝ごはんを食べに。
大好きな南インドのTiffinのひとつ、イドゥリ(お米を醗酵させて作る蒸しパン)を食べるつもりが、
隣のおじさんが食べるポンガル(スパイスと共に炊いたお粥のようなもの)に惹かれてつい、
ポンガル&ワダ。すごい量でお腹いっぱい、、、
もう一軒のお寺に出かけ、瞑想していたら、いつのまにか気持ち良く眠ってしまう、、
アルナチャラ(聖山)のもとでは、居眠りすらサマディになるそうなので、サマディってことで。
帰宅して、床の雑巾がけやテラスの掃き掃除をしてスッキリ。
ルームメイトがチャイをいれてくれたので、クッキーと共に楽しみ、
テラスでクマリ美容室臨時開店、魔女の髪を切ってあげる。
だんだん暑くなってきたけど、
ここティルヴァンナマライはアグニ=火のエネルギーの土地、
ぴかーんと日差しが強く暑くなると、インド人女性の日に焼けた黒い肌に栄える派手なサリー、
そして長い髪にゆれるジャスミン、生花のいきいきとしたエネルギー、一層その美しさが増す気がする。
南インドを大好きになる季節がやってきた。


【2月20日 月曜日】
4時前に目が覚めたので、プラダクシナ。
この町一番のイドゥリー(お米を発酵させて蒸しパンにした南インドの定番朝ごはん)と友人が言う、
家庭料理を出すおうちへ行きたくて、急いだつもりが7時に帰宅。
7時半過ぎには売り切れてしまうそうなので、慌てて身支度をして出かける。
ランチを食べには行ったことがあったけど、朝ごはんは初めて。確かにおいしい!!
食後のミルクコーヒーを飲めるのもとても良い。
注文方式がわからずアンマに怒られるが、この愛想のなさ商売っ気のなさから
観光客には敷居が高いらしく、確かに住んでるいる人や長期滞在とおぼしき顔しか見かけない。
久しぶりに友人にも会えて良い朝。
一度帰宅して、お寺へ瞑想に出かける途中で、マドゥライのヨガアシュラムからやって来た友人と再会。
近況報告など。ヨガアシュラムは相変わらず色々と大変そうだ。
喋りすぎると、気が上がってしまうよう。
夕刻のヨガをするも、いまいち落ち着かないまま、生地屋さんへ出かけようとするも、
うんこを踏んでしまったり、足止め的な出来事が起こり、買い物してる場合ではない、と
寺でしっかり長めの瞑想、夜は沈黙を保つ。
ようやくいつも通り、地に足が着きました。

【2月21日 火曜日】
5時半過ぎに目が覚める。寝坊。
夜中に蚊がいて電気をつけてぼーっとしていたからか。
お花を摘んで寺へ、しばし瞑想後、山の少し登ったところで呼吸法と瞑想。
もう一軒の寺へ朝のお参りにいくと、いつもいるプジャリーさんが顔を覚えてくださっていたようで、
こっちゃ来い、と額いっぱいにビブーティを塗ってくださる。。
顔を洗ったばかりなので、朝は聖灰をあまりつけないようにしているのだが。
シヴァ派のヒンドゥー教徒になった朝。
ルームメイトがミルクを買っていてくれたので、バナナパンケーキとチャイの朝ごはん。
再び寺へ出かけ瞑想。
その後、サリー用の布を生地屋さんで見繕う。
ばりばりサリーだと後の始末に困るので、あとで服に仕立てられる地味目の布、
まとってみると、やっぱり地味でサリーはやっぱり派手だから素敵なんだな、と思う。
そして私の顔はインド人に比べ超地味、という事実を忘れちゃってたねー
何度か着ているうちに、サリーを自分で着れるようになった。着物より簡単。
夜のお出かけにそなえて、午後はおやつの蒸しパンを作ったり、持ち物を確認。
もうすぐMaha Sivaratri、ここSivaの聖地ではビックイベントのひとつ、
なんだか町全体が浮足だっているのを感じるし、自分のエネルギーも
ちょっとふわっとして落ち着きがないのを感じる。
こんなときこそ瞑想だな、と思う。

【2月22日 水曜日】
夜10時半の夜行便で、朝5時過ぎにマドゥライ着。
日帰り瞑想巡礼の旅。
マドゥライは2回目。
前回は入らなかった、女神ミナクシをまつった大きなお寺へ。
なんだか不思議なライティングのおかげか、宮崎映画の世界。
残念ながら、外国人はダルシャン(日本語だと謁見というのかな?)を許されないので、
ご神体まではいけじ。
前回の記憶を頼りに、ラマナマハルシ縁の場所へ。とても心地好く瞑想させていただき大満足。
かっ!と目をあけ、アルナチャラに帰らなくちゃ!と思い立ち、
Narasu's coffeeで挽きたてコーヒーを買い、カディショップで生地をさっと選んで、
午前中のうちにバスに飛び乗る。
私にとって、アルナチャラへの道はいつも容易い。
目に入った一台目のバスに、バススタンドの名前もわからないままに尋ね、連れていってもらえる。
思い返してみればそう、
自分で選んでこの聖地にやって来たと信じていたけれど、実は道はいつも用意されているのだ。
初めてこの地に来た日も、タクシーにリクシャ、泊まるところ、あまつさえご飯も全て用意してもらえていた。
そして、山の頂上には火がともっていた。
それが特別な日だと知らずに、山を見上げたことが懐かしい。
退屈だし、ここにいてみよう!と2回目に何もわからないまま荷物を抱えてやって来た時も、
お金のない私にぴったりの小さな部屋が用意されていた。(家賃はドネーション!)
何もわからない私は、いつもの皮肉屋っぷりで、なにかにつけてケチをつけていた気がするけれど、
なんという思い上がり!連れてきてもらえてありがとう!
帰りはティルチラパリ乗り換えで、7時間以上かかってヘトヘトなのに、
戻ってきた安心感か、プラダクシナ精神か、バス停から3キロほど歩いて帰宅。
ひさしぶりの旅の疲れ。

【2月23日 木曜日】
夜遅かったのに、最低でも5時半には起床する癖がついている様子の体。
いつも通り山にいったり瞑想したりの朝。
友達にバイクにのっけてもらい、少し遠いけど、オイルもスパイスも少なめの
優しいインド家庭料理を食べに。やっぱり美味しい!
さらに10キロ弱離れた小さなお寺へ出かけ、近くの美味しいチャイ屋で、
ひさしぶりのチャイを飲みまったりと午後を過ごす。
ふつうのことをしているのに、自分がやっているのではないような感覚、瞑想的。
やっぱりここが落ち着く。

【2月24日 金曜日】
シヴァラトリ。
シヴァ神のビッグイベント、夜中、お寺ではプージャや歌が。
夕方、サリーを着てお寺へ。
プージャの途中でお腹が空いたな、と外に出るとちょうどプラサードが配られていて友人たちといただく。
アラティで点された火が、うおー!とプジャリーと人々の勢いで運ばれ、牛舎の方へ向かっていくのを
眺めていると、プジャリーさんの一人が、「オデコに横線」というジェスチャーと共に、カモン!と示すので、
うおー!と着いていってみると、牛舎の横で何か山になっているもの。
火が点され、歌、歌、歌、チャンティング、チャンティング、チャンティング。
毎年この様子を見ていたものの、なんのこっちゃと思っていたのだが、
お寺で働く知人が、ビブーティを作っているのだ、と教えてくれる。
そうビブーティ(聖なる灰、ヒンドゥーの人々がおでこにぬるやつ)は伝統的には牛糞から作られているのだ。
インドは、牛からのものは何も無駄にしない。
こういった伝統的なものを垣間見るにつけ、昔は生活全般に無駄ものなど存在しなかったのだろうなぁと思う。
興味深い。
さすがに一晩中いれる気がしなかったので、ココナッツを飲んで、友人とおうちでコーヒーとスィーツなど。
フェスティバルは季節が変わるタイミング。
インドではまだ自然の流れ、宇宙の流れに沿って祝日がある。
日本、、、山の日って、、、おいおい。。

【2月25日 土曜日】
遅くなってしまったけれど、4時には目が覚め、眠気まなこでとりあえず巻いとけ!とサリーをまとい寺へ。
朝の最後のプージャだけ見物し、瞑想など。
一度眠ろうと帰宅するも眠れず、友人と合流しプラサードをいただき、
バイクにのっけてもらい街のシヴァ寺へ。
太陽の日差しで熱されたお寺の石床が暑くて、足の裏ヤケド寸前、ぴょんぴょんと飛び上がる。
木陰で休んでいると、バースデーガールがやって来て、HAPPY BIRTHDAY、とキャンディーをくれる。
インドではお誕生日のひとが何かくれるのだ。可愛い。
布を選んだり、フルーツを買い込んだりなどし、カフェでゆったりと過ごす。
冷たいジュースなんて日本では飲まないけど、インドでは解禁!
エアコンがないから、日本みたいな冷え方をしない気がする。
あんまり寝てないけど、意外に大丈夫なのがインド。

【2月26日 日曜日 新月●】
4時頃目が覚めプラダクシナ。
どうせ交通量が多い場所で、顔は煤だらけだろ、と早朝プラダクシナは顔も洗わずに出る。
鼻と歯だけ洗って、水と緊急時の小銭とお守りだけ持って、起きて10分ほどで出発する。
おっさんだナ。。
ちょっと遅かったからか、いつも気になっていたお寺があいていたので入ってみたり。
帰宅後、寺へ出かけ瞑想。
Sri Maha Rudramのチャンティングが響き渡る場所に座り、深く瞑想に入れて気持ち良い。
なんだか調子いまいち頭痛がするし、食欲いちまいちなので朝はフルーツだけにして、
友人と合流しインド人のアンマが自宅でやっている食堂へランチ。
やっぱりいまいちだな~と思いつつ、頭痛用のホメオパシーレメディをとって、
うちでお茶をいれてスイーツなどいただいていると、急激に気分が悪くなって冷や汗、吐き気。
友人がいるにも関わらず、ベッドに横になって起き上がれなくなってしまう。
人前でこんなことはないんだけど、ここではもう出るものは出るしかないって感じ。
日本だと同じ症状が夜から明け方まで続いたりして、吐いたりしちゃうとこだけど、
1時間ほど眠るとだいぶスッキリして、トイレにいってすーっきり。
新月の排毒かな。。
日食も重なっていたらしいし、体の反応がどんどん正直になる。
チャンティングもパワフルだった。
ここではマインドの浄化から、身体も一緒に浄化される感。
身体はマインドに属するものでしかない。
自然にパンチャカルマが起こる感じで、アーユルヴェーダのスペシャルメニューとか必要と感じられない。
せっかく南インドにいるから、と調べたりもしたけど、たいして毒が溜まってない感じ。
深く瞑想して、軽く断食などして静かに過ごしていれば、
だいたい抜ける身体になったような気がする。
お寺に夜の瞑想に出かけ就寝。

【2月27日 月曜日】
4時半頃目が覚め、寺に花を摘んで出かける。
6時からMaha RudramのHomma(護摩焚き)があるってんで、とても楽しみに、
瞑想室でいつものように軽く瞑想し、ウキウキと場所取り。
素晴らしかった。。
炎は、不幸というヴェールをまとった無知を焼き尽くす光、真理を照らす知恵の光。
目に見えないけれど、圧倒的なエネルギーの場所にいくと、勝手に瞑想がやってくる。
2時間ほど見物したり瞑想して一度帰宅し、ポンディシェリに移動する友人と朝ごはん。
外人の女が来るのは珍しいのか、アンマもおじさんもチヤホヤしてくれる、
通称チヤホヤ食堂(って私が心の中で呼んでるだけ、、)は、ワダやプーリといった揚げ物が
クリスピーで美味しい!
同じメニューなのに、揚げ方やちょっとしたレシピの違いで味がぜんぜん違うんだな~
朝は山に登ったり、10キロ以上歩く瞑想しているので揚げ物ぜんぜんオッケーとす。
バススタンドまで友人を送ってゆき、入ってみたかった寺へふらりと入ってみる。
ご神体にお参りしていると、プジャリーさんが火とビブーティをくださり、
プラサード!と、お花をくれる。
ダクシナ、ダクシナ!(寄附、寄附)と積極的にお金を要求され一瞬ぽかん。
珍しい。
いただいたお花が、あまりにピンクで恥ずかしいのだけど、フレッシュで美しかったので、
髪に飾り町を歩く。
色んな人が微笑んでくれたり、お店の人たちが声をかけてくれる。
サリーを着ている時もそうだけれど、外人が自分達の文化に寄り添うと嬉しいのだろうなぁ。。
私も嬉しい。
久しぶりに自炊をして、薄味なので食べすぎたりして、夕刻のヨガでお腹が重いも、
お寺へ夜の瞑想へ出かける。

【2月28日 火曜日】
4時半頃目が覚め、ちょっと寝坊だな~とプラダクシナはやめ山へ。
中腹から、少し町の方へ下り、いつもいかない洞窟へお参り。
蚊がすごくて、瞑想は一瞬で済。
来た道を戻り、いつもの岩場で瞑想。
久しぶりに山に2時間ほどいたけど、やっぱりいいな~
くだって来てからの寺での瞑想がめちゃくちゃ良い!
シヴァラトリという一大イベントの終わり、季節の変わり目、暑くなるってんで、
ヨーロッパの人々が続々と帰国しているのか、全体的に静かで心地好い。
一度帰宅してフルーツだけ食べたら、倒れるようにベッドで眠っていた。
珍しい、気持ちい~
ルームメイトが、ウップマという南インド料理とサンバルを作ってくれるってんで、
私は雑巾がけとお皿洗い。
一人暮らしにも慣れてるし楽しいけれど、人と暮らすのも楽しい。
しかも料理上手な人だと、楽しさ倍増!
一時的にこうして友達と暮らしているだけでも、
自分が一人ではないという錯覚を起こすことがある。甘えが生じるというか。
これが家族になってしまったりしたら、死ぬ時に自分が一人で死ぬのだという恐怖、孤独、
その強烈な恐怖の記憶により人は再び生まれ変わってしまうのだろうな~など、
相変わらず頭のおかしいことを考えたりなどす。
人といると、自分の中の孤独と向き合うことを忘れてしまうんじゃなかろうか、と思う。
孤独というものがネガティブではない、ということを知ってゆく作業も瞑想で起こるひとつのこと。
ネガティブかポジティブかは、マインドが決めることで宇宙の法則の中では決まっていない。
どんなに誰かと一緒にいたくても、生まれる時も、死ぬ時も物質的には一人だもん。
肉体でなく、時間や空間を超えて、もっと微細なレベルで繋がっている、境界はなく同じだということを知れば、
きっと死ぬ瞬間の恐怖っていうのはないんじゃないかな~と思う。
それは肉体の死ぬときに見てみましょう。
夕刻のヨガをして、寺で夜の瞑想。
心地の良い静けさが広がるビューティフルnight...