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2018年5月2日水曜日

なにも繋がってなかった件



気がつけば5月!
お元気にお過ごしでしょうか。

やっとあったかくなってきました~ か?
私はまだまだ靴下3枚はいて寝ていますが。
冷え取りグッズは日本では必至。

肌寒いとき、シルクのロングパンティなるものを着用してみたら、
包まれるあたたかさ、肌当たりの優しさに感動。

しるくふぁみりーのマーガレットシリーズです(^^)



先日ふと気づいて、へえ~と思ったことなんですが、
世界はなにもリンクしていなかった、ということ。
淡々と興味深かったです。

その時の状況は、ちょっとおもしろすぎるため、ここでは書けないのですが、
別の例えで。

行きたくないな~ やりたくないな~ イヤだな~
という感情が起こることと、
実際に、その行きたくない場所や、やりたくないことをする状況が起こることは
無関係だということがクリアになりました。

具体的には、、、
私はアルナチャラを早朝に登ります。
朝7時前には、お腹すいた~~!!って山から下って来るから、
一目散にご飯を食べたい、ゆえに誰とも話したくないんですね^^;

特に話が長い友人とか、英語で喋れないといけないってなると、
もう腹はペコペコで、英語脳にまわすエネルギーはない。
日本語でさえ、話を聞く分のエネルギー分は空っぽ。

「あ、前の方から外国人の友達が登ってくる。やだなぁ、早くご飯食べたいのに、、」
この感情が起こります。

でも実際に、友達と話し始めると、この感情はもう存在しません。
早く立ち去りたいな~という、前に起こった感情からつながる気持ちが湧いてこない。
(湧いてくるかもしれないけど過去の出来事とは、なにも繋がりはなく起こるだけ)

1分前に起こった感情と、
友達と話すという出来事、この人物は、 なにも繋がっていない。
瞬間瞬間に、なんの関係もなく、
出来事 感情 感覚 思考 それらが起こっているだけ。

言葉にすると分かりにくいです^^;


その時、ただその感情だけが起こっただけで、
人物も出来事も存在していないし、
その後、実際にその出来事が起こったとしても、その感情とは無関係。
その感情はもう、どこにもない。

誰もいない、というのは、その感情や感覚、思考の持ち主がいない、ということ。
友達がうまい例えをしていたけど、
「分厚いタイヤみたいなものに阻まれてる感じ」
そういう感じで、感情のくっつきどころが、もはやない。
実は、最初からなかったけれど、「私」という幻が勘違いして、
「私のもの」にしていただけ。


このことがクリアになって、
原因と結果なんてものが存在しないこともクリアになりました(^^)

因果関係、これは最後まで存在するんじゃないか、と疑っていたから
すっきりした。

「解放」はインドで起こった幻か?と思っていたけれど、
そう思わせるほどに、ごく当たり前になってしまったようです。

なんの疑問もなく、
ただ起きてることが起きてるだけ。 

ただ それ だけ。
それ しかない。 


このblogを検索すると、「すべてに意味がある」というログが出てくるみたいですね^^;
360°変わって申し訳ないですが(笑)
「ぜんぶ無意味」でした(^^) すべてに何も意味はないです。
意味を持たせていたのは「私」
「私」は幻想で、ずっといませんでした。
「私」だけが、明らかなそれを知りませんでした。


起きてることが起きてるだけ。それ だけ。
起こる「べき」ことなんてない。 する「べき」ことなんて存在しえない。


ノンデュアリティについて調べていたときに、どなたかのblogだったと思うけど
「淡々として面白みのない世界だった」
みたいなことが書いてあったけど、

このノンデュアリティの現実は、何か一時的な体験とか、なくなったり変化するものではなく、
何かと比べて面白いとか、楽しいとか、幸せとかそういった相対的なものではない。

それ しかない。相対しようがない。
起きてること、すべてが それ。  

それ しかない。
永遠の気楽さだけが淡々といつもある。 それが「それ」
怒りも悲しみも欲も 「それ」

でもこの、何とも比べようのない永遠の気楽さも、楽しさも、
誰のものでもないのです。

ぜんぶ 「それ」
そして私たちはみんな それ。

これでもない、あれでもない、すべてを否定してしまった時に残るもの、
それが 「それ」


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