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2018年5月13日日曜日

しがないパートのおばちゃん始めました。



こんにちは。
寒かったり、暑かったり、風邪引きさんが多いですねー。

こんな時は、やっぱり頼れるホメオパシー先生!
エキネシア → 免疫機能アップ、脾臓のレメディのおかげか、
風邪ひかず、元気(^^)
日本では1ボトル500円くらいじゃないかな、一本あると安心のレメディ。


そんなこんな、今年も冷し中華よろしく、パートのおばちゃん始めました。
そろそろぼーっとニートしてるのもヒマになってきた 笑
ヒマじゃないですか、日本?
これは旅先で出会った友人達もよく同じことを言ってるような、、、
「そう、日本けっこーひまーよねー!」 ってよく聞く。

お金もないから遊びにいけんしなー、、、という思いが湧いてきて、
じゃあ、
好きなだけ使えるお金があったらどこ行きたいわけ??
と、問うてみても、
別にどこにもー^^;となって、
やっぱり起きてることが完璧に起きてるんですよね(^^)
どこかへ行きたい、という思いも湧かないな。
行きたくなくても、出かけるときは出かけることが、ただ起こる。


仕事選びの最優先事項は、なんといっても、如何に辞めやすいか 笑笑
ええ、
こんなん世間ではマイノリティって脳みそで理解してるんで、
真面目な社会人の皆さんの前では、言いません、もちろん^^;

ヒマだから働く、食うお金も稼げて一石二鳥。
シンプルになりました。

新卒で社会に出た時は、仕事に意義をもって云々~と、重かったなーエネルギー的に。
そのあとは、
何のために生きているのか云々~、人の成長とは云々~、これもおも~い。
複雑すぎて、このキャラクターにはめんどくさ過ぎた。怠け者が無理したな。

だいたいお金もらえなくて、多くの人は働かないでしょ^^;
食べるものを買う金のために働く、正直が1番。
私は米とか作る土地も持ってないし、怠け者ですんで~

誰も生きてないし、成長する人なんていない、
非二元的これ、
これが1番軽くって、なんて自然。 (言葉にすると1番わけわからん 笑!)

私のこのキャラクターの場合、怠け者なくせに変に責任感だけ強い真面目気質なもんで、
血ヘドが出るほど働く気もなくパートで十分^^; 
定時でさくっと帰りたいっす~
周りの目を気にして有休使いにくい~休みにくい~ とか御免被るでござる。

真面目がアダとなり、たいていの職場で正社員になるよう誘われるが、 
ボーナスもらって残業代ついても残業とかヤーダー 笑
有休使えんとかヤーダー 笑


これも好みや環境の問題かな。 
子供とか生まれて稼げないといけない環境ならもっと働くことが起こるだろうし、
(ダメ親で働かんかもしれんし。そしてこれも完璧やし)
働くことが好きなこともあるだろうし、
やっぱりここで、自分の意思、選択といったものは存在しない。

起きてることが起きている。
起こることが起こる、 ではちょっと違う。
(未来などといった時間軸は存在していないから)

是が非にもやりたいことがあるわけでなし、
世界を救うこともニートも同じに無意味で無価値なここでは、
こだわりもないってんで、近所のパートにおさまりました^^


仕事は、本当につまらないです 笑
それでいて楽しいです。。 

この仕事が決まるとき、「ぜんぜん面白くなさそー^^;」と思ったけど、
「ここで働くな」という確信も同時に起こって、
直感みたいなものが、前よりも、どっしりと揺らぎないものになったような。。
前に「私」がインスピレーションだと信じていた「わくわく♪」みたいな感情とは、
ぜんぜん違います。
前回のログで書いたように、ここではもう何も繋がってないので、
面白そうと思おうが思うまいが、次に起こることとは関係ありません。


これがノンデュアリティです。
「私」が選択しているわけでも、働いてるわけではありません。
起きてることが起きていて、
変わらない楽しさだけがあります。 ふふ

仕事をする、という起きていることは常に幻で実在していません。
そして、
楽しいのは「私」ではありません。
何度も言ってるけど、「私」の幸せというものは、ノンデュアリティでは存在しません。

「いつも起きてることに満足して楽しくないといけない」
ということもありません。
楽しくない時、これもまた完璧です。で、実際のところは楽しいのです。 
これは「絶対」で、
「私」が気づいたこととか思ってること、信じてることではありません。
「私」はいないので、これを書いてるのも「私」ではないです。


なにかを手に入れる幸せ=個人が信じている幸せ、であり、
「私」含む世界、すべてが消えた時に残るものが、永遠絶対の「幸せ」です。
人によっては、これを愛とか神とか名前をつけるのかもしれません。

ノンデュアリティでは、これに気づいた、とかそういったことでなく、
ただ何故か明らかになります。
「私」が気づいたわけではないです。
(「解放」が起こった時には、気づく人も気づきを観察している人も、もういませんので。)


仕事の中で、イライラしたりすることも淡々と当たり前に起きます。
そこに誰もいないから、
イライラが起きた、以上。 それだけです。どこにも繋がっていきません。
このイライラは、誰のものでもないし、イライラを観察している人もいません。

「あいつがイライラさせることを言ってどーちゃら、、、」といった感情は起きません。
「あいつ」等といった個人がいないので、ここでは次に繋がることはありえません。
すぐ忘れます^^;

ここでの楽しさは、イライラが起こったからと言って、消えるものではなく、
常にあります。

前は、「しがないパートのおばちゃん」をしている「私」など許せなかったけど、
とても楽しい。。。
職場の人たちはみんな良い人たちです。 
そしてやっぱり、そんな人は誰もいません。
 
自由で軽い。 
解放は、自由。   
これを瞑想やヨガで欲してました(^^) 
でも瞑想もヨガも関係ありませんでした^^;


パートの仕事のおかげで早起きして瞑想とヨガをしていて気持ちが良いので、
休みヤダな~と思っていたけど、
朝寝坊もそれはそれでやっぱり楽しい怠け者キャラクター全開。
休みがきたら、休みが楽しい、怠けるの好き。
仕事の日がきたら、仕事が楽しい。

「私」というブロックの消滅によって、キャラクターは全面に出るらしいです。
ヨガのクラスとかめんどくさいこと、1日に何本もよくやってたなー
と思いますしね 笑


そういえば先日、世界が消えてニルヴァーナしかない友達と話してて気づいたけど、
「悩み」というものも、ここでは存在しません。
「幸せ」って悩みがないことかも?

だとしたら、
何かを所持する=必ず失う恐怖が伴う=何かを持ってる限りこの悩みが付き纏います。

幸せになりたいなら、
「世界」を捨てるしかないようですね(^^)

とてもシンプル!






おもしろかったら ヨガ バナーくりっくよろしくでーす →





そういえば、パートの面接なのに↑こんなにしっかり適性検査をする会社もあって、
(もちろんこのような、いずれ正社員に、、、みたいなガチなとこはお断りしましたが)
その結果が、「プラス思考度」の項目だけずば抜けて伸びてて↑、笑われました。。。
これは明らかに「解放」の影響だろうなー、、、^^;




2018年5月2日水曜日

なにも繋がってなかった件



気がつけば5月!
お元気にお過ごしでしょうか。

やっとあったかくなってきました~ か?
私はまだまだ靴下3枚はいて寝ていますが。
冷え取りグッズは日本では必至。

肌寒いとき、シルクのロングパンティなるものを着用してみたら、
包まれるあたたかさ、肌当たりの優しさに感動。

しるくふぁみりーのマーガレットシリーズです(^^)



先日ふと気づいて、へえ~と思ったことなんですが、
世界はなにもリンクしていなかった、ということ。
淡々と興味深かったです。

その時の状況は、ちょっとおもしろすぎるため、ここでは書けないのですが、
別の例えで。

行きたくないな~ やりたくないな~ イヤだな~
という感情が起こることと、
実際に、その行きたくない場所や、やりたくないことをする状況が起こることは
無関係だということがクリアになりました。

具体的には、、、
私はアルナチャラを早朝に登ります。
朝7時前には、お腹すいた~~!!って山から下って来るから、
一目散にご飯を食べたい、ゆえに誰とも話したくないんですね^^;

特に話が長い友人とか、英語で喋れないといけないってなると、
もう腹はペコペコで、英語脳にまわすエネルギーはない。
日本語でさえ、話を聞く分のエネルギー分は空っぽ。

「あ、前の方から外国人の友達が登ってくる。やだなぁ、早くご飯食べたいのに、、」
この感情が起こります。

でも実際に、友達と話し始めると、この感情はもう存在しません。
早く立ち去りたいな~という、前に起こった感情からつながる気持ちが湧いてこない。
(湧いてくるかもしれないけど過去の出来事とは、なにも繋がりはなく起こるだけ)

1分前に起こった感情と、
友達と話すという出来事、この人物は、 なにも繋がっていない。
瞬間瞬間に、なんの関係もなく、
出来事 感情 感覚 思考 それらが起こっているだけ。

言葉にすると分かりにくいです^^;


その時、ただその感情だけが起こっただけで、
人物も出来事も存在していないし、
その後、実際にその出来事が起こったとしても、その感情とは無関係。
その感情はもう、どこにもない。

誰もいない、というのは、その感情や感覚、思考の持ち主がいない、ということ。
友達がうまい例えをしていたけど、
「分厚いタイヤみたいなものに阻まれてる感じ」
そういう感じで、感情のくっつきどころが、もはやない。
実は、最初からなかったけれど、「私」という幻が勘違いして、
「私のもの」にしていただけ。


このことがクリアになって、
原因と結果なんてものが存在しないこともクリアになりました(^^)

因果関係、これは最後まで存在するんじゃないか、と疑っていたから
すっきりした。

「解放」はインドで起こった幻か?と思っていたけれど、
そう思わせるほどに、ごく当たり前になってしまったようです。

なんの疑問もなく、
ただ起きてることが起きてるだけ。 

ただ それ だけ。
それ しかない。 


このblogを検索すると、「すべてに意味がある」というログが出てくるみたいですね^^;
360°変わって申し訳ないですが(笑)
「ぜんぶ無意味」でした(^^) すべてに何も意味はないです。
意味を持たせていたのは「私」
「私」は幻想で、ずっといませんでした。
「私」だけが、明らかなそれを知りませんでした。


起きてることが起きてるだけ。それ だけ。
起こる「べき」ことなんてない。 する「べき」ことなんて存在しえない。


ノンデュアリティについて調べていたときに、どなたかのblogだったと思うけど
「淡々として面白みのない世界だった」
みたいなことが書いてあったけど、

このノンデュアリティの現実は、何か一時的な体験とか、なくなったり変化するものではなく、
何かと比べて面白いとか、楽しいとか、幸せとかそういった相対的なものではない。

それ しかない。相対しようがない。
起きてること、すべてが それ。  

それ しかない。
永遠の気楽さだけが淡々といつもある。 それが「それ」
怒りも悲しみも欲も 「それ」

でもこの、何とも比べようのない永遠の気楽さも、楽しさも、
誰のものでもないのです。

ぜんぶ 「それ」
そして私たちはみんな それ。

これでもない、あれでもない、すべてを否定してしまった時に残るもの、
それが 「それ」


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