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2010年3月31日水曜日

指導者の資質

ヨガジャーナルを読み返していたら、ふむふむーと思う記事を見つけたのでメモ。
Rodney Yeeという有名な(方なんですね。知らんかった)ヨガの先生と奥さんのColleen Saidmanという先生のインタビュー記事です。
 
 
 -ヨガの最大の恩恵はなんだと思いますか?
 
最大の恩恵のひとつは、意識の方向性ではないでしょうか。
現代社会というのは、すべて意識が外側へと向かうように仕組まれています。
社会の中での自分の立ち位置ばかりに注意が向けられます。
私たちは、内面で心地よく感じることがいかに大切かということを忘れているのです。
ヨガは自分だけに奉仕する自己中心的なメソッドだという人もいますが、高名なヨガマスターたちは、外の世界に奉仕するためには、まず自分自身の内面を明晰にする必要があると言っています。
 
 
 -指導者になるために必要な資質はなんだと思いますか?

~ 生徒たちをしっかり観察し、彼らに何が必要なのか理解することです。
教え始めて10年は、生徒に喜んでもらうことばかり考えます。
ところが、経験を積んでいくと、生徒たちに必要なことが必ずしも彼らを喜ばせるとは限らないことを学ぶのです。
  
 今は資格認証のプロセスが昔より簡単になりましたが、昔は指導者になるまでに10年くらい勉強しました。
ところが、最近では1ヶ月のティーチャーズ・トレーニングで先生になります。
でも、そのような人から指導を受けたいと思いますか?指導者には責任があります。
身体、精神、感情を扱うのですから、長年の鍛錬と経験が必要なのです。
 
 それから自分がこういうふうに教えたいと思う先生を見つけることです。
その先生のもとで5年くらい勉強して、すべて吸収するのです。
知識を得て、体の感覚がわかれば教える準備ができたということです。
 


 自己中心的なメソッドというのは、ときどき言われることがあるのですが、彼らと同じように↑感じています。自分のことを理解できるようになると他人のことも理解でき、それが思い遣りに繋がると、とある先生の言っていたことにも納得できて。
「愛したいから愛する。与えたいから与える。」、愛されてたいから愛するんじゃなくて、っていうところが自己中心的と取られちゃうのかなーと頭で考えるとわかるような。 
    
人によって色んな考え方があると思いますが、ワタシは粛々と受け止めた言葉でした。
いつも謙虚で在りたい、という意味で悩んだり色々疑問に思うことは良いんだろうな、とも思います。
じゃないとワタシの心ってば弱いから、傲慢になる気がします。 
  
いつだったか、
「 今のあなたは色んなことがうまくいっていてとても傲慢だ。今もし先生・先生~って言われる仕事だけになると、ますます傲慢になるばかりだから、今のあなたには多少不満もある仕事が与えられているんだ。嫌でも仕事を続けるのがあなたのためになると思う。」
って言われたことがあるのですが、全くその通りだったと思います。
   
ヨガをすると色んなことがうまく回り始める、と言いますが、きっと悪いことも含めて「良い感じで回ってる」ことなのだろうな~と感じています。
起こる事象は変わらなくても受け止める自分の心が変化しているから、同じネガティブな現象が起きても、うまくいってると言える。
  
生徒さんの喜ぶことと彼らに必要であろうことについての葛藤は、キャリアの長い先生はあるのかな?
ワタシ自身は、スタジオ側が求めること(これが生徒さんの喜ぶこととかぶるのかな)とのバランスについて幼いながら考えることがあります。  
でも最終的に心を込められないなら、いくら求められてもできない、と割り切っているところもありオファーがあっても今以上にクラスを持たないことにしています。 
ときどき、「美肌効果の高いポーズです。」とか言ってみて、しっくりこないよな~私らしくないよな~と確認できることもw 
   
会社の仕事は、ゴホゴホ咳したり不摂生して血液ドロドロ頭ぼーっな感じでNOなところがあっても、大丈夫!と出社してできるのだけれど、ヨガの仕事は自分で自分にイエス!って言ってあげていないとできない、という難しさを感じています。
これは私が日々から学ぶこと。 
 
人は自分の経験を通してしか物事を理解できないし、表現できないから、
みんなそれぞれがスペシャルな感覚を日々体験し、自分とは異なる見方をするのでしょうねー
世界はおもしろいですね。 
 
 
 
 
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昨夜の月夜は雲でおぼろげ○

2010年3月30日火曜日

ブルームーン


今日は今月2回目の満月、ブルームーンです。
こんにちは、ご機嫌いかがですか。 私はややナナメです 笑
  
満月なので、体の中にいろいろ吸収しやすいとき。
満月の日からダイエットを始めると良い、というのは、あしたから欠けていく月、新月に向けて浄化の作用がどんどん増していくから痩せやすいってことのようです。
 
風邪だか花粉症だかわからない不調は少しおさまりつつあるのは、月が関係しているのかな、なんて。
ずーっと鈍い頭痛がして、風邪薬も鎮痛剤も効かないので自然に任せることに。胃腸の機能も減退しているもよう。 いつもより軽めに食べても、胃がシクシク痛み始める。
鼻ムズムズも目の痒みもクシャミもないのに、外に出ると左目だけ涙が出て。
鼻の奥からツーンとして涙が出るから、やはり花粉症なのかな?
   
花粉たち、いま時期はスギからヒノキメインになっていくらしいです。
アレルギー診断テストでは、この時期にやると、すべてにおいて3つ星でアレルギー反応が出るので、お医者サンから「 日本で生きていけない 」(彼はギャグで言うけど笑えーん)と言われているのですが生きてます☆☆☆
    
ふだん出ないものにまで激しく反応が出ていて、アレルギーが連鎖反応で起こることがあるんだそう。体力が低下していると余計激しく反応する。
だから一個に火がつくと、なし崩し的に飛び火するらしい。 きゃー! 
    
  
今朝、重い体でゆっくり時間をかけて、アーサナをやったら鼻づまりと頭痛が軽くなって気持ちも軽くなりました。
苦しくても動けるなら少しやったほうがいいんだな~ マントラは座っていてもできて効果も抜群ですし!
やっぱりヨガの力はすごい!
やっぱりヨガいいなぁ、と思った一日の始まりでした。
  
ワタシの体感ですが、この時期は体(肉体の鞘?)がぐにゃぐにゃしたり、チリチリしたりで安定しない感があるので、関節が弱い方はいきなりヴィンヤーサしないほうが良さそーう。

明日も少しずつ体をほぐしてのまったりシヴァナンダです。よろしくです。
  
良い月夜を ○  
 
 
 
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月光浴でプラーナ補充 ∞

2010年3月29日月曜日

生きる意味を求めて


いまさら花粉症か風邪かわからない症状に苦しんでいます。 
ユーカリオイルをマスクに数滴落とすとスッキリしてくるから花粉かなぁー
眠るときもタオルに数滴ふくませて呼吸すると心地よいです。花粉症の方、どうぞ。ティーツリーオイルとかも良いみたいですよ。
なんといってもプラナヤーマ(呼吸法)できないのが、しんどいです・・・
が、多少の苦痛や痛みは良いバロメーターとして捉えればよい、とある先生に助言いただいたのでgoodということで。
  
コーヒーを飲みたいとき、なんか刺激を抑える効果はないかな~と
往生際悪く調べていたら、カルダモンと一緒に飲むと消化を助けてくれて、カフェインの毒性を中和するというのを見つけたので早速やってみました ↑
  
なんか・・・ 高級な味になります。 深みが増すような・・・
アーユルヴェーダでは、朝に飲むとカファ(水)のエネルギーを鎮静させて身体を活動的にしてくれるから飲むなら朝にすると良いそうです。
( もちろん飲みすぎはNGで ) 
 
 
『 人間の頂「生きる」意味を求めて 野口法蔵著 』を読みました。
うわー 久しぶりに夢中になる本キターーーーーー!!って感じで一気に読み終えました。
うちこさんの紹介ログを読んでから、読みたくって図書館へ。予約してからだいぶかかりました。人気のようです。
自分で持っておいて心が折れそうなときに読みたい一冊でした。 残念ながら絶版。
 
 
内容は、著者の体験とそれを通じて感じてきたこと・今の社会で感じるところや生きる上での心構えなど。直接ヨーガをしている人ではないですが、ヨガです。
 
新聞社でカメラマンとして働きフリーになった著者は、ヌード写真の仕事が多いなど仕事の内容に満足できず、写真を撮りにインドに旅立ちマザー・テレサに会いにいったりするのだけれど、マザーのところにも収容されない人たち(収容されれば看護と生活の保障がある)の生活に興味をもつ。
 
ハリジャン(不可触民)と同じ目線になるために路上生活をしたり、売春宿で生活したり、そこで牛と交換されてきた少女と出会い家族に会いに出向いたり(彼女が牛と交換されたことに誇りをもっていた。)、火葬場で死体が焼かれるのを見て過ごしたり。
月々、使いきれないお金が50万円ほどある23歳か24歳だかの青年なのにすごい選択してます。
私だったらパーッと使って豊かな(?)日本で遊んで暮らすと思うよ・・・
  
この火葬場のくだりは、文章でもかなり衝撃でした。
日本では綺麗に灰になるまで燃やすけど、薪がもったいないから(薪を買うのは家族)生焼けでガンガに流すそう。それを犬やカラスが食べることも。
彼自身も食べてみたそうです。
 
そのような経験をしているうちに、インド人の死生観=輪廻転生に興味をもって、ヒンドゥー教でも仏教でもどっちでもいいけど、じゃあ仏教で学ぶかと、チベット仏教の寺院で修行(苦行)。
このラダックの寺院に行くのに歩いてヒマラヤ越え。途中遭難しかかったそうです。
こんな日本人がいるんですねー! 
  
チベットの寺院はとにかくものがない暮らしで、寒くても着込まないから精神的に弱いお坊さんは、凍った指が折れたりしていたそう。著者は折れずに過ごせた、と。
食べ物の内容とかも、もう考えられん世界でした・・・

で、出家したそうなのですが、日本に帰国して好きな人ができたので還俗して結婚しお子さんもいらっしゃるそうです。
今は坐禅断食を指導しながらお坊さんをしているそう。したいことを正直に生きている人ですね。


なんとなく、ご先祖様を大事にする、というのが当たり前になっていますが考えさせられました。死生観について考える場面になんて、めったに直面しないですから。
「千の風になって」に則るなら、
 私のお墓の前で泣かないでください。そこに私はいません。眠ってなんかいません。    
死んだ体は生まれた地球に返そうって、ガンガに流すインド人は理にかなっているなーなんて。ちなみにチベットでの遺体処理(鳥葬)は、、、日本人にはかなり衝撃的な内容なので本で読んでみてください。

前半は自伝で、後半は教育について、日本の社会の現状などなどで(このへんがヨーガとかぶります)生きる智慧になると思います。
都会でなく自然の中で生きることについて、自分が今することについて考えさせられました。
    
いろいろ経験している人なのに、「人の心は弱いもの」と認めて、そのときそのときの心情を正直に書いてあり、懐の深さが読み取れます。


「坐禅断食」、3日で宿便がめっちゃ出るらしいから、いつかやってみたい。
長野でやっているそうだけど、九州でもしてほしいな~   


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心頭滅却できませんで、鼻&目=私と化して苦しいー!
 
 

2010年3月27日土曜日

ごま油うがい


寒いけれど満開ですね。
福岡、今朝の最低気温3度!九州はこんなに寒かったのね。

スタジオのブログでこんなことを書いておいてまんまと風邪気味です。。。
塩でうがいしていたけれど、なんだかなーとアーユルヴェーダやっている人がよくやっている
ごま油でウガイ、やってみました。

大さじ1くらいを口に入れた瞬間、やっちまったー!!嫌な感じ!と思いましたが
思い切って喉の奥までいれてガラガラしてみると、イガイガしていたとこがマッタリして良い感じに♪
最後に口の中、左右しゃかしゃかしてティッシュに出して終了。
んー かなり良い感じです☆
 
いやー 体力全般低下してるっぽいから、芋づる式に体調崩しそうっ 
仕事休めないし(ヨガのほう)ついにおしっこを飲んでみる日がきたのかも・・・(尿療法
と思っていたけれど、しばらくはごま油ウガイで持ちこたえられそうで安心しました。

ワタシが大袈裟にかまえている尿療法、案外みんな普通にやってたりするのかな。
わざわざ言わないだけで、実は朝の一杯におしっこが世のスタンダードで、自分の価値観で大袈裟に言っているだけなのかも?

ええと、もしそうなら恥ずかしいので誰かこっそり教えてね。

↑身辺整理してたら外貨が出てきてウハウハ。
左のボロボロの紙幣は思わず指先でつまんでしまったけど
インドのお金もこんな感じなんかなぁ?


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地球寒冷化・・・?

2010年3月25日木曜日

ヨーガとウツ


ぬーん、寒いし雨。
もう寒いの飽きたってば。
 
明け方の激しい雨が玄関に叩きつけられた跡があり、駐輪場にゴム手袋&ゴム長を干している人がいて嵐を物語っていました。
桜散っちゃうよねぇ・・・
 
まんまと気候に揺さぶられて体調が優れないワタシであります。
身体が不調だと心も影響されるわけでー 
二日酔いで吐き気がおさまらなくてトイレでべーべー出してて、気持ち穏やかでいれるか想像してみましょー。モクモク。 体と心の繋がりがよぉくわかると思います。
   
きぃーっ!!となってもしょうがないと知っていても、なっちゃったんです。きぃーって。
あんまりならなくなってたんやけど、きぃーっ!!もうイヤイヤイヤ!となって、それをぶちまけたら、今朝すこしスッキリ☆ (ちゃんと信頼関係のある人を相手にですっ)
   
『 医者にウツは治せない 』 という本に書いてあったことを思い出しました。
感情を出すことが悪だ、と教育された子どもは大人になってもそれを出せずにいる。本当は出したい自分と過去の記憶(潜在意識にしみついた癖)とに葛藤=ストレスに感じる。 と。
  
↑ 過去の自分が鬱病だったか知りたくて、そもそも鬱病の定義ってなんだ?!と、読んだけど面白かったですよ。 症例が壮絶で驚きました。。。
鬱病さなかの方は読まないほうがいいのかも。です!
  
私は鬱病でなく、パニック障害の初期症状に近かったみたい。
パニックが長期的になると鬱病になっていくみたいなので、線引きは難しそうです。 
併発しちゃったり、お医者さんも見分けるのが難しいんだろうなー 
   
大なり小なり、無意識レベルでも、なにかに依存、それが手に入らない葛藤みたいなものを抱えている現代人が多いという点で、誰もが発症する可能性の高い病気ですよね。
たとえ心に出なくても、身体に出ちゃう人もいるわけで。
喘息や花粉症やアトピー、摂食障害だったり、色んな症状が大人になって出る人は多いですしね。
  
 
そうそう、だからたまに、信頼ある関係の人とぶつかり合ったりするのはいいことなんだろうな~と思いました。
相手を傷つけたいとか、悪意に満ちた感情でなくて健全であっけらかーんな感情で。 
ヨガしてるから感情的にならない、なっちゃダメ!って無意識に良い子ぶりっこしてきているところもある気がするし、素直でいたつもりが!ってハッとしました。。 長男・長女は自己犠牲的に陥りやすいんですって。  
上手にストレス発散、ばかりでなく、ネガティブな思いを昇華していくのにヨガは有効だと思います。 
  
   
きのうお医者さんに見てもらったけれど、今回は当たりやった(笑)  (あ、内科ですよ) 
ヨガする前は何科にいってもハズレ(笑)が多かった気がします。
統合医療のこととか持ち出すと、顔をしかめるお医者さん多かった。今回の先生は前向きに聞いてくれました。クスリには限界があるって認めている先生だったので良かった良かった。
   
っていうかアーユルヴェーダのことも知っていて、カファかヴァータかピッタか尋ねられた!
これからどんどん認知されてゆくのかな。そしたら良いですな~
   
ウツ治療や心の病気に関わるお医者さんにこそ選択肢を多くもってもらいたいです。
本↑にも書いてあった「3分間診療」
患者が多くてさばけない → 一人あたり3分 → 患者に逃げられたくない(開業医の場合)からどんどん投薬 → 薬依存or副作用に悩む   ということがあったりするそう。
むー 負のスパイラル。。
   
私がこれを察知したときは、こんな対応では治るもんも治らんぜ!と薬もお断りし通院もやめ、
退職してヨガに通うほうを選んだけれど、症状がひどい患者さんは体力も落ちていて、何を信じていいかわかんないだろうし、一般的なヨガスタジオでは厳しいと思います。
専門機関のほうが患者さんもご家族も安心だろうし。
  
 
というわけで(どういうわけ?)、ちょいと先の予定ですが、ドクターもいるとこでアーユルヴェーダ施術を一週間だけ受けてきます。ホントは1ヶ月くらい居たいけど庶民だからねぇ。  
自分の身体を実験台に集中的に施術してもらいたいから、体調万全でなくなってナーイス♪です。
   
そうは言っても、ひとまず対処療法でお薬もらいに(アレルギーの薬)病院には行きますー 
すべてを一時中断して休む!ってなれるなら、皆さんの身体にとってそれが一番だと思いますです。(それができない葛藤は、痛いほどわかります。。。)
  
愛し愛されるこの宇宙にひとつだけの肉体、あまり苦しくさせないようにしてほしいですー 
 

 
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森林セラピーとかも効果的な気がするー 心身ともに健康第一がええね。




レビューを見ると賛否両論あるみたい↓ 

2010年3月23日火曜日

月と生きる

 Inga Nielsen/HIDEAWAY
 
昨日と打って変わって雨。
シャバダバー とすべてを洗い流すような雨ですねぇ。
うちは隣人のイビキが聞こえてくるくらい静かなのですが(女子のはずやけど、おっさんのようなイビキと歯ぎしりが笑えるw)
今朝、雨が降り出す前は格別静かで暗くて、時計が間違っているのかと思いました。
こういう日に目を閉じて座ると、静かの音が聞こえるって感じがします。
  
『 月の癒し 』 読みました○
自分に関係ありそうなとこだけざっと w


月のサイクルに合わせた生活をすると日常がもっと快適になるでしょうっていう内容。
ヨーガと一緒でいきなり何かが変わるってことはないけれど、音もたてず自然のサイクルに静かに戻っていく、というもの。


日常でいかせそうなところをばっすーい ↓

   ●
 
「潮の満ち干」が月の引力によるものであることは、よく知られている事実です。
昔から、人の生死は、この潮の満ち干に関係があるといわれています。人は満ち干のときに生まれ、引き潮のときに死ぬことが多いというのです。また、満月の日は出産が多いともいわれています。
 私たち人間の身体の80%が水分でできていることを考えると、月の引力が私たちの身体に影響を及ぼしていることは、十分考えられることです。
 
   ●
 
新月の日に何も食べずにいると、身体は毒素を分解して外に出す力がもっとも高まっているため、普段の日より病気を予防しやすくなったりします。
 新月のあと、しばらくすると細い三日月が現れます。満ちていく月の相の始まりです。満月になるまで、およそ14日間の旅です。
 このときには、身体をつくり、そして丈夫にしようとする行為は、それまでの2倍の効果を発揮します。けれども満月に近づけば近づくほど、外科的な手当て、けがの治療や手術には向かなくなります。
 こうして地球をまわる旅の半分を終え、やがて月は満月になります。
月夜症(夢遊病)の人は眠ったままうろつき、出血の量へ増え、この日に集められた薬草はより強い力を発揮し、警察は、暴力行為や事故の増加を見込んで職員数などを強化し、助産婦は忙しくなります。
 そして、そのままゆっくりと月は運行し続け、約14日間の欠けていく月の相が始まります。
たとえば、手術はそれまでよりうまくいき、普段より少し多く食べたとしても、簡単には太らなくなります。さらに身体の「浄化」(老廃物を取りのぞくこと)や「解毒」(体内の毒素を分解したり、排出したりすること。血をきれいにする効果のあるお茶を飲むなどもこれにあたる)機能も促進されるのです。
 
   ●
 
 身体器官の一日のリズム

胃 ― 7時から9時
胃は7時から9時のあいだにフル回転で動き、エネルギー補充の準備を完了します。ですからこの間に朝食を取るのは、とてもいいことなのです。

脾臓と膵臓 ― 9時から11時
この間、脾臓と膵臓はフルパワーで働き、胃は休んでいます。したがって9時すぐにたっぷり朝食を取ると胃に負担がかかってしまいます。
 膵臓は血糖値をコントロールします。この時間帯に甘いものをつまむと血糖値が上がり、膵臓はそれを下げようと一生懸命働かなくてはなりません。甘いものや糖分の多いものは、せめてこの時間帯だけでも避けるようにしましょう。

心臓 ― 11時から13時
この時間に、お腹いっぱいになるまで食べるのは避けましょう。心臓に負担がかかるからです。

小腸 ― 13時から15時
心臓が休息するために血液循環が鈍るだけでなく、消化運動の中心となる小腸が、残りの身体器官に休むよう促すからです。  ※眠たくなる理由
それは自律神経系によってコントロールされます。これは、通常は意志と無関係ですが、ストレスやいらいらによって妨害されたり、機能が停止したりすることがあります。
 こうしてみると、南国のシエスタ(スペイン、ギリシャなどの長い昼休み)は、実に意義ある習慣だということがわかります。
 きっかり定刻に始めて終える働き方が導入されたのは、ようやく今世紀になってからだいうことを、わたしたちは忘れています。
 せめてもう少し長く昼休みをとれば、世の中の病欠者数や医療費をぐんと減らせることでしょう。

膀胱 ― 15時から17時
膀胱は重要な解毒器官であり、15時から17時のあいだに特によく活動します。
浄血用のお茶はみな、欠けていく月のとき、15時から19時に飲むと最大の効果を発揮します。

腎臓 ― 17時から19時
19時以降は、できるだけ水分を摂らないようにしましょう。
就寝前は特によくありません。なかでも就寝前のココアや牛乳は消化がよくないため、腎臓に負担をかけます。
牛乳は食べ物であって、飲み物ではありません。

血液循環 ― 19時から21時
血液の循環が一日中で一番活発になる

エネルギーの蓄積全般 ― 21時から23時
あたたかい時間




 ・・・ えっと目が疲れたので、気になる方は続きは本を手にとって読んでください。 え、えへへ!




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結局めんどくさくてヨガやってりゃ自然に感じるようになるんやろってなる。




2010年3月21日日曜日

ヨーガメモ

春ですね。。。
風が強くてまた寒くなった福岡ですが、昨日のあたたかさで咲いちゃったし今さら引っ込みつかないしっていう桜の声が聞こえてきそうです。黄砂びゅんびゅん。
我が家のアイビーからも小さい新芽が出て可愛いです  ↑   
   
今月のヨギーニにニケタンの木村先生がインタビューに答えているっていうので見にいってきましたが、次号なのかな?記事を見つけられませんでした。
でも沖ヨガの沖先生の特集がされていて、幸せな気持ちになりました。
そして最近気になる佐保田鶴治先生も。
あの三本ラインのジャージとか、いざというときの紋付はかまの感じがたまらない。
    
  
今日はひとりごと的におそわったことをメモログ。
  
 
インドの聖典群
●天啓聖典(Sruti Parasthana)   ・・・啓示、インスピレーション受けれる人らが書いたやつ
 - ヴェーダ聖典(聖師ヴィヤーサ)
 - ウパニシャッド
●聖伝聖典(Smurti Prasthana)   ・・・天啓をわかりやすく物語調で書いたやつ
 - マハーバーラタ(バガヴァッドギーター)
 - マヌ・スムリティ、プラーナ文献
●論理聖典(Nyana Prasthana)   ・・・論理的なの
 - ブラフマスートラ
 - ヨーガスートラ
 - バンチャダシ    など
 
 
スートラ → 格言集・・・説明してもらわないとわからない
格言 = 物事の判断基準    ・・・犬も歩けば棒に当たる、の意味を知らなかった自分に気づいた。




インドの精神文化の上にヨーガがのっている。
 


病気の原因→ 観る者と観られる者(5つの鞘)を混同すること。
つまり 無智。
苦悩からの解放は両者が別のものであるという不動の智恵を得ること。
 


Sivananda AshramuのSwami Krishunanandaの「ヨーガの認知論」より
パタンジャリ大師のヨーガ・スートラでは、自己制御と呼ばれる過程で各次元の自己がコントロールされ、最終的には大宇宙に満ちる全真我(アートマン)/絶対者ブラーフマンを制御することになっている。
こうして全部の自我をコントロールすることが、究極の真我(アートマン)/絶対者ブラーフマンを悟ることになる。
 
自己制御される、次元の低い自我から始まって、究極の真我(アートマン)/絶対者ブラーフマンにまで至れるのである。
従って自己制御と自己の悟り/自己確立/解脱は同じなのである。
病気の克服が即ち、健康の回復と同じだからである。
つまり、自己制御は真我(アートマン)/絶対者ブラーフマンの悟りなのである。
 


伝統的に師から伝えられる瞑想法の4段階
・シュラバナ(聴聞)
・マナナ(熟考)
・ニディディヤーサナ(さらなる熟考)
・ギャーナ(悟り)   ←これしか教えない瞑想が多い。

師から与えられたテーマをもって考える瞑想

禅にない。江戸から明治になるときに廃仏毀釈により伝統的なものが排除。
 
 
バイオフィードバック法→ 緊張と弛緩を意識化。意識化して休んでいるというのがわかってrelaxできる。 

  
妊婦さんは体をやわらかくさせる運動でなく適度な負荷をかける運動が必要。

 
 
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いろいろ確認したいことが湧き出るです。

2010年3月20日土曜日

地方のうまいもん


あんたも今、地方に住んどろーもん!てなもんですが。
福岡パルコがオープンして、行ってきた人がお土産かってきてくれました~ ♪
                  パルコいったひと~? すごい人やったろぉー?
 
広島の老舗?パン屋さん八天堂のあんぱんだ!
うぬぬぬー美味しいです~ とろけます~
月末まで臨時販売しているようなのでGOです =33
あ、保存料は入ってないけど添加物入ってるよ。私の得意科目ね。 
 
ヨーガの教訓によると、すべてのものは望まないと手に入りやすいんですって。
確かに。 とくに欲しくないのに、おやつしょっちゅうもらってるわ。
 
ポタジエも入っているから落ち着いたらパルコ見物いきたいな~
  
 
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ニケタンTTCメモ&シヴァナンダTTC



今月のニケタン講義はアツかったー。
朝から脱線につぐ脱線。 
ヨーガの先生たちのおもしろい話はたいてい脱線に含まれている気がします。
そこからきちんと本線に軌道修正して、日常の中のヨーガに戻ってくるからとてもわかりやすい。
  
メモするな。いま覚えんだ感じるんだ考えるんだ、メモを取るから脳が怠けて忘れるんだ!
っていういつも素敵な木村慧心先生のお言葉からスタート。
   ・・・ いや言わんとしてることはわかるけど凡人だから無理やし、後から宿題せないかんですし。。。
  
今月の木村先生は白いポロシャツに足首のとこきゅ!ってしぼってある、白いスウェットパンツ、七三分け。
おぉ・・・全身白でなんと神々しい・・・  というより、そこいらのおじさんでした。
  
あの普通さが素敵で、目をハートにして先生のお話に耳を傾けています。インド放浪中も七三だったってステキー、もうちょっと年が近かったらよかったのになー  先生のこと好きな人多いですよねぇ・・・
  
   
日本国内で確実にヨーガで人の役に立ちたいならニケタンは良いと思います。アーサナも難しいことないし、年を取ってからでも始められる。
現在、日本統合医療学会が国内でヨーガ療法がきちんとした医療として認知、病院内で実践されるように政府にも働きかけているというし。
    
ただ
大いなる真剣さと忍耐をもって真摯に勉強し続けないと療法士自身が大変だと思います。
だって向き合うのは病気の人、体当たりでくるし知識も求められる。
ワタシも今、身体が不調に陥りかけで、念力で(笑)普通を装い日常生活しながら、血眼になってあれこれ調べてますが、自分の身に痛みが降りかかると、真剣度合いが半端じゃないですね。
健康なときは、こんなに本読んだり聞いたりせんかったもん。 
 
病気の人って知識もすごいあるし、彼ら以上に正しい勉強をして公平な目で見れないと信頼関係も安心も何もないでしょうねぇ。  
  
日本マタニティ・ヨーガ協会の代表のお医者さんもカイラス山修行に参加してらしたそうなのでマタニティヨーガを指導していきたい人やヨーガを取り入れたい助産師さんにもニケタンはいいのかもー色々紹介してもらえるのかも・・・?(すいません曖昧で)
  
いわゆる社会的でいて、
南インド・カルナータカ州のシュリンゲーリの総本山へ第35代シャンカラ大師の元を尋ねていたりして幅広いけれど一貫性がある学びを得られると思います。
ひとりよがりの修業的ヨーガじゃなく( 私はこれも有と思っているけどw )社会に還元していける体制がこれからどんどん出来ていくんじゃないかしら。
つーか、シャンカラって一人で終わりかと思っていました。ダライラマの名前のように継がれていくものだったのですねぇー  へぇー
 
映像でそのシャンカラさんは梵語(サンスクリット語)を喋っていて、通訳のインド人も何語かわかんない英語を喋っていて木村先生の通訳すげーと思いました。
( 「 何言ってるかわかんないから適当に通訳してたさ 」:本人談 ) 
 
木村先生の師匠は、スワミ・ヨーゲシュワラナンダ大師という人で100歳まで生きて自ら死んだらしい。
いわゆる自殺っていうのと違って、100歳になったとき自分の墓を弟子に作らせて、そろそろ肉体を死なせるかーって1週間飲まず食わずして、少しずつ静かに死んでいったという。。。
ふつう発狂するわな。すごいですヒマラヤのヨガ行者さん。
  
一般的にヨガでは代謝をあげていくという知識が広がっていますが、最終的には代謝を究極までおとすから若さをキープでき長生きできるのだとか。
ヒマラヤにこもると食料がないから、木の根っことかだけで生きなきゃでしょ?お腹すかないように代謝を落とす、と。
ホントに集中してヨガしたあとお腹空かないのは、代謝が落ちてるってことですかね・・・ 日本で女子として暮らす者としては困る話だよぅ。。。
 
シヴァナンダヨーガのプラナヤーマ(呼吸法)は代謝を上げるのやって下げるのやるから、バランスよく考えられたシークエンスだな~と納得しました。
 
ヴィンヤーサをポジティブに思っていないきらいがあるのは相変わらずで、マイソールを通り越してシュリンゲーリに行きましょう、みたいな発言もあったりでした。
ケララのシヴァナンダアシュラムについても、イタリア人が運営しているから滞在しても意味ないよー・・・みたいな発言もあったので(発言の真意はわからないけれど)、私はそのイタリアの方に日本で会いましたよーうふふふ、とお話しました。 
 
いつだったか、
世界中にシヴァナンダアシュラム作って宣伝がうまい西欧人が、外国人観光客相手にしているって誰かに言われたこともあります。
確かにちょっとそうかなって感じるとこはあります。(私の個人的シヴァナンダラブは置いといて)
組織が大きくなったら、そういう人もいるだろうし、純粋な人もいるだろうってことだと思います。
     
 
どこに属しているかなんて大きな問題ではないと思います。
そもそも帰属意識への執着も固定概念も取っ払って、完全なる自由を手に入れるための行法で、
こだわりをもって我が我がオレオレ、言ってたら本末転倒な気がしますものー 
 
でも直接話してみて、その人が否定的であるかどうかって何となく伝わってきますから、言葉はあまり問題でなく。木村先生がシヴァナンダを否定しようとかそんなの微塵も感じなかった。話していて心地の良い方です。 
 
なんとなーくリシケシのシヴァナンダアシュラムと、スワミビシュヌデヴァナンダが世界中に作ったアシュラムが今は交流がないっていうのは属している方々と話をしたり調べたりして感じていたところだし。
→ 訂正: 双方でやりとりあっていること確認取れました☆
でも私が良いなって思う賢明な人たちは、決して攻撃的になんてならない、思った通りです。 
現在、受け継いでいる運営者たち同士がどう思っているのか知らないけれど、2人のスワミジの心は同じだったと思う。
純粋に学びたい弟子にとってはそれがわかっていれば十分な気がします。
  
そこに真理を感じる場合、自分のために学べばいいんじゃないでしょうかー そこに愛があれば必ず周りに良い影響が伝わるでしょうし。
シヴァナンダもニケタンも好きですもの。 ヴィンヤーサも嫌いじゃないよ 笑
ある程度、おもしろがれないと楽しくないので
人生を楽しくしてくれる要素があるものを選んでいければですね。
    
ほら自宅で感電して突然死っていうこともありえますから。。。 とほほ 
 
 
↑ こんな感じでネットで検索しても出ないようなインドのコアな話も聞けるから(こんなのほんの一部)講師養成コースはなかなか楽しいですよ、さあどうぞ 笑
  
 
さあて気になるお値段はー・・・ 
べべん!

シヴァナンダ: 2960ドル (USA CAのドミトリー4人部屋の場合) 4week宿泊食事講義
 アメリカは割高かもー インドは安い。楽園らしいがバハマ高い。 詳しくはSivananda TTC 
 テキスト代が40ドルくらいしたような・・・ 
 
日本ヨーガニケタン: 6万円 + 3万円(講師交通費)  月1回×10回
 テキスト代(副読本)が全部で5000円くらい。 
 欠席するとDVD(5000円)が勝手に送付されてくるらしい。


いまヴェトナムで通訳付Sivananda Yoga TTC真っ最中ですが、
タイTTCの方もアップされているようです。 オンライン申し込みは準備中みたい。
っていうか場所ここー! きゃー! 間違いなくhot showerですよね? 笑
インフラ重視のおバカヨギーですいませんw 
日本人中心で行われるそうなので安心度高いですよ~ 2500ドル!安い!
     
こちらも通訳付です☆
近隣の方でご興味のある方は教科書を事前にお貸ししたりできますので気軽に連絡ください♪
東京方面ではシヴァナンダセンターで説明会もしているようです。お出かけください。 
 
 
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ニケタンもシヴァナンダもごちゃまぜな内容になっちゃった。。。あははー
 

2010年3月19日金曜日

覚醒


数日前のこと、目が疲労困憊だったのでレンジでチンのアイマスクしながら寝よーっ♪と
( 電磁波で疲れてるのに電磁波で癒す。。。毒をもって毒を制すってやつですね )
レンジのコンセントを入れたらですよ!! 
ですよ!!!
 
ばちばちばちぃっ!!!
 
ひぃぃぃっ!火花が散って、なにかが爆発した!!!!
 
部屋を限りなく薄暗い状態にしていたため手探りでコンセントを探したのですが。
慌てて電気をつけて、爆発物を検証。
リラックスモードからばりばり覚醒。
 
↑ 原因はこのお花でした・・・
春だラララ~♪ と昼間にキッチンの飾りつけをしたのを忘れて、
花と花のつなぎ目が、アルミ・・・?   
・・・ とにかく金属系で、一緒に差し込んでいたのでした。
 
コンセント、黒焦げ・・・・ 
新築のアパートなのに黒焦げ・・・
  
一人暮らし経験者は、わかると思うけれど想定外のおもしろビックリ事件が多発しますよね。
誰にも言ってないこといっぱいあるわよ。
 
ともかく火事にならなくて&感電しなくてよかったけど、退去するときはダンマリだな・・・ 
ヤマだかニヤマだかに引っかかりますかね。。。
 

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2010年3月18日木曜日

衝動

ヨーガニケタン講師養成コースからレッスン直行の日。
やはり仕事の日よりも鼻の通りが随分よろし。
 
パソコンの前に長時間制止していると呼吸が浅くなる体位になるですねー
生活にyogaがなかったら確実に大なり小なり、数年後に体か心壊してると思うわー
元が体力も気力も根性もない虚弱体質なもんで、
ウジウジ小声で喋って人のせいにするタイプに戻っていそう。
 
スウィートスポット満点のバナナが悲鳴をあげていたから
パウンドケーキを焼いてってグループの人らに渡したら写真とってくれていました。
バナナを捨てるという悲しい行為を回避できたのみならず喜んでもらえて思わぬ幸せ。
  
 
食材屋をふらついていたら写真のお茶を見つけて買いたい衝動を抑えるのに大変でした。
ジャスミン茶とか苦手やん…
引越しのたびにパッケージの愛らしさ故だけに買われたものたちが出てくるのを思い出したです。
 
自分の心と身体を意識化しコントロールするヨーガ講義のあとでしたので
今回は冷静に心素(チッタ)の動きを止滅し、諸感覚機関の制御に成功しました。
無駄遣いしなくて良かりた良かりた☆
ヨーガチッタブリッティニローダハァー
 
今日もなんだかんだで良い日でした。ありがとう。
 
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押してくだせー

2010年3月17日水曜日

ヨーガニケタンTTC HW③


はい、今回はバクティ・ヨーガについてでした。
うぅ難しかったよぅ・・・・
 
副読本を読んでいて面白かったのが、
ヨーガの極みに向かうには最終的にどのヨーガも放棄につきるのですが、
( ラージャ・ヨーガ、カルマ・ヨーガ、バクティ・ヨーガ、ギャーナ・ヨガ )
捨てるって、なかなかどうして大変じゃない? しかしバクティに関しては何の苦難も葛藤もなく放棄できていくっていうのが素敵でした。
  
バクティ・ヨーガ、簡単に言うと「 のヨガ 」
講義の途中、思わずメモってあった→ 「 愛=大切にすること! 」  良いねぇ。
 
バクティの放棄とは、愛をどんどん大きくさせていって、それまでの小さくて個人的な愛が消える、つまり包括しちゃうってことみたい。
それが「 神 」への信仰=愛のヨーガ。
  
宇宙全て=神様を愛すれば、目の前の家族も恋人も含まれるから、これまで通り愛しているに変わりなく(むしろ自分の愛は大きくなっているからより深く愛せる)
他の放棄と違って難しくないっことかしらね。 バクティ、良いね~ナイスやね~
   
仕事のあと頭ぼんやり状態で途中から放棄気味なのが伝わる感じとなっておる、今回の提出レポートです ↓
 
  
1)なぜ私たち人間には「意識化範囲の拡大」が必要なのか。
 
 プラナヤーマの実践を通して自分の感覚を意識化することで、自分自身への気づきを得ることができる。それはプラナヤーマ実践中に限らず、日常での無意識の行動の意識化へも繋がる。
改めて自分自身を意識する=自分をよく知る機会を得ることで、私たちはその延長線上の世界、他者のこと、すなわち宇宙の構成に気づくことができるようになる。
 それは人間が二次元的な感覚で生きるというところから、次元を超えた世界を認識する進化へと繋がる。我々はさらに進化することでシンプルな状態、自由な状態=幸福に向かうために意識化の拡大をしていくのだろう。
 
自分自身の意識化拡大の体験について書きなさない
 
ヨーガを始めて1年ほど経った2007年頃、自分自身への様々な気づきがあったことで、自分が感じていることと他人が感じていることは違う、ということを認識し始めた。
嫌なことがあるとしばらく引きずって鬱々とした気分で数日過ごすことが、ヨーガの実践を始める前はごく当たり前だった。過去を後悔したり、未来に期待をして一喜一憂する日常、他人にとってもそれが当たり前だと思っていた。
しかし常に平和な心のあり方をもって生きている人たちがいることを、また自分にも自分次第でそれが可能だとヨーガを通じて出会った人や知識で知って目から鱗だった。

数年実践するうちに、嫌な感情をもたらす事象について、それが起こった数時間後にはそれに心が捉われていない状態になっている自分に気がついた。これは常に永遠の今という時間を生きる私にとって、大きな幸福であると感じた。
 同時に、宇宙には自分がどれだけもがいても変えられない大きなものがあり、それのせいで自分が苦しいのだと思っていたそれが、実は自分の構造と同じであり、変えられないと思っていたものこそ自分の心の有り様だったのだと感じられるようになった。
 「私」という小宇宙は、この宇宙の自然を教えてくれるとヨーガを通して感じ始めてから、他者=自分以外の世界への理解が深まった気がしている。それは自分以外の他のすべてのものへの思い遣りに繋がったように思う。



2)ガウニの信仰と、パラーの信仰の違い
 ガウニとはバクティ・ヨーガの準備の段階を差し、パラーとはその最高のもののことを言う。
準備段階では以下の訓練を実践することによりバクティへ近付く。
 
1)特定の宗教的伝統に関する行為 (賛歌斉唱や巡礼など)
2)祈り (神名の誦唱や導師への礼拝など)
3)9種のバクティ (キルタムなど)
4)神様に対する五つの態度 (善性優位)

このガウニの段階では、以下の3つの状態がある。
第一段階:カーマ(情欲や強欲などの愛着)
第二段階:プレマ(カーマを基に神様に献げ物をしたり、分かち合う友情)
第三段階:バクティ(プレマに自己放棄の心が加わり友情を越える)
最終段階での放棄とは、神様でないものへの無執着であり、神様への深い愛着から生まれる。この放棄によって、至高の帰依=パラー・バクティへの門が開かれる。この境地ではすべてのものに区別を見ずに、すべてのものに神を見るのみとなる。
 

3)「愛の三角形」と「パラー・バクティ」について詳しく説明し、あなたがこうした愛の形の内、どのようなものでも体験したことのある愛の形を具体的に、いつ、どこで、私が、どのように体験したと、お書き下さい。

愛は三つの特徴を頂点とする三角形で表される。この三つの特徴がバランスよくととのったときに真の愛が成立する。
 
①愛は取引しない。(見返りを求めることなしに愛を与え続ける)
②愛は恐れない。(恐怖心を払拭するために愛するのではない)
③愛は比べない。(最高の理想:多くにとっては神を愛する)

パラー・バクティはマザー・テレサやアウシュヴィッツ強制収容所で身代わりになったコルベ神父の例のように、真の心、それは放棄という行為から始まる。
諸感覚器官の快楽や知性への喜びへの愛はすべて、最高の理想=神への大きな愛によって、
捨てることなくそれらは自然な形で消滅していく。
より大きな愛を育む努力によって、苦闘も抑圧もなくその愛は成長し至高へと導かれる。
 
 
 
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自分の愛の体験は恥ずかしいので割愛。


これ副読本↓

2010年3月16日火曜日

有機な食事


食べ過ぎた日の翌日のリンゴがメインのお弁当。新月に向けて。
昨日も書いていたけど、けっきょく何を食べるかっていうのと並行して食べる量も
適量でないとサットヴァにはならないのだけれどね 笑
   
いくらサトヴィックフードを口にしても食べすぎはタマス状態です。
ちなみにそんな自分の状態にも気づかないのもタマス。
気づくけどコントロールできないのがラジャス。(食べ過ぎてるってわかってるけど止められないって状態。ワタシこれこれ 笑)
この二つを知っていているけどとらわれないバランスが良いのがサットヴァ。 (タマスと間違えやすい。)
  
このようにグナはどこにでも見ることができるので、焦ったときや周りに腹が立ったときとか、自分と彼らはどういう状態なんや?!って観察すると冷静になれます。落ち着きたいときやってみるといいかも。
 
ちょっと調べていたら、違う感じの解釈もあるみたい 例えばコレ
コッチ昨日のログと同じ捉え方のようです。
ワタシはこれが絶対!っていうのを自分にも他人にも課したくないので(常に流動的であっていいと思っている)どっちつかずなことを言うことが多いのです 笑
これだけが絶対!って言われてあんまり良い気がした覚えないもん。
何のためにこういうことを勉強しているかって自分と他者が幸せに生きるためっていう大きな目標を忘れちゃ意味ない。 

いま好んでいるのがこれ!
普通のも好きだけれど、味が違うのです。身体が好む感じ。

んでこれ。
こういうものをすべて自然食品のお店で買うと高いからスーパーで探してみてなければ自然食品へ。庶民ヨギーは工夫で勝負!袋いらんっつったら有機の黒糖キャンディーくれた。
 
テレビで見てどーしても焼きうどん食べたくなりソース買いに走っちゃったのでした・・・
久し振りにつくると手順がわからずして、スープパスタみたいになってしまいました・・・
ソースはやっぱり美味しかったです♪
炒めるときに白ワインでジャッ!としたのも良かったのかも。なんか深い味がしたような。。
  
具材はやっぱり野菜と油揚げなどで。歯ごたえに松の実いれてみた。
にんにくや生姜、ネギなど薬味入れればボリューム出るんじゃなかろうかと。
  
有機ってなんなのさ?!
と聞かれたらWikipedia頼みですが、美味しいから選んでるってだけです。
シンプルに気持ちの良いほう、楽しいほうが好きですものー
   
 
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今日は新月だから食もto doリストも少なめがbetter
ま、無理ですけどね w

2010年3月15日月曜日

アーユルヴェーダ


いつものようにSita由美子講師に助言を仰いでいたら、スリランカの話に。
去年、インドからスリランカに行って帰国した彼女。
そのときは、なにがどうなってその思考回路でその旅路なのか理解不能で、
さして興味も持たなかったのですが頭の片隅には残っていました。 
 
で、さっそく読みました ↑
窓際で太陽のほうに向かってのびるローズマリーが可愛くて一緒にうつしてみました。

最初にアーユルヴェーダという言葉を聞いたのは、当時通っていたスタジオyogajayaで、
ネパール人のアーユルヴェーダ医師がスペシャルプロモーション(割引)しているからってんで
先生も生徒さんも皆して診断しにもらいに行っていて。 
わいわいクラスのあとに盛り上がっているところにワタシも隅のほうで(まだオープンmindな人々に慣れてなかった 笑)会話に混じっていたのです。
ばーた とか かば とか よくわからない言葉に疎外感を感じ、つまんないなーとか思っていた記憶。
 
その後、yogajayaでお友達になった方々とホームパーティーの際に
Sita先生が、「 せるふあびやんがでお肌がウルウルだよー 」みたいなことを言っていて
またカバとか言って全然興味ないしー!あたしはヨガだけしたいんだよーって感じでした。
 
こうして記憶を辿ってみると、ところどころに必要なものの種って落ちてるんよね、ホント。見落としてきたチャンスってたくさんあるんだろうな~ できるだけ拾いたいから浄化浄化に努めたい。
 
こんな私が今では自ら全身に油をすりこみ、アーユルヴェーダLOVEになっている、人生って不思議だけれどこんなもんなのでしょうね。 
本気になったきっかけについては、めっちゃ長くなるので割愛して。。。

うちこサン形式で感想とともに抜粋。
筆者がスリランカのアーユルヴェーダ治療を受けられるリゾートホテルに滞在したのときの体験、
および地元の人々に根付くアーユルヴェーダ医療についてざっくりって感じでした。

 
 
     ∞

ヴァータ、ピッタ、カファとは体内エネルギーのようなもので、サンスクリット語でドーシャと呼ばれている。
それぞれが違う役割を持っており、三つのドーシャが複合的に働くことで、私たちの体が作られ、動いている。

三つのドーシャがバランスよく働いていれば体は健康だし、バランスを崩せば不調を覚えたり、病気になったりする。だからアーユルヴェーダの治療とは、崩れたバランスを整えて身体全体を良好な状態に戻しつつ、自然治癒力を高め、悪い個所を治していく。たとえ悪いところが治っても、バランスを崩したままでは、また同じ病気にかかる可能性が高いからだ。
 
 
> ヨーガで言うトリグナ、「サットヴァ」「ラジャス」「タマス」と似ている。
ドーシャ(要素)は皆に常にすべて「在る」。バランスが取れたときが心地よい。
 興味のある方は コチラ や コチラ でどうぞ。

グナは、そのときの性質。サットヴァなときが心地よい。 
タマス(暗性) → ラジャス(動性) → サットヴァ(純性) と順を追ってbetterな状態になっていく。
人で言うと   怠け者 → 怒りん坊 → 聖人  って感じかしら。
シヴァナンダの教科書では、タマシック・ラジャシック・サトヴィックな先生&生徒というパターンで説明がありました。タマスな先生と生徒の例えが、黒魔術を実践するタイプだとか書いてあり、勉強しながらウケた覚えが。。。
 
グナは食べ物にも当てはまります。
熟し過ぎたもの(腐りかけ) → すごい辛かったり苦かったり酸っぱすぎるもの → 新鮮なもの
新鮮なものの分類には、フレッシュなチーズやミルクも含まれるので、マクロビオティックとヨーガの食の捉え方は共通する部分もあるけれど異なります。
アーユルヴェーダの食事はヨーガのそれをもっと細分化したって感じかなぁ。。。 
 
 
     ∞
 
体質は、受精した時点で決まるといわれる。変化するという説もあるが、基本的には、精子と卵子が出会った時の状態、母親の食の好みや行動などが影響して体質が決まり、生涯変わらないという。
 
アーユルヴェーダの医師が脈を診る際、指を3本使うのも、ヴァータ、ピッタ、カファのバランスを知るためだ。
 
アーユルヴェーダの体質は、どれがよくてどれが悪いという優劣を競うものではない。自分の体質を知るのは、ある意味弱点をすることのような気がするけれど、それは陥りやすい傾向があるというだけで、そういう傾向があるからダメという意味ではない。体調不良を未然に防ぐために、体質を知るのである。


>一日の中でもヴァータが優勢な時間、カファが優勢があったり
季節でも、ピッタが優勢な時期とかあって、自分の身体をそれに則して観察するとなかなか面白いです。
 
 
     ∞
 
~ 結局のところ大事なのは、どの体質に属しているかではなく、日頃の体調に自ら耳を傾けて、自分の体質を知ろうとすることだと思えてくる。知ろうとすることで、体調をいい状態に維持しようとする意識が働く。その意志力が自己治癒力につながる。そしてそれもアーユルヴェーダの一部なのだろう。
 
 
>ヨーガのアーサナとも共通するとこですねぇ。
自分の心身の様子をよく見て、まずは気づくところからって私もクラスのときに強調しているけれど、まず気づかないと、より良く変えていきたいところも変わっていかない。
さいしょに意識化してそれから無意識化していく作業。意識の無意識化。
 
早くヨーガのポーズに慣れたくて、腹筋ひきあげて歩く練習やってたやってたし、階段のぼるときの丹田意識も忘れずに実践してた。疲れたときは吐く息長く、呼吸の様子を見ることも意識していたなぁ。今じゃそれが無意識の産物。
そういうことだと思います。


     ∞
 
アーユルヴェーダは、病気を治すためだけの医学ではなく、病気にかからないように健康を維持する予防医学でもある。そして予防のために、最も重視しているのが食事なのだ。アーユルヴェーダの医学書『チャラカサンヒター』には、次のように書かれている。
「体は食べ物によって作られ、病気は間違った食生活が引き起こす」
「正しい食べ方をして、適切な栄養を取っていれば、薬は必要ない。正しい食生活を送ることなしに、薬を飲んでも、なんの意味もない」
 
~ 食品の栄養価に意識を奪われて、消化力に気を回すことはあまりなかった。だが、食品に必要な栄養素が含まれていたとしても、体がバランスを崩し、その栄養を受け止められる消化力を持っていなければ意味がない

~ 実はアーユルヴェーダの大本の考え方はシンプルで、感覚的に知っていることや、実に覚えのあることが多いのだった。


>最近、ヨーガの実践と美味しい水さえ摂取していれば栄養学というよりも、プラーナを感じるものであれば何を食べても良い気がしています。母親が栄養士なので、そっちの言い分もよくわかるのですけど感じることが変化中。
 
 
     ∞
 
痛かったり苦しかったりすれば、自分の体調を管理しようとするが、そうでもない限り、日本での生活は、自分の体にあまりにも無頓着だ。
アーユルヴェーダの治療は、完治するまで時間がかかるケースが多い。でも病気になる時も、時間をかけて少しずつ私たちの体の中では変化が起きているのだ。ところがあまり注意を向けていないし、なんか変だと思っても、手を施すのが面倒で放っておく。悪くなってから慌てて薬を飲む。
 
けっこう、その薬がきいたりするものだから、よけいに初期段階でケアすることを怠る。そうやって私たちはどんどん、自分たちの体が持っている「治す力」に頼ることをしなくなってきた。今は医療=西洋医療という認識が強いけれど、日本も江戸時代までは漢方医学が主流で、免疫力をつけるという考えがあったはずなのに。


>人間だけが不自然な病死をする、動物は自分の死期も知っているって沖先生の本に書いてあったのを思い出しました。
 

     ∞

帰国して「スリランカのお正月」というネタで週刊誌に売り込んだけれど、地味すぎるからと却下された。まあ、そうだろう。確かに地味だ。
珍しいもの、新しいものでなければ報道価値はないという基準は、自分自身がマスコミ報道に侵されることによって、いつのまにか私自身の価値判断の一部にもなってしまった。
地味だから、単純だからこそ、楽しくて心が休まることがたくさんあるはずなのに。そのギャップが時々私を疲れさせる。だから癒しなんてものが必要になる。


>ライターさんという立場での葛藤ですかね。
  
 
     ∞

アーユルヴェーダでは、人間も植物も宇宙もすべてが、風、空、火、水、地の5つの要素でできていると考えられる。インビテーション・ロックの上で風に包まれていると、木や花が自然を構成するのと同じように、自分も自然の構成要素で、生涯も時とともに移ろいゆく自然の風景のひとこまに過ぎないと思えた。
 
そしてこの自然の恵みに支えられてこそ、人は生きている間、健康でいられる。その緑の持っている力と使い途を知っているのが、アーユルヴェーダのドクターたちだ。

~ でも結局、こういうドクターたちにとってお金は二の次なんじゃないのか。もし、誰かを治してあげたいという純粋な気持ちより、お金が先行すれば、その時に人を癒す力は失われてしまうのかもしれない。


>お薬代のみでお金要らないっていう、ネイティブ・ドクターが多いんですって。すばらしいなー 
リシケシのシヴァナンダさんの作ったアシュラムにある病院も、未だに寄付で成り立ってるんですって。
  
 
     ∞ 

自然界から生まれた我々の体は、自然の破壊とともにだめになっていくのだと思い知らされる。
そして自然が破壊されれば心も失われていく。
星の巡りでひどい病気にかかっても、人々の気持ちが集まれば災いを吹き飛ばせるかもしれないと信じることができる人たちがいるから、ネイティブ・ドクターは何千年もの間、この国で生きてくることができた。
 
2200年もの間、菩提樹の木を守り続け、祈り続けてきた人たちだからこそ、何千年もの間アーユルヴェーダを受け継いでくることができたのだ。
自然を壊して商業主義に走れば、心は変わって行く。仏陀の教えやお寺参りや月の力、慣習と信念と文化と伝統を大事にする彼らの生活と、アーユルヴェーダが守られてきたことはつながっているのだ。
 

>スリランカは仏教徒が70%だそうです。
星の動きをとても大事にして、それに合わせて色んなことを始めたりするんですって。若い世代には減ってきているらしいけれど、旧暦みたいね。


     ∞
 
日本で会ったアーユルヴェーダ医は、いいオイルさえ使えば誰が塗ったって効果は同じだと言ったけれど、そんなことはないと思う。だって私は、真剣におまじないを唱えてくれる人のためにも、早く治さなければいけないと思う。
 
~ どうしても人を治してあげたいと思う気持ち、それはアーユルヴェーダ医には欠かせない資質のような気がする。そしてその人のためにも治りたい、と思う患者の気持ち。双方の思いが寄り添った時、効果は増すはずだ。
 
~首の周りにオイルを塗ってくれる彼女の手は、母親のようにやさしかった。本当にちゃんと治るのだろうか?という不安を取り除いてくれる手だ。人を癒すことができる温かい気持ちを持っている。


>私もアビヤンガ&シロダーラやってくれたセラピストさんに同じことを感じました。確かに彼女の手から伝わってきたし、彼女だったから、あのときのワタシの不調はみるみる治ったんだなぁって思う。
しばらく教わっていたヨーガの先生が言っていた「 90分間はみんなのお母さんのつもりで見守っている 」というのと同じなのでしょうねぇ。


     ∞
 
1日に三つも四つも用事をこなそうとする日本での仕事に比べると、非効率この上ない。だが、この国に住んでいるわけでもなく、シンハラ語も喋れない私が、効率よく動けるはずはないのだ。すっかり諦め、もがくのをやめた。必然的に滞在は延びた。
 
でも面白いことに、流れに身を任せてみると、もがいてなにかを必死に取りにいかなくても、必要なもの、私が求めているものは、順序よく向こうから寄って来た。こんな人に会ってみたい、こんなことを知りたい、と思っていると頃合よくそういう話が降ってくるようになったのである。
 
それは単純に、物事の見方の問題だったり、捉え方の感覚の違いなのかもしれないが、本来自分が生きていくペースとは、もしかしてこう在るべきものではないかという気がした。
日本での生活は、不必要にもがいていることが多過ぎる。だから疲れるんじゃないのか。もがかず前に進むのは、ノンビリしているように見えるかもしれないけれど、実はもがいたってももがかなくったって、ゴールに辿り着こうする意志が同じなら、結果は同じかもしれない。
 
だが、流れに身を任せる生活は、日本では無理に見える。日本に流れている空気そのものが、自然に逆らっている気がするからだ。でも、その流れに乗らなければ置いてきぼりを食らいそうで恐い。だから頑張る。で、疲れる。


>まったくその通り。とくに東京で生活しているときにこういう感覚↑強かったかも。
まさに、もがく&頑張る→疲れるrepeat  福岡で暮らす今はほとんどなし。


     ∞

自分は体や心に、自ら手かせ足かせをはめながら生活しているのかもしれない。本当はもっと自然に、気持ちよく生きていくことができるんじゃないのか。頭にきてイライラすることも、悔しいことも悲しいことも辛いことも、それがイライラすべきできごとで、悔しくて悲しくて辛いことなのだと、いったい誰が決めたのか。
 
この国の人たちの生活がどんなものなのか、本当のところはわからない。でも、理屈だらけの自分の生活よりはシンプルに見えた。星の命ずるままに従い、自然の声に耳を傾けて暮らす。それはとても心穏やかなことのように思える。


>こういう場所がなくならないで欲しいなぁと願うばかり。。。
 
 
     ∞


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というわけでスリランカへ行くぞ!


2010年3月13日土曜日

幸福論



またまた元気くんの本読みました。
もう恋しそう、そんな好感を彼に覚えます。
むかしヨガの先生に「 どんな人が好み? 」って聞いたとき
『 生命力の強い人 』という返答に共感できずにいましたが今ならできる。
そして彼が思い浮かぶって感じです。 
  ・・・ ところどころのギャグでポカンとしちゃうから笑いの好みが違うみたいやけど 笑

内容は四国八十八ヶ所をお遍路さんしたときの記録です。
印象的だった箇所を防備録for me

 
       ◇
  
よく、悩んでいる時間がいちばんのロスタイムだと言われているが、ドッグイヤーと呼ばれるこの時代にあって、一歩踏み出す勇気がなくて躊躇している人が多いのかもしれない。後悔というのは、自分のやったことにするのではなく、自分のやらなかったことに対してする方が多いと思う。
 為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり。

  
       ◇

ある本に「普通」と「自然」は違うということが書かれていた。
僕も「普通」でなく「自然」でいようと心がけている。本来、人間にはそれぞれの持ち味というものが必ずある。それは最大限に尊重するべきだと思っているし、みんなが各々、自分の絵に好きな色を塗ってもいいのだと思う。
みんなが「普通」という同じ色に染まるのではなくて、それぞれが好きな色を塗って、好きな絵を描いて、それを合わせると一枚の大きな絵が出来上がる。それはパズルと一緒で、部分が全体であり、全体が部分でもある。
 
 「自然」に生きれば、それが「独創性」につながる


       ◇
 
他人を変えようとするのではなく、まず自分を変える
世界や他人を変えたがる人が多いが、自分を変えたがる人は少ない。結局、幸せのために職場や恋人を変えても、自分自身が変わらなければ、どこに就職しようと誰とつき合おうと一時的な幸せ以外、何も変わらない
 
 真実は、自分が変われば世界が変わる
 
その安らぎを感じられれば、自分自身はもちろん、周りにいる人だって幸せな気持ちになれる。
安らぎは自分の中にこそ見つかるものであるし、「青い鳥」も「悟り」も外側にはなく自分自身の内側にあるのだろう
だから、この旅を通じて自分の内に入り、自分の直感と対話をしてみようと試みた。
 
 
       ◇
 
「言霊」という言葉があるように、言葉には力があり、言葉というのはエネルギー体である。そして、アインシュタインの物理法則である、 E=mc2 (エネルギー=物質×光の速さの二乗) という公式を考えると、エネルギーと物質はイコールの関係にあるし、言葉がエネルギー体であるならば、言葉を声にして出すことで、それが物質化するのではないか。
 
そのため、日ごろから僕は、ネガティブなことは口にしないように心がけている。
ネガティブな言葉は、自分だけでなく、それを聞かされる周りの人もイヤな気持ちにさせてしまうものだ。
 
ピンチや逆境を嘆いて、悲嘆にくれてもその状況は変わらない。いや、むしろますます悪くなっていくことだろう。
それよりも、前向きな姿勢を自ら作り出すべく、ポジティブな言葉を意識的に発し続ける。それはとても大切なことではないだろうか?
エジソンや本田宗一郎も「今の成功は過去の失敗によって出来たもの」と言っている。
経験したものをどう意味づけるかによってすべてが変わってくるのではないか。
 
 
       ◇
 
周囲の騒音が消えた時、そこに聞こえてくるのは小さなささやき声ではないか。それは人によって神の声なのかもしれない。
それは自分自身の直感の声。
アインシュタインの言葉に「 知性ではなく、直感が人生の扉を開く 」というものがある。
頭で考えたことだと、どうしてもそこにいろいろな思惑が入って、ピュアなものではなくなってしまう。それよりも、自分の直感をもっと大切に生きてみてもいいのではないだろうか?
きっと、ゴッホやピカソも、絵筆を握っている時は頭で描いているのではなく、直感、インスピレーションが絵筆を動かしていたのだと思う。
東京にいては、なかなかノイズのない世界に身を置くことは難しいかもしれないが、もう少し静けさと向き合う時間を大切にしよう。
 
 
      ◇
 
『竜馬がゆく』で描かれている坂本竜馬は、その思考も行動も、人との接し方も、すべてが実に軽やかである。
内面と外面は反比例する。
これは、自分の内面に自信があれば、あえて自分を大きく見せようとする必要はなく、着飾る必要がなく軽やかである。逆に、内面に自信がない人は自分を大きく見せようとして威張ったり名刺の裏にたくさんの肩書きを書いたりする傾向が強い。
 
自分に自信があって、自分の強さを信じることが出来る人は、あえて闘う必要もない。そして、そういう人こそ最強の人なのだろう。
 
 
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人生、たまたまなど何もないのだ。
 
 
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物でもお金でも、あるいはチャンスでも、もし自分に何かほしいものがあったら、まずはそれを人に与えることから始めたらいいだろう。
人に与えることを惜しまない
それは結局自分に施すことにつながる。なぜならすべては一つだから。
 
 
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自分が何を楽しいと思うか。
今、何をすることが一番ワクワクするか。
それを基準に仕事も日常も生きることが、人生うまくいくコツでもあるのだろう。
 
自分が楽しまなければほかの人を楽しませることはできない。これは恋愛でも同じことが言える。
結局、大事なことほど自分が楽しむことを意識すればうまくいくのである。
 
 
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「食」という字は「人を良くする」と書くだけあって、おいしいものをきちんと食べることは人間にとって本当に大切なことだと思う。
といっても「たんぱく質」とか「炭水化物」とか、そういう栄養素のことではなくて、しっかりと太陽の光を浴びて、大地の恵みを受けたものをきちんと口にすることが大切なのだろう。
 
ベジタリアンのほうが質のいい瞑想ができると以前聞いたことがあるけれど、これもこうしたことと関係があるのだと思う。
 
 
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僕は最近、頭は「秘書」のようなもので、自分の直感こそが、「社長」であり、すべての決定機関だということに気づいた。
そして改めて、自分の直観と向き合いたかったのである。つまりは、自己との対話をしたかった。
物事を決断する時には、“損得=頭”ではなく“感情=直観”を優先する。
「これをやれば後で得をする」という考えではなくて、「気持ちいいからこれをやる」という直観を大切にしたい。
 
 
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― シンプルであること。
 
どんな文明でもデザインでも高度化すればするほどシンプルになっていくのではないかと思う。
今の世の中のように、政治にしても法律にしてもより複雑化していく社会というのは、逆にその文明の退化を表しているのではないだろうか。
複雑になりすぎることによって、どんどん本質から離れてしまっているような気がする。よりシンプルであることこそ、より人間らしく生きるコツなのではないだろうか。
  
人生何を手に入れるかではなく何を手放すか。
 
ここが人生の皮肉である。手放し、執着しなくなればなるほど逆にそれをふんだんに手に入れることができる。 
 
 
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アランの『幸福論』にこういう一節がある。
 
「成功しているから満足しているのではなく、満足していたから成功したのだ」
これは「成功」を「幸福」に置き換えても同じことが言える。
 
「幸福だから楽しいのではなく、楽しんでいるから幸福なのだ」
つまり、経験が在り方を生むのではなく、在り方が経験を生むのである。
 
 
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今この瞬間を生きる
人は過去も未来も生きることができず、リアリティーとは、この瞬間だけである。
過去は変えられないけれども、そのとらえ方はいくらでも変えることが出来る。そのとらえ方によって、過去の経験が豊かなものにも辛いものにも変わる。
そして、今が幸せであれば、未来もまた幸せになる
だからこそ、今、この瞬間を幸せに生きる
 
 
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お遍路さんに憧れる。根性ないけん無理かなぁ・・・