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2018年2月24日土曜日

満月つれづれ



こんにちは。
ちょいとご無沙汰していました。
お元気にお過ごしでしょうか(^^)

こちとら2月13日のシヴァラトリから、
がっつり高熱を出して、5日ほど食事もできないほど、
ベッドに終日いる日々を過ごしておりました。

またやったー
ばばーになって痩せるもんじゃないって思ってたのに、、、
インドはしょうがないっす^^;

そして、やはりインド旅企画をしていた日程で寝込む件。
なんかもうそういうことなんだな。

しかしながら、
この聖地デトックス(あくまで見せかけの肉体にとって)のおかげで、
パンチャカルマだったり、
なにか特別なトリートメントを必要だと感じたことがない、アルナチャラ。。

ちょっと食べすぎて、太ってたり、湿疹が腹の周りに出てたんですよねー
そしたら、
こんなことが起きて肉体はリセットされる、、、
あと痛めていた足首も、ちと痛みへってる。

今回も、ホメオパシーのドクター魔女に
お世話になりました。
なんであんなに効くんだろうか、何の味もしないあの水が、、^^;
ホメオで治ると、何かがとても自然、、、

今回は、どんどん痩せてく私を心配した友達に薬も飲まされたけど、
ぎゅうっとおさえつけられて、出所が見つからなくて、
こじらせる予感があったので、ホメオへ切替え。

最近は断然アーユルヴェーダよりホメオ。
なんといっても即効だし、ハーブと違って飲みやすいし、シンプル!
アーユルの風邪薬も飲んだけど、ほんっとまっずい!!!

ただ、
アロマオイルとかと併用しない方がいいらしいってんで、
たまに気をつかう。そしてたまに忘れる大雑把さ。その程度で飲む。


「私」が不在だと、身体のことにもそんなに神経質になれないから、
平気で3日くらいは下痢してたりして。
色々、気にならないと楽や~(^O^)

シフトが起きた人が共通して言うことは、
「神経症」的なことが消えること。

まあ、、、気にする「人」が不在なわけだから、
色々と気にならなくなるのは当然ちゃ当然ですね^^;


※ このブログはすべてフィクションです。
 インドにいるのも、ぜーんぶ幻想。



はてさて、
インドは相変わらずめんどくさい、小便くさい。

うまいこと言ったな~と街中のションベン通りでニヤリ。。

「私」が死んでしまうと、期待というものもどこかへ行くようで、
何かを本気で、求めるということがない。
求めて、
それが手に入れられないと葛藤=個人的苦しみになる。

期待というものは、存在しない将来にしか存在しない。
非二元の空っぽの世界だけが起こっていると、将来も過去も存在しない。
ヨガの人は、Now Hereとかも言うけど、
「今」とか「ここ」とかも実はない。
過去と未来がないと、今も存在しえませんね。 
「そこ」がないから「ここ」も存在しません。

そういう次元の話ではない。

で、
別にその次元が、高次とか低次、ということもない。
高いも低いも、なんにもない。
シンプルすぎるほどに、単純な話(^^)
「ノンデュアリティ」って英語になると、受け付けないって人もいるけど、
(私もそうだった。)
とてもつなくシンプルな話です。


でも起きてることは、
これまでと何も変わらない、
K氏という人の人生が、見かけ上、起こっては溶け消えてゆく、その連続。

見かけ上、変わったことと言えば、
蚊に刺されても、3ヶ所までなら気にならない、
4ヶ所過ぎると、かいー!!みたいです。

たまに、サイキックな人とか、サイキックなことが起こってしまうと、
なにかドラマチックなことが起きることを想像することがあるようだけれど、
(すべてがうまくいく、とか、欲しいものがぜんぶ勝手に向こうからやってくる、とか。)
これまたそういう次元の話ではなく。

見た目に起こることは何ら変わらず、
例えば、
お金に困ってるように見えるかもしれない、
ただそこに困ってる誰かは存在してない、見かけ上起こったことに対して、
深刻さがない、そこに誰もいないから、ただそれだけ。

見せかけ上起こったことは、シンプルな、エネルギーのシフト。
なにもドラマチックで感動の出来事なんてない。

「必要なものがいつも手に入るようになりました!感動の世界です!」
なんてこたないよ、
それは個人のエゴによる幻想の出来事、理由付け。



そういえば、
ポンデイチェリへも日帰りで遊びにいってきました。

誰もいなかった~
(これは非二元の話でなく、ツーリストがいなかったという意味で。
 わかりにくいなあ 笑)

日本人の友達、共通して言うことは、
ポンデイチェリは、飯がまずい! 
インド料理すらまずくて、(前たまに行ってたとこ)
すすめてくる店員に、
「私の身体見てよ、おじさん! 痩せてるでしょ? 食えないんだよ!(まずいんだよ!)」と言った。
Take careっておじさんに言われた 笑


このblogを読んでる友達と非二元の話になって思ったけど、
これって非常に話しにくいし、本当に意味がない^^;
ものすごく楽だから、アドバイスしたいのは山々だけれど、
アドバイスといったものがない。
そして、
楽になって欲しい誰か、というのも、ここではもう存在してないから、
「こんなに楽なんですよ~」など、伝えたいこと、といったこともない。


頭は働いているわけだから、コメントもしづらいことだろうことも予想がつく。
(ここには誰もいないし、ぜんぶ幻想から大丈夫!なんて言えない)


大和田菜穂さんが、
解放が起こった(見せかけの)人たちは、
静かに生きてる人た多いって言ってたけど、そうだろうな~と納得しました。
私の知ってる人たちもそう。
なんにも特別じゃないしね、もともとの自然を思い出しただけだし、
と言ってる。


私も、行ったり来たりする感覚とか、
世界が光にしか見えないような高揚してエキサイティングした感じは、
ほとんど起きなくなって、最近は淡々と静けさ、「これ」しかないので、
そろそろ、
非二元についてたくさん書くのはやめていくんだろうな、という感じです。
これも誰かが決めるんでなく、自動的に起こることが起きるだけなんですけどねー

これ読んだところで、解放とは無関係ですんで。
言葉で言えることは解放そのものじゃありません。


ちなみに、
blogで読むより、YouTubeで非二元の話を聞いた方が、私は効果ありました。
「私」が消えるの早かった。
これが唯一できるアドバイス、かも?

菜穂さんのblogや本も読んだけど、頭での理解は増えるが、
「自我」のエネルギーが消えていく感じがあるのは、動画だけでしたね。
周りで解放が起きた友達も、同じこと言ってた。

菜穂さんのサットサンに参加してる人たちは、
どんどん解放が起きてるそう。
瞑想とかスピリチュアルとか、なーんも知らない人たち、どんどん解放が起きてるらしい。

彼女のサットサン、いまめちゃくちゃ高い^^; 
2万円とかする。行ける人は行ってもいーと思う。
そのうちYoutubeも有料とかになっちゃうかもだから、
解放に興味ある人は、いまのうちに見ておいた方がいいのでは。

でも見ないでしょ、みんな^^;
個人のエネルギーっていうのは、美しいこと、楽しいことが大好きだから。
それもまた完璧だし、、、
(人間の苦しみの根本の原因は、個人という分離した感覚です。これは絶対)

追記。
前に見て面白かった、科学とノンデュアリティの動画、もう無料で見れないみたい、、、
面白かったから、有料で見てもいいと思うけど。
頭で理解したい人には、入口として納得できる。

阿部敏郎さんのblogは説明が上手。
http://abetoshiro.ti-da.net/e7652816.html



ニサルガダッタかパパジが、
「解放以外を求めないこと、他の欲望を捨てて、解放だけを求めていたら、恩寵がやって来る」
みたいなことを言っていた。(言葉は正しくないかも)

私はこれは、解放のひとつの法則なんじゃないかなーと思ってる。
ただ「これ」以外に、絶対の因果関係っていうのは存在しないから、
何にも求めてなくて、ぽっと解放が起きてる人もいるんですよね^^;
ただ、起きやすい、のではないか、とにらむ。

私の知ってる解放が起きた人たちは、
真剣に「これ」(悟り)だけを求めて、瞑想してる人たちでした。
他の欲望は、捨てて構わないって人ばかり。
ま、そういう聖地に行ってるからどうしてもそうなっちゃうのかな。。。

私自身も、去年くらいには「なにも要らない、いっそ殺してください」って思って瞑想してたしー^^;
特に、このパパジがニサルガダッタの言葉を読んでからは、
本気で、個人の幸せ要りません!Bhagavan!!って思ってたな。

事実、これは正しかった。
「私」が欲しかったのは、「私の死」をもってしか得られないものだった。
それを得たときには、欲した人も得た人もすっかり消えてしまっていたけれど(^^)



そうえいば、
解放の始まりは、「あること」をやめた頃から。
さてここでクエスチョンです 笑
その「あること」とは次のどれでしょーか?

1、ヨガ
2、瞑想
3、チョコレート
4、テレビ
5、Wifiの使用


この中に果たして正解はあるのか! (えぇ?!)
勝手に想像して試してください。

ここで起きてるパーソナリティは、いたずら好きで、ちょっと意地悪みたい(^.^)
個性は起こる、喜怒哀楽という感情も起こる、痛み痒いくすぐったいという感覚も起こる、

ただ誰もいない。
個人的に起こることはなにもない。

主体の消失、同時に客体の消失。
空である「それ」だけがリアル。


今日も、ここは変わらずとても静かです。。。



2018年2月12日月曜日

ドクター魔女のはなし

今シーズン借りてるお部屋のお庭にて。
大家さんが切りすぎたジャスミンやハイビスカスが咲き戻ってきて嬉しい。
(すでに金払ったから、切れるだけ切らせるとか
情緒もくそもないことを言うておったぞ。
もーインド人、、、)
毎朝、庭から花を積んで飾る暮らしもインドの好きなところ。
家の目の前、ゴミ捨て場だが気にならないよ、もはや、、、


こんにちは。
お元気にお過ごしでしょうか。
こちとらすこぶる元気です。毎日たのしい夢です。

※ このブログはすべて夢の話です。


あ、今朝、チャッパル(サンダル)泥棒にあいました、アシュラムで(-.-;)
犯人、見つけ次第、飛び蹴り。

インドで履き物を盗まれる、
それ則ち、
ゴミやウンコだらけのきたない道を裸足で帰らないといけないことを意味します。

さいわい、くまりちゃんはオンボロレンタル自転車を手に入れたところだったので、
自転車で帰れましたが。

バイク、車、バス、牛、牛車、自転車(すべての乗り物の逆走含む)など
行き交うインドの喧騒を
自転車で走れるようになり、インドサバイバルレベル上がったように思います。

右折の時は、渡る!と心決めたら、
それ則ち、
後ろを振り返らないことを意味します。
(意味しませんが、振り返ったら躊躇して一生渡れないので、振り返らない方がいいね)

命をかけての右折、横断。
これにもすっかり慣れましたが、
如何せん、
自転車走行中の口が悪くなっており、面白いですよ、このひと^^;

最初のうちは「まってまってー!後ろにいまーす!」
だが、
日本語ばれないのいいことに、堪忍袋の緒が切れる直前になるや、
「 まちやがれ、じじー 」  「 はよいけや、へたくそ! 」
どうにもこうにも、茶目っ気に欠ける言葉づかいになってしまいます。 

てへぺろ


先週くらいから、
歯が痛くなりはじめまして。
差し歯にしてる前歯の根っこなので、根尖病巣が悪くなって、
鼻の方から痛みがきてる感じがありました。

差し歯をとって、鼻のあたりまでの神経を消毒したりする、、、
こんな複雑そうなことでインドの歯医者に行きたくないなー、

おまけに前歯、おまけに歯列矯正で根っこが弱いため揺れておる、
有無を言わせず抜歯などされようものなら、その後が困る、
いくら夢でも前歯なしはやーよ、
まいったなー、

日本に早めに帰るかなー、
チェンナイの日本人ご用達の歯医者さんとか調べようかなー、

ある意味の幸いは、奥歯じゃないから食べる時は、さほど痛くないが。
などなど考えておりました。


けっこう本気で痛くて、夜も眠れなかったんですが、
「私」が不在だと面白いもので、
やっぱりどうしても深刻になれないんですよね^^;
痛みは起きてるが、現実味が湧かない。

考えないといけないのに、忘れちゃうし、
インドで歯医者もおもしろいかもー 笑   とか。。

こういう「個人」にとっての問題が起こってきて思うのは、
あらためて「私」の不在にしか、救いはないなーと思います。


ノンデュアリティの話しちゃったから、ついでに。
大和田菜穂さん曰く、

「 ヨガのプラクティスも瞑想も、ナンパするのも全部同じ。全部意味はない。 」

とのこと 笑!
彼女さいこー

いやー 彼女の、ずばずば遠慮のない物言いだからこそ、
「私」の死は早かったように思いますので、
本気で「私」に世界から退場して欲しい「人」は、菜穂さんはオススメ(^^)
本も「すでに愛の中にある」なんてきゃぴっとタイトルで、
装丁もハートデザイン、

にも関わらず、
鋭いナイフのように「個人」をずばずば切り殺してくれます。
ラマナマハルシの本より、よっぽど厳しいっす、、、

そういえば、
ひとすじの光もない絶望の中にいるときに、
一瞥体験をする人が多いんだって聞きました。
確かに、私も絶望してた^^; ひとすじの光も救いもなかったな 笑


そもそも、
救われてない人のヨガや瞑想や、その他学びや癒しの集まりに行ったところで、
究極の救いがそこにあるだろうか^^;

頭で考えるだけでも理屈はわかるけど、「個人」というのは、
関係性に依存することでしか生き残れないから、
どうしても、「先生」や「教え」を求めてしまうのかな。。

特に、人気の先生というあらわれには、
しがらみが多く、解体が難しいんじゃなかろうか、、
人気がある、ということは、「個人」という牢獄を居心地良いものにし、
それは「エゴ」を増大させるエサとなるというパラドックス。


そもそも、
「個人」というものが生まれた時点で、
謙虚さというものは存在し得ない、ように思う。
「自らの自由意思で選択をしている」ということは、とてつもない奢りだ。
見せかけの「個人」と存在し得ない「自由意思」は常にセットなんじゃないかな。


先生や教えが現れた時点で、「私」と「他者」が始まり、
この二元性により、個人の苦しみも現れ始めるのですが、、、
(あくまで全部幻想だけど、個人というエネルギーはそれをリアルと見る)

それとラマナマハルシやニサルガダッタの本でもよく出る質問で、
「 幻想の中の幻想のエゴよる幻想の努力で、幻想を消し去ることができるだろうか 」
「 幻想のマインドの働きかけにより幻想を消し去ることができるだろうか 」


同じく、そのように思います^^;
幻想でしかないヨガなり瞑想なりの「プラクティス」が、
唯一「実在」の「其れ」に働きかけられるのかなぁって。

しかし、
こんな質問してる人たちって頭いーよねー
あたしゃ前は質問の意味すら、わからんかったぞー


ちょっとこちらでは、そこらへんわかりかねますが、
ニルヴァーナそのもののバガヴァンが言う、
「アートマヴィチャーラ(真我探究)」をやると何かが変わっていくのかもしれませんね。
因果関係ないこと前提だが、
やっぱり救われてるところの助言を聞くのが、てっとり早いんでないかと。。

バガヴァン曰く、個人の性質によって色んな道があるが、
これがダイレクトな方法とおっしゃってますよん。


さておき。
なかば、ダメ元でホメオパシーのドクターの元へかけこんだK氏。
毎年お世話になってる魔女。
本気で治したい、よりも、
今年もちょっとこのドクター魔女に会いたかったりして。 

だって歯の病巣ですよ^^;
いくらホメオパシーでもね、、、と思うじゃないですか。

ネットでホメオパシーを使ってる歯医者さんのブログも参考にして、
ひととおり持ってるレメディ試したけど、全然やったし、
少し痛みが和らいで、だましだまし帰国までもったら幸い、
もたなければ、チェンナイの歯医者だなーと思ってました。


が、
効きまして (〇o〇;)

しかも、
まさかの即効 ^^;


いつも通り、こちらの下手な英語を「ふむ」と聞く、ドクター魔女。
少し白髪が増えて、貫禄がまた増したご様子。

私の去年のカルテ(メモ)にも目を通す、
時折、ニヤリと笑う(これが面白い)、
言葉少なに質問をすると、年々大きくなってゆく身体をよっこらしょっと立ち上がり、
壁一面のホメオパシーレメディの中からかちゃかちゃと瓶を取りだし、
レメディを作る。


効くわけないやろー と疑いながらも毎年、困った時のかけこみ寺、
疑いつつも、何故か効く、、、
疑いながら飲んでるK氏に効いてるから、プラシーボではない気が、、、

ただいまレメディをとって3日目ですが、
完全になんともなくなってしまいました^^;

「歯医者に行かないといけないのはわかってるけど、もし改善できるなら、、、」
と言うと自信満々で、

「いや、歯医者いく必要ないと思う」(ニヤリ)
と言った彼女。。。
やはり魔女なのだらうか。


なんとなくですが、
「私」不在の方が、自我が邪魔しなくてホメオも効くのかなーなんて。
だって何でも起こりうるんですもん(^^)
魔法だって、魔女だって、宇宙人だって陰謀だって。


でも実は、、、
なにも起こってない、、、!

起こった瞬間に、消えてゆく、
夢のような世界が、ほろほろと、完璧に、ここでは光り続けています(^^)



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2018年2月9日金曜日

悟ってなかった!らしい件

最近は家で朝ごはん。
オーツポリッジに友達が教えてくれたトッピングを真似っこして。
牛から直送のミルクに今年もはまる! おいしい!!


こんにちは。
ご機嫌うるわしゅう、お元気にお過ごしでしょうか。

ちょっと、大変、
どうやら悟ってなかったみたいです 笑


※このブログはすべてフィクションです。


シフトが起きたらしいってんで、オススメされて見た動画、
「大和田菜穂」さん、「じゅんころ」さん。

前者、菜穂さんの動画を見てから、
なにかがすごいスピードで変わったんですが、
K氏に残念なお知らせが舞い込んできまして、
阿部敏郎さんとの対談の動画の中で、菜穂さんいわく、

「 本当に解放されたら、自らすすんで、それについて公で喋ったりしない
  静かに暮らしてる人が多い 」 

とのこと。

あ、こちらブログに書いてるから、
どうも悟ってないらしいです^^; なーんだ。
あっちゃー はずかし~ (//△//)


ところで、
一番最初に、「大和田菜穂」サンや「じゅんころ」サンを紹介されたのは、
確か2年前に、アルナチャラで出会った日本人の男性から。
「ノンデュアリティ」の話おもしろいよーってリンクを送ってもらいました。

ちら見して全然興味なかったです^^;

お二人とも、ばっちりメイク、という時点で興味をもてず。
(失礼、今ここで出てることに他意はないです。他はもはや存在してない!)

それから、確か去年かな、、
またアルナチャラ滞在中に友達から「大和田菜穂」サンを紹介されて、
本も渡されたんだったかなー 覚えてないなー

とにかく嫌悪感いっぱいになりました。(去年は、絶賛修業中だったもんでw)

「こんなちゃらっとした小娘にバガヴァンの教えがわかってたまるか。
 高級ホテルとかでプライベートサットサンとか、単なるビジネスの人でしょーよ。
 ふんどし一枚に水差しと杖しか持たず、
 皆にご飯を作ってあげてたバガヴァンの謙虚さを見てごらんなさいよ!」

なーんて思って、
(すいません、年上なのに小娘とか。)
その友達がまた菜穂さんの喋り方とそっくりになっており、

「バガヴァンなんていないよ! バガヴァン一体どこにいるの?」 
ってすごい剣幕が言うもんで、 
「うわーこれが洗脳ってやつかー こわいー こういう人と関わりたくなーい」

なーんて悪意向きだしになって終わりました。
(ファンの皆さん、すいませんすいません、今となっては悪意ないし、
 不思議なほど、
 彼女がやってることとか見た目とか気にならないです。
 そもそも彼女を「人」としての存在と捉えることができないので、
 個人的感情が何ひとつ湧いてきません^^;)


K氏は疑い深いもので、
今回も、動画を見る前に、紹介してくれた友人に確認しました、

「 洗脳っぽくなりませんかね? 
  言葉だけで理解して、わかったような気になりませんか? 」

その友達が大丈夫だと思う、と言ってくれたので、
インドくんだりにいるのに、YouTubeで一人サットサンの始まり 笑

ネットの使い放題の契約して、
アルナチャラに登ってる時も、家で休んでるときも、
カフェでお茶してる時も、イヤホンつけて、
ずーっと「ノンデュアリティ」のメッセージを聞き続けていました。


しかし、
3回が3回とも、「ノンデュアリティ」の話を紹介されたのが、
アルナチャラだなーと、そういえば。

「ノンデュアリティ」の現実によると、
原因と結果はないから、たまたま起こっただけですが、
こういう偶然、まさに自我の大好物だと思いません? ^^;

「 やっぱり私は、アルナチャラの恩寵で必要なことを受け取ってるんだわ! 」
みたいな、
「オレって特別」物語にはうってつけ。

いや、ないから、とK氏につっこみたい 笑
なんも特別じゃないです!
って都度、自我につっこんであげたいですね。

インドに呼ばれた  → 呼ばれません!呼ばれる人も呼ぶ人も誰もいません!
アルナチャラが引き止めた → 引き止められる人も引き止める何かもなかった件!

どこも特別な場所はないし、エネルギーの強い弱いなんてありません^^;
パワースポットなんて最初から存在しなかった。
あくまで、
これらは幻である「個我」にとって意味を成したことで、
「個我」自体が存在しないので、聖地なぞ存在しませんね~


ただ、シフトが起こることを「恩寵」と呼んでるのかなーと思いました。
バガヴァンも言ってるんですよね、
個人の努力ではどうにもならない、最後には恩寵がなければって。
ニサルガダッタも言ってましたっけね。


ひとりオンラインサットサンの結果、
気付かないほど静かに変化してたことだったので、
なるほど、と思う半面、
エゴ(我)が全面に出てきて、疑問がいっぱい湧いてきて、
苦しい時間、絶望することもありました。
それまでは変化に気付いてなかったから、疑問が湧いてくることはなかった。

それでも聞きつづけて、菜穂さんの本も借りて読んだり、
同じようにシフトが起こってる人を紹介してもらって、
質問させてもらったりして、
そうこう言ってるうちに、
なんだか疑問も減ってきて、

ふとした瞬間に、
「あ、なーんだ、誰もいない。私がいないのと同じに、だーれもいなかったんだ。」
みたいなことが何度か起こっては、
「世界ってこんなシンプルだったんだなぁ、、、 静けさしかない、、、」
そういうふうになじんでゆく、、、というか、


このところは、
「もうこの状態が当たり前過ぎて、話題にもしなくなった」
と友達とも言ってたけど、そんな感じです。

むしろ、色んなことが気になってた時の方が嘘みたい。
色んなことがどうでもいいっていうか^^;

ただ目の前で、ことが起こってるだけです。
誰もいません。
目の前にいる人の肉体も起こってるだけ、という感じ。
で、
べつにそれに気付いてる誰かもいないし、気づきもない。

ヨガや瞑想など、スピリチュアルというより、
超現実って感じでしょうか、「非二元」の現実は^^;

でも全部、毎日、毎瞬間が同じに輝いてます(^^)


めんどくさくなるから気をつけないといけないのは、、、
自転車や家の鍵をかけ忘れてたり、
財布を外に置きっぱなしにしてたり、忘れ物が多すぎる。。。

物忘れがひどいから、
単に脳の病気なのかもしれませんねー^^;
どっか機能しなくなってるだけなのかな。 
悟ってなかったらしいってんで 笑


そういえば、
同じようにシフトが起きたらしい友人が、インドから出国する前日に、
パスポート、現金(仕事で来てるから大金だったらしい)、カード、
まるっと盗難にあったんですが、
大笑いしてました 笑

いや、めんどくさいはめんどくさかったと思うんですけど、
私も一緒に大笑い(^O^)

そして彼は、どんどん良い顔になっていました。
不治の病とも言える、医者もさじを投げる病を患ってた方ですが、
(養うご家族もいらっしゃったので、悩んでらっしゃったと推測されます)
体もどんどん元気に、お医者さんも不思議がるけど、
病も回復に向かってるそうです。

「もう死ぬのも怖くない。 だって『これ』しかない。『これ』しかなかった。」

インドを発つ前、彼が言っていた言葉です。
頭と別のところで、意味がわかれば、
「あなた」ももう死んでいるのかもしれないですねー
そもそも、誰も生まれてなどいないんでした(^^)


※ あ、私は脳の病気かと思われます^^; 
  はよ帰国して検査せなー 




このブログは全てフィクションです。




つづく、、、
かもしれない。。。

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2018年2月3日土曜日

悟ってしまったらしい件③



こんにちは。
お元気にお過ごしでしょうか。
お寒うございましょなあ~、、、

雪がしんしんと降るのを、あったかい部屋の中から、
ぼおっと眺めるのは好きだなぁ~
ミルクコーヒーとか飲みながら、コタツがあったらサイコー(^^)
(最近はチャイにはまってます、、、
 シナモンいれて、ココナッツシュガーで甘いやつ!
 あのね、
 ジャガリって椰子糖とキビ糖があります、前者のがベターって西洋人が言ってるが、
 たぶんヨガアシュラムで出るやつは、キビ糖かと。椰子糖は高いとよー)

子供の時に、そういう瞬間があった気がする。。
母が雪平鍋で甘いコーヒー牛乳を作ってくれたような。
庭の南天の赤い実に白い雪が積もってゆく様が、
はっとするほど鮮やかで、
あの瞬間に時間は存在しなかった、つまり自我は存在しなかった気がする。。

って結局のところ、過去は夢のようなもので、実在ではないんですけどねー 笑

※このブログは全てフィクションです。


日本だったら幼児虐待の疑いで通報するレベルで、
隣のインド人ファミリーの家からは、
アンマ(母)の怒鳴り声と、子供達の号泣する声が響いております、、、

毎朝そんなによく怒ることがあるなぁ~って感心するのと、
こんな女捨てた金切り声で怒鳴っても、
旦那に捨てられないインドすごいなーいいなー 日本だったら離婚の危機やろばーい、と思ふ。

で、
お父さんが多分アホで、
声と喋り方からそれが滲み出てて、丸聞こえな父親の声にすごい腹立つ。

このアホ父、塀を乗り越えてうちの庭に不法侵入し、
庭の花をぜんぶ持っていきやがる。 この時点で平手打ちしたい。
↑このように、怒りは湧いてくるようです。

昨日も、
うちの門の前で鍵を探している時に、(こういうの不意打ちで腹立つ)
貧乏そーなじじーが、お金をせびってきて、NOって言ってもしつこいから、
「タミル語わからんっち言いよろーが! あっち行け!」
なかなか使わん激しい田川弁で怒ったら、やっと立ち去ってくれた 笑
↑ これは怒りっていうよりは、半分面白がってますが^^;

怒ってもそれで終わり。
あいつ花もとりやがって、アホな喋り方やし、、悶々、、、
とか、
次に彼と会った時に時間をかけてアホな父に考えを巡らすことはない。
そういえば、花泥棒しておったな、という事象だけが、 
脳の記憶として湧くだけで、そこに感情がくっついてないって感じ?

まいっにちうるさいですが~^^;
たまに夜中3時に始まりますから、家族劇場、、、


はてさて、ノンデュアリティ。
K氏の場合、先に言葉から入ったというより、
自分に起きていることを友達に指摘され、「非二元」につて紹介され、
動画やら本やらを読みはじめたパターン。

なので、
そういうことが起こってたのか~
と言葉にしてもらって、わかりやすーい!
でも究極のとこは言葉にならないっていうのもすごくなっとく。
という風。

で、もともと疑い深い性格なんでしょうね。
いや、前世の記憶もないくせいに輪廻転生を信じてるあたり、
洗脳されやすいのかしら^^;

というか、

「輪廻転生=因果応報が存在しないと、人間の平等性はどうなる?!
 人生が、神様が、そんな不公平なわけがない。でないと生きる意味がなくなる。」

という、完全なる自我の生き延びたいがゆえの勝手な持論が繰り広げられてました。
だってノンデュアリティの現実では、生きる意味、人生に意味、ないんです^^;
シフトが起きたら、生きる意味ないなぁ~って。
人生を生きてる「人」が不在になっちゃったから。

だもんで、
大きな家を建てて家族と幸せだぞ! とか、
仕事で昇進して社会にも貢献してるぞオレ! とか、
ヨガを伝えて人々の苦しみを和らげるてるわ! とか、
良い行いをして人として成長する、これが成長だ! とか、

これらの個人の幸せで満足な人には、「非二元」の現実は一切関係ない話。
意味わかんないと思う。
それでいいと思う。
「非二元」の現実に、個人の幸せは存在しません。個人がいないから。




「そこに私の求めてる幸せはない=安住の地はどこにもないんだ、
輪廻があるから死んだって手に入らない、
何したってぜーんぶ同じ。」

瞑想とかヨガとかで、一時的な恍惚感、解放感みたいのはあったものの、
結局、
閉じ込められてる感、不自由な感じ、居心地の悪いところに
戻ってきてました。

いつからか、
「私」以外の何かが、そこに薄々気づき始めていた、というか、、、
気づく誰かも何かも存在しないから、言葉の表現は的確ではないけど、
そういうようなことが起こっていましたねー
「私」は、存在意義がないと生き残れないから、
「K氏はラマナマハルシの真我探究の人だ!」
って主張してましたが^^;


あ、そうそう疑い深い性格の話、
このシフト、友人に指摘されてから、
いや有り得んやろって疑ってるとこがあり、
そのたびに、

「あんた日本では、いい歳してって言われる歳で、結婚もしてない子供もいない、
 年金も払ってなけりゃ貯金もない、親の財産もない。
 お先真っ暗だよ? ほらちょっと焦りなさいって。
 帰国したら、あくせく働かんとヤバいんじゃない?インド来てる場合じゃなくね? 
 でもその歳では~ってボーナスもらえるような仕事にはありつけないよ、
 スキルもないやろ。 
 足腰ぼろぼろ婆さんになっても、泣きながら働きつづける様を想像してご覧なさい!」

と、うちの母がたたみかけるのと同じように、問うようにしてまして。
(正確には、この自問自答とおぼしきものが、その瞬間に湧いてるだけなんですが)

しかしながら、
どーーーーーーーーーーしても!! 
昔みたいに不安な気持ちになれないんです^^;

不安になれよ!焦れよ!って後押ししてもダメ。
不安が起こらないです、、、

シフトが起こっても、怒ったり、悲しい、ガーン!って感情はわいてくる
(最近は、ほぼ一瞬で消え去るようになった w)
けど、不安と心配は湧かないので、

シンプルで自然な感情ではないんですかねー 
確かに、子供の頃って先に対する不安とかなかったかも。

ヨガの人たちの「今この瞬間しか存在しない」という言葉によって、
「先のこと考えて不安になってもしょうがないっ 前を見ましょうっ オレっ」
みたいな、
キラキラストーリーでは、一時的に楽になったような気がしたけど、
(これ錯覚だったよ、残念!)
今みたいな、完全なアホにはなれませんでした^^;

今は本当に馬鹿になったか、脳みその病気かも(ちょっと疑ってます、、笑)ってくらい、
先のことが何も考えられない。。。
考えが起こっても、一瞬で消えて、次の瞬間には忘れてしまう。

あ、そうか、
「不安」というものは未来に対して起こるもの、
でも「個人」の存在しない「非二元」の現実において、未来は存在しない、
(個人=時間軸の中でしか存在できない。個人が消えたら時間軸も消える。)
それゆえ、
不安というものも存在できなくなってしまうのだねー


心配に関して起こったことといえば、
インドに着いてから、熱が出て、1週間くらい下痢していました。
水を飲んでも、お腹が痛くて、がんばって食べてもぜんぶ出ちゃうって状態。

その時に友達に
「マラリアかデング熱の検査をした方がいいかもね」
と言われて、ひとまずネットで、それらの情報は収集しつつ、
口では「心配だなー」と言いつつも、
実はまったく心配してなかったー^^;

心配する前に、もう「心配だなー」ってテキトーに勝手に口が言ってる感じ。
「え?心配って言ってたいま?気付かんかったー」みたいな^^;
周りの方が心配してくれて、気にかけてくれたおかげで、
家で倒れて意識不明で発見される、、、
というよなことは起こらなかったです。

薬飲まず、治しました、とさ。
肉体に関しての深刻さも減っちゃいます。
(もう大丈夫やろーって、チリ入ったインド料理食べたせいで長引いた恐らくw)

ホメオのレメディは取ってたから、ちょっと効いたのかな。
だいぶ痩せちゃいました、さすがに1週間^^;
すぐ戻りましたが、ばばーになって痩せすぎるもんじゃないなーと思いました 笑
とかいう言葉がテキトーに出たけど、
見た目についても、ちょっと関心薄くなってる感じ。
たぶん、
歯になんかくっついたまま外出して、歯だして笑ってること多い。 はずかしー


そういえば、
非二元とエカトーレ(エックハルト・トール)の違いについて分析してるblogを読みました。
ちゃんと彼の本とか読んでないけど、
エカトーレは方法論を言ってくれてるみたいですね。

個人はそこに救いを感じるんだろうけど、
非二元って、
「あなたに出来ることは何もない」って言うから、個人には絶望的なんでしょうね、、、
おまけに人生は無意味。価値がない、なんて ^^;
「今まで頑張ってきたことは何だったのー!!あんなに悩んだのにー!!」
って個人には青天の霹靂さ。

まだ行ったり来たりしてる感覚で、居心地悪い不自由な感じが起こってたとき、
「うわーん(>_<)バガヴァーン!アルナーチャラー!助けてー!」
と、
前みたいに思ったとき、はっとしました。

助けを求める相手もいない、、、
その時、K氏という個人は絶望しました。 すごい落ちました。
ある意味、すごい厳しいのよ、「非二元」。
(あの絶望したことが、ほんの数週間前の話だけど、ずいぶん昔に感じる!) 

そういう時、エカトーレの提示してくれる方法論は
救いに感じるんだろうなーと。。
一部だけ読んだけど、ほぼ瞑想でやってきたことと同じだなーと思いました。

絶望した個人には、「非二元」について想像すると、
世界は全然おもしろみのないものなんじゃないか、と思い浮かぶようです。
だって、
ぜんぶ無価値、無意味、大事なこと特別なことも何もない。


余談ですが、
「大切な人」って友達に言われ、
「え?誰?^^; 大切な人ってなんだっけ? えーっと一般的に家族とかか?」
本気で、こういう思いが湧いてきて、
こういうふとした瞬間に、小さな変化に気づきました。


話をもどして、
おもしろみがない、とは、なんだか違くて、
実際、シフトが起こると、逆。

ぜんぶ無意味で無価値なんだけども、世界が輝く、
というか、軒のみな言い方ですが、一瞬一瞬が奇跡であり、感動、興味深い、おもしろい。

色んな表現があると思うけど、
K氏と名前をつけられた、この肉体の目にうつるもの、体験していることとしては、

草木が風に揺れる様や雲が動く様子、
毎朝太陽がのぼることとか、
自転車で走る早朝の空気感とか、、、

そういったことが、人間よりももっとリアルに映るようになりました。
人の形をしたそれらよりも、よりくっきりしてて興味深いというか、、、
言葉にすると別物ですな。

人の形をしたそれらを見ると、
空っぽだなー とか ぜんぶお笑い小劇場だなー
とか、そういう感じがわいてくる。
友達は、「幽霊が歩いてるようにしか見えない」って言ってましたよ^^;


そういえば、
脳科学者と「非二元」のスピーカー、大和田菜穂さんとの対談の動画で、
「人間が思考する0.5秒前くらいに、すでに行動が起こってる」と言ってました。

なーんだ、科学的に証明されてたんだなぁ~
「私」が、これしよーっと思ってやるんじゃなくて、
これが起こってから、
「私」が自分の意思でこれを行ったと話を作ってただけなんてー



次回、初めて「ノンデュアリティ」のメッセージに出会ったときの話でも、、

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