みずみずしいエネルギーをお友達が届けてくれた。
あけてびっくり☆うっとりうるおい~
私のお肌と踵はまだカッサカサ~
こんにちは。
健やかにお過ごしですか。
4月だというのに、雨降りだったりするとまだまだ寒い。
全国的になのかな。
桜はすっかり散ってしまいましたな。。
帰国してから、やっぱり毎日食べちゃうものと言えば、甘酒!
インドでの暮らしで唯一、恋しかったものって甘酒くらいかな。。。
と言いつつ、、、
いや、無いならないで全然おけー!でした 笑
こないだのインド滞在は、キッチンのないおうちだったから、
3ヶ月、ずーっと外食だった(^O^)
そういうのも、あんまり気にならなくなったナ。
美味しくて、下痢しないならオッケー。
否、むしろ下痢は超オッケー☆
揺さぶれた時に、誰もいないことが明らかになりやすいから。
帰国して、特にインド料理を欲することなく、毎日お味噌汁!
前日からとったいりこ出汁で母が作った味噌汁に、
昨年仕込んだ手前味噌を入れ、野菜や海藻を増やし、すり下ろし生姜、
豆乳で割った味噌汁が、とても美味しい^^
手前味噌は1年くらいがちょうど良いみたい。
2年ものは、からかった。(九州ではしょっぱいのも、からいと言います。)
今年は、甘めで作ろうと、こうじ君が冷蔵庫でスタンバイしている。
食べ物にこだわり無くなる、ジーヴァンムクタは多いのかも。。
ジーヴァンムクタって、なんとも大袈裟な表現!
肉食に戻ってる人もいるな~
ときどき、ニルヴァーナ同士で話すと
開けっ広げに色んなトピックが飛び交って、面白い(^^)
(ニルヴァーナってなんとも大袈裟! すいません、おもしろがってます)
人の文句を言うな、とか、愚痴は聞きたくない、とか、ジャッジがないから
そういう線引きが一切ない。
美しい話も、ゴシップも、同じに飛び交う。
言葉もすべて、誰もいないところから、湧いてきて消えていくだけの無価値なものだと、
「私たち」以外のなにかが、すべてわかっているから、気楽さだけが在る。
「あるがままに」
っていうのは、けっきょく「私」の不在でしか実現し得ないのかも。
あるがままの究極の自然を、こねくりまわして歪めて見るのが「私」。
カルマヨガも、
「私」がいる限り、無理。起こり得ない。
ヨガでは悟れない、ヨガだけ一生懸命やっていたら、
「私」は何億光年も生まれ変わって修業したのかな~っていう風にここでは見えます。
でもそれも、別に真理とは一切関係ないから、
そういう言葉がここで起こってるだけで意味はないです。
早い段階で、ヨガやめてといて良かったなぁという思いが湧いてるだけ。
「一体誰にとってのヨーガなのか?」ラマナマハルシの言う通り、
ヴィヨーガ(分離)が存在して初めて、ヨーガ(合一)が存在できる。
分離は存在しない幻想、ならば合一も幻想でしかない。
クンダリーニもチャクラも、気にするな、それに意味はない、という
ラマナマハルシの言葉を信じて良かった~
ハタヨーガは、肉体の健康維持に素晴らしいのと、
趣味なので、毎朝やっており、
(というか、選択も自由意思もないので勝手にヨガが起こってるだけなんですが^^;)
帰国してから、気候の変化によるものか下痢をしていたけど、
ヨガのおかげで、おなかの調子がととのいました^^
素晴らしい~
Bhagavanが言っていた通り、
私が誰か、見出だしたとき、カルマの道もバクティの道も自然に起こる、と。
そういうことだった。
Who am I?
この「私」が見出だされたら、なんの疑問も湧かなくなる。
この「私」が見出されてなおも、世界が存在するだろうか、苦しみは存在するだろうか。
「私は誰か?」これが1番の近道だとBhagavanは言う。
そんなわけで、(どんなわけだよーう)
毎日、手前甘酒&手前味噌生活。
帰国したら、甘酒がすごく流行っててビックリ~
市販のものより、手作りが美味しいですぞ~
しょうゆ麹で食べる納豆も美味しい、
塩麹を少々加えた、
米粉&雑穀粉で作るココナッツバナナパンケーキも相変わらず美味しい~
お友達からいただいた、ディカフェのコーヒーととてもよく合う。。
あめつち珈琲、こちらです → http://www.ametsuchi-coffee.com
私は身体がもともとあまり強くなくて、
添加物とか消化のよくない肉魚類(あんまり好きじゃないし)、食べすぎると、
湿疹や頭痛や嘔吐しちゃうことがあるため、
今も基本はベジタリアンの玄米菜食だけれど、
食べたいなーと思ったら考えずに肉でも、市販のお菓子でも何でも食べている。
何でも有なんですよね、
ただ、そこに誰もいないから、強いこだわり(執着)みたいなものは
消えてなくなるみたい。
解放のおかげか、インド帰国後、激太りもせずに済んでいます。
甘酒のおかげか、解放のおかげか、インドのおかげか、代謝が良いみたい。
(解放が起きて、体温が上がったという人もいる)
解放が始まったとおぼしき頃から、食べ物への執着は減ってきてた。
昔、中毒のように食べていたパンに関しては、食べても美味しくない、と感じるほど。
ま、どうせ身体はからっぽだから、そんなに気にする必要はないんでしょうな~
食べたいものは食べるぜい。
今日も変わらず、ここは静かです。
何でも起こって、そして何も起きていない。
誰もいない、なににも意味はない、特別なものは何もない。
すべて同じに奇跡。
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