前回のログの年賀状みたいの、平成23年になってますね・・・
私の全ても物語っているのでこのままでいきます 笑 そうツメが甘い!!
ある程度の計画は立ててその通りに行動しようとするものの、それがパァになっても構わないタイプ
と言われたことがあります。 その通り。
台湾旅行も、バス停に着いてみて、やっぱこっちに行ってみーよぉぅっと♪ outの日に空港に着きゃいいんやろ~♪
と、時間かけて考えた計画パァ!で土壇場になって行き先変えました 笑 ははは。
でもね、、、
先のことが決まっているときのほうが、心のどこかに不安がある。 ホントにこれでいいのかな?
逆に何も決まってない白地図を手にしたときのほうがワクワクする。
なんででしょ。
こないだ友達と話しながら自問自答して、その答えに気づきました。
人と話をすることでの気づきもあるなぁと、そういう気づきでもハッとしたので
今年はチャンスがあれば色んな人と話してみます。 たぶんたぶん・・・
東京は毎日きれいな青空が続いています。
見上げると、幸せだな~と思う。それが私たちの本性なのでしょうけれど。
なかなかどうして人間のマインドというものは、糸をからませこんがらがらせるのがお好みのようで。
朝起きたとき、私は割とマインドがこんがらがってわーっ!という状態なので朝のヨーガはとても良い。
先生の元へ行くと確固としたものを感じることができ、さらに良い。
グルというのは、生徒を無知の暗闇から光の方へと導いてくれる存在のこと。
私たちの不幸は、無知に起因するもの、とヨーガは教えてくれます。
世間のジャッジがどうであれ、半年という短い期間でも先生に会いに戻ってきて良かった、と思います。
ある程度年齢を重ねると変化への恐怖が伴う場合がほとんど、という意味で私はラッキーだったな、と思う反面、
どの選択をするかに、年齢は関係ない、その人次第だと最近思うようになりました。
年齢でジャッジするのは若い子に失礼。
肉体年齢が若くたって確固としたものを感じながら、宇宙と共存している子はたくさんいる、
と成人式特集をワイドショーで見て思いました。
お慕いしている肉体年齢が上の方々も、私を年齢で軽んじたりすることなく、
リスペクトを持って接してくれているの感じます。
私もそのようにしていこう、もうそろろこの人生も中堅ですんでっ
311よりも前に出ている雑誌を読んでいて、ダライ・ラマ法王の実弟であるNgari Rinpocheの
インタビューが載っていたので引用します。
地球は常に変化している。 変化に対応し、生き残る術を様々なかたちで先人たちは伝えてくれていますね。
ありがたや~
(記者) 今、人々の心がとても貧しくなっていますね。
一番は、私たちがお互いに思いやりをもっていない、関心を持っていないということです。
多くの人の心が、期待や執着に捉われています。もちろん私も持っていますよ 笑
”私”という感覚を持っている人は誰もが何かしらの期待を抱いています。
執着はそもそも”私自身”ということであるとか、”私の物”ということに対するもの。
けれど、では私というのはどこにあるのか? と考えて探そうとしても実は見つからないんです。
たとえば、私が4時間前は怒っていたとしても、今その気持ちがない。
でも同じ人間です。
そう考えると、”私”という概念は実は不変ではないということになります。
私もいるし、あなたもいる。それは確実です。
けれど、私たちがどのようにここにいるかということはわかっていません。
肝心なのは、だからといって、「私たちはいないんだ」という虚無主義になってしまわないことです。
仏教には「五蘊(ごうん)」という言葉があります。
これは自分をつくっている5つの要素です。 そのなかで特に一番強いものがマインドなんですね。
けれど私たちはこのマインドというのをよく分かっていない。
”意識する”という感覚では分かっているかもしれません。
何かを知覚・認識するというのもマインドの一つです。
けれど、マインドというのは玉ねぎのように、いろいろな層があってそれらもマインドの一面でしかない。
私自身もまだ理解できていませんが、これまでの体験からマインドが何をするか、というのは
段々理解できていると思っています。
一番は体験することです。
(記者)いろいろな経験をするのが怖いと思うことも多いです。
恐怖は、誰にでもあるもの。
けれど、仏教の教えでは、恐れがあるということが真実だとすれば、そこには必ず原因があって、
それを滅する方法も必ずあるんです。
恐れは究極的には無知・無名です。
すべての苦しみの源はここから来ます。
(記者)日本も豊かな国ですが、いつ崩壊してもおかしくない危険がはらんでいると思います。
それは世界的にも。くい止めるためには、私たちに何ができるのでしょうか?
まず、
何が来ても大丈夫な準備をしていく事です。
有名な仏教のテキストに、私たちが外に出て行ったとき、どこに行っても怪我をしないようにと思っても
地球全体にカーペットを敷くことはできない。けれど靴を履くことはできるとあります。
それと同じで私たちは自分のマインドと態度を準備しておくことができる。
私たちの心のなかに、正しい心の有り様を持つという態度が大切なんです。
(記者)そういった心の有り様を磨くにはどうしたらいいのでしょう?
訓練が必要です。考え方を自分に訓練していくんです。
瞑想という言葉が随分と巷にあふれてきましたが、本当の瞑想というのはある考え方について
それを深く自分で考えていって、自分に馴染ませるという意味なんです。
チベット語で「瞑想」にあたる言葉には「馴染ませる、慣れ親しむ」という意味があります。
たとえば、「人に優しくしたい」と思ったら、それをいつでもどこでも、シャワーを浴びている時でも考えることです。
マインドの本質は、何か思考を持つこと。
いくら無にしようとしてもマインドというのはあがってきます。
その思考をいかにポジティブにしていくかというのが瞑想です。
(記者)法王様は「慈悲(コンパッション)の心を持ちなさい」と常に仰られますね。
けれど、それはとても難しいことだし、そこに幸せを感じるのも難しいと思います。
マインドというのは、私たちをハッピーでない方向へ持っていく性質があります。
間違えてはいけないのは、コンパッション(慈悲)は憐れみではないということ。
もっと同等な立場です。
そういった大我の気持ちを持つことができれば、周りに左右されない幸せを感じられるようになりますよ。
それぞれが自分にとっての試練が何かを考えて、現実的に対処していく。
くれぐれも希望のない友達とつるんで、無駄な時間を過ごさないように(笑)
星に辿りつくことはできなくても、星に導いてもらうことはできますよね。
理想も一緒で、もしかしたら自分の理想には辿りつくことはできないかもしれない。
けれど、それを導き役に人生を生きていけばいいのです。
私の場合、悩みが浮かびあがってきたときは、とあるヨガの先生の言葉を思い出すようにしています。
「 欲張るから悩むのよ。 」
宇宙に任せっきりの先生は生まれてこのかた悩んだことがないんだそう。
大我の気持ちでなく、ちっぽけな我欲にマインドがくっついてしまっているときに悩みがやってくるんですよね。
まだまだ気長にヨーガや瞑想に励みますよっと。