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2011年12月3日土曜日

Jyotish, Vedic Astrology

This story may be almost fiction...

最近、
お金さえ払えば参加できるもの、ではなく、シェアをするというスタイルで「何か」を提供している人が増えている、
そんなような気がする。
ある人も、シェアスタイルで場を設ける際には、
ある程度まで「理解」や「気づき」、「ピュリファイ」とか?
言葉にするのは難しいけれど、そのようなものを自分の内に培っている人でないと参加は難しいともらしていたけれど、
そういう時代が来るのかもしれない。
  
  
と、それは置いといて。
my soulからご縁いただき、ジョーティッシュをみてもらってきた。占星術。
5時間もお宅にお邪魔し、みっちり、過去カルマ、現在カルマ、未来カルマ、前世と「私」について見ていただいた。
「くまりかなこ」という今世での器について、器の内側の本質について。
 
あっさりまとめると、「 くまりかなこ 」なる人物は、、、、
 
変人 で 変態 で 色情魔 (セックスマシンと言われた。親世代の友人には言えんがな言葉選んだがな・・・)  
  
生まれた日、場所、そのときの星の位置を見るらしいのだけれど、
逆行(リトルグレード)している星が3つ。
1つはよく居る、2つはぼちぼち、3つは少ないらしい。
   
初対面から、顔をジロジロと見られているなぁ・・・ とわかっていながら気づかないふり。。
後でそのことに触れられて、これだけ変人の星なら見た目も変な人が来ると思っていたら、
予想外に普通だったので、私の変なところを探していらっしゃったそう。
普段は「 くまりかなこ 」という20代後半独身の日本人女性の仮面をかぶっていますからねぇ。ふふ。
たまに一人旅で知り合い絶対いないの確認しては、仮面はずし変人満喫したり。 ふふふ。
   
自分で変人だとは薄々自覚していたものの、納得が深まり変人としての自信がついた。
変人の誇りを忘れずに生きていくよ。  
変態と色情魔は、新たな気づきで、
男性だったら、さぞ愉快でスリリングな人生を歩めただろうな・・・と神様の決めた性別を少し残念に思ったりして。
    
「 くまりかなこ 」という器では、大きな困ったことなくなかなか愉快な人生らしい。 -ひとあんしん。
早死にでポックリいくそうな。  -子どものときから長生きを望んでなかったのでこれも安堵。
未亡人になるかも。       -早死になのに、旦那どんだけ早死に? 
子どもでトラブル。        -出来ないか多くないそうだけど、こんな時代ですし無理せんでも?
晩婚。               -絶対当たってる。  ・・・いや絶対とか思わないようにしよ。親が悲しむ。
お金に困らない。         -贅沢できないけど、食うには困らないってコトかな?
自分勝手な変人なのに人間関係の点数が最も高い。   -愛する友人たちのおかげだわ♪ 
恋愛や結婚の価値観は打算的  -ひょー!
アシュラムとか俗世を捨てて籠もったりしたい  -色情魔のくせにこの思いも強いから、世間的に変人レッテル?!
献身と奉仕の星もなかなか            -変態のくせにねぇ。。。 
前世の中で生きてる、ヨガを選んだのも前世からの繋がり。  - ふぅ~ん  
     
とまぁ、くまりサンはこんな感じだそう。
大事なのは器の中身。
「 リトルブッダ 」という映画の中で、チベットのラマがお茶を注いだ器をぱーんと割って、
「 器は割れてしまってもお茶はお茶のまま。ふきんでふき取って絞り出したものも、中身のお茶は同じお茶 」
と転生する魂について説明していたけれど、それが中身、魂。
顕在意識や潜在意識よりも、もっと奥深い部分。
くまりさんが自覚するのが難しいところ。 
      
まあまあ何度も人として転生してきた古い人らしい。
勘の良い友人がふと漏らしていたこと、そのまま言われた。
それで、ヨーガの体操とかにもイマイチ燃えないっていうかこだわれないのかな。妙に納得。 
器の健康維持のために毎日やってますケドネ。 
   
それで今世は、違った世界にいくために、内側でかなーり葛藤するみたい。
書くと別のものになってしまうので書けないけれど、納得できること有。
 
 
など、
このような面白いお話を聞かせてもらえた。
それにしても、自分のしたいこと、自分にとって自然な選択をしていると通じ合える人たちと出会えるというか。
みていただいたアストロジャーの方も、
私の人生では決して出会わないだろうタイプの方だった。
そう決め込んでいた人生でなく、もっと自由なものになったということなのかな。
     
年とか性別とか仕事とか世俗のこれまでの選択を超えたところで解かり合える、否、
お互いを解かり合うというより、同じところの何かに気づいた「同志」とでもいうのだろうか。
もしかしたら
私の一方通行な自己満足なだけかもしれないけれど、そういった人たちと出会い
その同じところの何かを共有できたと感じたとき、懐かしいような思いに魂が震える。
その人と、この人生ではただ擦れ違うだけの運命であったとしても、その一瞬の喜びに泣ける。
   
人は孤独だ。
ネガティブ、ポジティブ、という二択の存在しないところで
肯定的に、人間は、孤独。
この肯定的孤独に向き合い愛でている友人たち(と勝手に呼んでる人も含め)のおかげで、
「くまりさん」の悩む回数は激減しているような気がする。 
 
ありがたいなぁ。
つくづくそう思う長くて一瞬の一日だった。 
  
Perhaps this story is almost fiction....
     
 

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