選挙、終わりましたねぇ。
自分がマイノリティの側であることを改めて実感。
でも、マイノリティな価値観や考え方を隠してマジョリティに順応しようと努力し
生きていた時よりは、感覚的に楽になったので、
マイノリティ側が増えてきているように思います。
ゴーゴー♪
自然の音の中に溶け込む一体感は、
お金で手に入るものの中で得られなかった快感・・・
気づいたら、
自分も蝉の声や風でそよぐ木々の音たちのバイブレーションと同化しているというか・・・
朝はデトックス、排泄の時間帯なので、
朝食は食べない方がベターなどと言われますが、
(私は食べない派、どうしてもお腹がすいたり出かける用事がある時はフルーツのみ)
心や頭にも同じことが言えるように実感しています。
朝起きたてで坐ると、
たくさんの思いや思考が吐き出るように浮かんできます。
それが静かになっていくという作用を知っているので、
出てくるままに任せます。
それが済むと、上記の快感のような一体感が訪れるっていう流れでござい。
↑ このようなことをヨガスタジオで申したらドン引き間違いなし!なので
言いませんけどね。
しかしながら、
空気を読む、ということや建前を、もう辞めていいんだろうなぁと思います。
特に、東日本の若い世代の人たちはそうした実感がありそう。
安曇野の養生園の方針に共感していて、
至れり尽くせり、のおもてなしでなく、
出来ることは、payするゲストにもやってもらう。
お金を払ったんだから、払った分はもらう、あわよくばそれ以上をもらいたい、
という価値観の限界が見え始めているというか。
お客様は神様です!っていう言葉をかさに、
オレは客だぞ、金払ってんだぞ、もっとよこせ!(目に見えないサービス含む)
っていう人が多いように日本の社会は見えます。
シンプルに考えてみると、
自分に足りていない必要な物(エネルギー)をお金(エネルギー)と
交換しているだけで、
また自分に足りないエネルギーを他で分けてもらう可能性があるわけで、
誰しもが神様になりうるのに。
ヨガを提供する場でも、同じことを感じていて、
そもそもヨガっていうのはエステやスパではないわけで、
自分で行うっていうのが大前提のように思うのです。
(という意味で、ビジネスとして成立させているヨギーの様々な葛藤を想像します)
たぶん伝統的ヨガを学び伝えようとする先生は、
生徒さんをお客としてとらえていないから、
私も、たくさんの素敵な先生たちと、信頼のおける友人になり得たのだと思います。
尊敬すべき先生であり、愛する友人たち。
なにかを期待しない、というのもヨガのひとつ。
そういったことを実感してもらえているならこれ幸い。
痛ければポーズをおやすみしていいんですよ~、と言っても怪我するまでやっちゃうとか、
水を飲んでいいんですよ~っていうまで喉が渇いても飲まない、とか、
日本の教育の、全員右ならえ、が根付いているように感じるのは私だけ?
そういう他者に植え付けられた、
無意識のクセや、考え方に気づき、
自分の本当にやりたいことに耳を向ける、
それが自立の始まりなのではないかな~などと思う次第っす。
自立、
外の世界にやたら期待しないようになるから、
ヨガをすると、そう腹も立たず慌てず不安に陥らず
穏やかになるのかも?
自立し平和に生きていければいいなぁと思います。