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2018年3月28日水曜日

日本つれづれ



こんにちは。
バラナシの短い滞在を終えて、帰国しております(^^)
楽しかったな~バラナシも、、、
またゆっくり訪ねたい場所がひとつできました♪
いきなりインド初めて女一人で、出かけることはオススメしませんが、、^^;

いつもパンジャビ(インド服)着て、
髪もバレッタでとめて三つ編み(インド人のおばちゃんスタイル)とかしてたので、
うざいほどインド人には声かけられませんでした。
そういうのも今や、面白がって喋ったあと、自分勝手に立ち去ることができる。
単におばちゃんになったのか、解放の影響かは知らないが。

わざわざそんな私に声をかけずとも、
若くて、太ももやら乳やらの形をあらわにして高そうなカメラをぶら下げた外人だらけ、
そりゃあそっちに声をかけたくなるってなもんのインド人心、ですね(^^)

そういえ、オートのお兄ちゃんもボヤいてた。
最近はインド人(旅行者)の方が、外国人よりも気前がいいって。
「時代は変わったのよ、、、」と言っておいたが。。


大好きなインドから帰国して、
いつもなら「帰りた~い!寒~い!」となるところ、
非二元にシフトしたあとでは、何が起こるのか楽しみに帰国しました。

うん、
何にも起こらなかった、予想通り 笑
ぜんぜん帰りたい、という思いが湧いてこない(^^)
インドでも日本でも、
目の前のことが、ただ「あるがまま」あるだけです。で、なんか楽しい、、、愉快、、


ちょっと前までは、やっぱり因果関係はある気がするんだよな~、、、
と思ってたけど、理由といった類は、いつのまにか全部消えちゃった !
ビバ、バラナシ。
この因果も、あくまで見せかけの無意味で無価値なもの。

起こる物事に、なんの理由もなくなってしまった。
いやはや、こりゃー楽ったらない。


ひとつ困ったことは(実際のところは、ぜんぜん困ってないw)
何故こういうことをしたのか、と尋ねられた時。

どこをどー探しても、理由ってもんがどうしても存在しないから、
答えようがない^^;
起こったことが、起こっただけです、としか返答のしようがない。
(そう言うと怒られるのはわかるから、言わないけれど。脳みそは働いている)

菜穂さんの新しめの動画でも「罪悪感がない」と言ってるけど、
罪悪感も後悔も存在しえない。
だって、ここでは過去がないし、選択肢や自由意志がないんだもの^^;

子供の世界、子供の目線
これが良い例えな気がする。
すぐ忘れるし、何に対してもジャッジがない。


エネルギーが
ぜんぶ軽いな。。


皆すでに極楽浄土にいるとはこのことだったんですね~お釈迦様~
って感じ(^^)
(バラナシで、私はなにも吸ってません 笑)

とにかく、
解放が起きて、
人生から深刻なことが一掃されてしまいました。
毎日が同じに無意味で無価値で、、、、ただなぜか楽しい。

大切なものも大切な事も、大切な人も何もない、
すなわち、
すべてに違いを見ない(違いなんてありえない)とは、
なんて楽なんだろう。

解放が起きた友人とたまにミーティングをすることがあったけど、
すごく面白かった。
なんていうか、、、
本当にぜんぶがただ、軽かった。

特におもしろーいと思ったのは、
メッセンジャーでのChatで、
バラナシで喉や鼻をやられてるとき、体調が突然改善したこと!

解放同士の交わりは面白いことが起こるみたい。
「お互いジャッジがないから、すごく楽だね~
 なに言っても、ぜんぶ無意味って知ってるもんね~」
なんてよく言ってた。

確かBhagavanの「あるがままに」だったと思うけど、
ジーヴァンムクタは、ジーヴァンムクタを認識すると書いてあったけど、
こういう風に全てが軽いから、わかるのかな~


でも、だからって解放が起きた人にすごく会いたい、
とかは起こらないんですよね、やっぱり「あるがまま」で満足、
、、、違うな、

満足もなにも、それしかない、満足する人なんて誰もいない。
人なんていない、最初から誰もいなかった。
こんなだからか、
ノンデュアリティのスピーカーはバッシング多いのかな^^; 
のらくら~だもんなぁ~

「じゅんころ」さんは公の場から姿を消しちゃったし、
菜穂さん(日本語のスピーカー)がいるうちに、
話を聞いておけてラッキーだったな~と思います。
日本語ネィティブのスピーカーって少ない。

菜穂さんも解放友達とも同意見だけれど、
若いうちの方が、解放は起こりやすいと思います。
ごめんなさいね、ご年配の皆様。

実際のところは、誰も歳をとったりしないんだけれど、
(誰も生まれてないから歳をとる人なんて存在しない)
時間の中で生きる自我というのは、歳と共に、増大する傾向。

「私」は人生でこんなことを成し遂げた。
「私」の家族。
「私」の地位。
「私」の財産。

一般的な話で、幻のこれらを所有してると勘違いしてる「個人」は多いかと思います。
という意味で、若いうちの方が、自我の所有物が少なくて
解放は起こりやすいのかもしれません。

「若いうちに起こってよかったね、私も母が死ぬ前に起こって欲しかった…」
と言われたことがあるけど、
私もそのように感じています。
誰に起こったわけでもないんですが^^;

あとガン闘病中の友達も、ガン発見の前に
解放が起きて良かったそう。
病気の痛みが誰のものでもないって、楽だと思う。
不安も心配もなくなっちゃうし。


今のところ、
解放へのシフトの鍵は、
ノンデュアリティの話を聞くこと、しかわからない。


でも、
このパーソナリティは、インドの詩的な表現が大好きな
ロマンチストだから、
あえて言いますね(^^)

アルナーチャラは、私に素晴らしいギフトをくれました。
解放という恩寵。
アルナーチャラは、お願いすれば、何でも叶えてくれるシヴァ、
聖なるエネルギー。

おぉ、偉大なるアルナーチャラよ、、、、




ぜんぶ無意味な夢のお話でした。




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2018年3月13日火曜日

ベナレスの夢



こんにちは。
お元気にお過ごしでしょうか。

日本は春の訪れを感じる頃かしら。
良い季節に入りますね。


※このblogはすべて夢の話です。


はてさて、
デリーからの便に乗らないといけないってんで、
せっかくなので、久しぶりに北インドにいってみよーかどー!と、
初めて、バラナシへ。

バラナシと言えば、インド1、2位を争う悪名高き観光地。。
若いバックパッカーが沈没する聖地、、、
そんなところに「私」を失った状態で足を踏み入れる、
ノンデュアリティの世界では、どんなことが起こるのか、
興味津々でして(^^)

騙されたりしたら、ちょームカつく、
インド人に話し掛けられまくって、げっそりグッタリ、、、
昔、北インドを一人旅したとき、
そんなだったK氏の変化を見てみたいと、ワクワクでバラナシに足を踏み入れたのでした(^^)

インドは広い、
色んな旅の仕方があります。
南からそのまま電車でいく。(たしか36時間とか)
デリーまでフライトで、電車かバスに乗り換え。(12ー16時間)

貧乏性なもんで、
ラクナウ(パパジがサットサンしてたとこ。デリーとバラナシの中間に位置します)か
パトナまでフライトで、そこから夜行バスで向かうか悩みましたが、
今回は短い滞在なので、
チェンナイからバラナシまでフライトで。

とはいえ、
チェンナイまでバス(4ー5時間)、一泊して空港まで移動、
バラナシ空港からガンジス川周辺までタクシーで1時間、
など、
やはり移動が長いインド、
オート(いわゆるトゥクトゥクのこと)に乗るたびに、
値段交渉して~とか、時間がかかります^^;

前みたいに、値段交渉しなきゃ、、、はぁ、やだなあ、、みたいなナーバスな気持ちはなく、
やっぱり全部楽しくって仕方ないんだけれど♪
オートのお兄ちゃんと話が盛り上がったら、チップあげちゃう余裕っぷり。  
相変わらず、ぜんぶが平等に無意味だから。

それと、個人の消失により、
お金っていうのも、同じに無意味で無価値なものになるので、
(個人的な持ち物っていうのも消え失せます。だって個人がいないんだもん^^;
 聖者たちが「ある意味で、世界を捨てる覚悟が必要」っていうのはこういうことかも。
 ある意味で、ここで見える世界、非二元の現実では、世界は消えてると言える。)

ぼったくられたりしても、何ら問題ではなくなります。
そこで怒りが起こったとしても、ただ怒り、という感情が起こっただけ。
誰に対して起こったわけではない。

個人的なことが一つもない。
「自我」はなんでも個人的に捕らえるから、色んなことが問題になりますが。

だから、ぽいっとお金を多めに渡したりするこが起こってます。
騙される人も、騙す人もいない、ここで起こることは、そういう次元の話。
次元が高いとか、低いとか、高いから良い、低いから悪い、とかジャッジのない次元。


はてさて、
空港から降り立って、
なんと、バラナシ滞在していた友達が空港まで迎えに来てくれる、という
ぜんぜん冒険感のない感じで、街へ足を踏み入れたK氏。

空が、灰色^^;
い、息ができない^^;

地元の人がマスクをしている、
それ即ち、
かなりヤバい大気汚染を意味します。
K氏も最初の2日、喉が痛くなり鼻がつまって目が痒く、
動けなくなりました。(持っててよかったホメオパシー!!)

ちなみに、
空港からオートで行きました。500rp これ相場だそうです。(たまには旅じょーほー)

帰りは、駐車場代として+100rpを請求され、
「ふざんけんなよ、ありえねーよ、こちとらインドの物価知ってんだよ、
ちょっとそこのバイクのお兄ちゃん、駐車料金おしえてくれる?」
バイクのお兄ちゃんをつかまえ渋り、オートのおじさんを黙らせたK氏。
ま、チップあげよっかな、と思ってたので、50rp渡して決着。

なにか文句を言うことにも、躊躇いがなくなります(^^) 
誰もいないから、行動だけが思考なしに無意味に起こる。躊躇う人がいない。
ぜんぶ面白い。

でも思考が起こることもある、何でも起こりえる、
ただ、それをやってる人が誰もいない、というとても単純な話。



ガンジス川はやはり美しかった、、、!!!

友達に連れてってもらったり、瞑想仲間からオススメされたりして、
たった1週間の滞在で、あちこちお寺やアシュラム、エネルギーポイントを訪ねて座りました(^^)

目的のない趣味の瞑想は楽しい♪
(どこか行く場所も、目指すところも何にもないから)
ただ静けさを聞いて座ってるだけなんですけど、
深く深く潜ってる気分(^^)

頭の中の思考すら気にならなくなったから
(思考を観察してる人がいないし、気にする人もいない)、
携帯電話の音も、話し声も、何にも気にならないから、
瞑想は、本当に素晴らしくなりました(^o^)
バラナシはさすが聖地、瞑想、すごく良い感じです。

ご飯もお茶もケーキもマズイから、
ガート散歩して、お寺にいって、瞑想するしか、することない、バラナシ 笑
楽しい!

日本人の若いバックパッカーもたくさん見たけど、
一体なにやってんだろー

あ、
楽器習ってる人は、長期滞在してるそう。
わたしのお隣りさんもタブラ(インドの太鼓)やってて、毎日練習してた。
彼も、毎年長く来てるみたいだけど、
マシになったが飯がマズイって言ってたな~^^;
街の臭さでも食欲が失せるところです。

前だったら、
ご飯もまずくて高い、宿も汚くて高い、街が汚い、花なんて咲いてない、
なんてバラナシに、
ぜんぶ揃ってる南インドから行ったならば、

「南インドに帰りたい~なんで来ちゃったんだろ、、」とか「早く日本に帰りたい、、」
など思っただろうけど、
過去も未来も存在しない今、そういう思考は一切浮かんでこない、
ただ目の前のマズイ飯が、いんちき臭いインド人が、大気汚染の街が、
ただ無意味で美しい奇跡で、面白い(^^)


よくスピリチュアルだったり、サイキックな人にありがちな発言で、
「個人」にとって良いことが起こった時にだけ、
「 必要なものが全部勝手にやってきた 」 というのを聞くけど、
(しかも何か自慢気な気がする、これこそ自我の大好物なエサなんですが。)

ここで起こってることは、
見せかけに起こることは変わらない、「個人」が悪いと捉えることが起こっても、
ここでは、それを悪いと捉える「人」がいないだけです。

で、
ここでは「身体」も無意味に起こってることの一つに過ぎません。
だから、見かけ上、K氏がなにか考えて決断してるように見えることも、
「ぜんぶ勝手にやってきた」ことのひとつなんです。
誰もやってません。
ただ身体が自動的に、瞬間瞬間、起こって、その行動がその瞬間起こった、
そして消えた、というだけ。

「自分」を肉体と同一視する「個人」は、
自動的に起こってることは、
身体(自分)がやってること以外(他者)を意味していると勘違いしてしまうけど、
あくまで肉体もまた、起きてることのひとつです。

ここまで(例えば肉体の動き、思考や決断、選択)は自分でコントロールできる、
自分(乗り物と信じてる肉体)の行動以外は、大いなる力がやってる、
というのは、
とても個人的な考え方、エネルギーです。


前に、パスポートもクレジットカードも現金も盗まれた友達のことを書いたけど、
まさにそういうこと。
見せかけ上は、彼に、不運が起こったように見えます。
でも、実際はそこに彼はいない、「個人的」に出来事を捉える人がいないから、
ジャッジがない。(悪いことが起こった、との判断がない)

彼が怒ったように見えても、実際は、誰も怒ってない、
怒りがただ起こって、そしてそれが消えていっただけ。
パスポートの再発行を求めて、あちこち奔走していても、
それも自動的に起こってるだけ、彼はなにもやってない。

この世界が「幻」や「夢」のようなもの、と言われるのはそういうこと。
ぜんぶ消えていく、夜に見る夢と同じです。

眠っている時に見る夢が現実ではない、無意味なものと皆知っている、
「個人」のエネルギーが消えたここでは、
すべてが、眠ってる時に見る夢と同じでしかないです。

そういう意味で、シフトが起こると、
「世界が消える」とか言われてるのかもしれません(^^)
でも、このシフトや解放と呼ばれるこれは、
個人的な「私」に起こったわけではないです。
これがすごくクリアになる。


Arunachalaで、今まで見ていた夢から覚めて、
別の夢に潜っていき始めた。 でも何かがクリアな夢。

バラナシで、もっと深く深く夢の中に潜っていった気分。。。


ここは今日も、とても静かです。
喜びも怒りも悲しみも葛藤も、個人という分離したエネルギーも、
ぜんぶ美しく無意味。 

そして完璧。



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でも正直なところ、ノンデュアリティの話を書くのはやめるかも?
だって皆、
美しいヨガの話、皆でギャザリングしてハグして涙、、、とか、
個人的なストーリーが好きでしょ。

ぜんぶが同じに無意味っていうのは、、、
例えば悪口や愚痴も、「ありがとう」っていう言葉も全部同じ。同じに無意味。
そこで識別(ジャッジ)や分析が起きない、ということ。
ここでは、因果関係も引き寄せも存在しないんで、
文句言おうが、「ありがとう」と言おうが一緒でしかない^^;

美しい個人的なストーリーが大好きな「エゴ」は、これを理解しないと思う。
こういう発言はムカついてしょうがないんじゃないかな^^; 
とても自然なこと。 完璧。
K氏も、こんな話、聞きたくなかった。

、、、でも、何者にも違いを見ない、というのは、こういうことじゃないかな。
Bhagavan!!って瞑想してた時より、Bhagavanの言葉がものすごくクリアに理解できる。


究極の「救い」、人生で何か探し求めること(探求)の終わりっていうのは、
「私」の死でしかありえない。
K氏が死んでわかりました。

もはや、わかった誰かは存在していないのだけれど。。