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2012年2月23日木曜日

雨の日の葛藤

あたたかい京都。
昨日の朝、窓を開けたとき、理由はないけど、春のにおいがする!!うまい!!と感じ、
部屋にお香を焚いたことを後悔し、手で煙をしっしっし~!としつつ
窓からにょきっと顔だし、すーはーごっくん!すーはーごっくん! 
目撃されたら頭おかしい人と化しました。  うーむ、おいしかった春の味。
  
今日はぐずぐず雨でした。
雨が降ると一層あったかくて嬉しいんやっけど、太陽が恋しくて恋しくて。
  
そんな葛藤とともに、朝の瞑想タイムはなんか悶々と考えがでてきました。
しかし雨は洗い流してくれる。
人間社会の時間の流れからひと時だけ隔離した夢心地の世界で、安心して眠らせてくれる、
そんなバイブレーションが漂っているような気がします。
昔はクセっ毛がうねうねするし、理由もなく凹むから雨は嫌いでしたが、
自分と向き合うのに絶好の時間な気がします。  
  
他人に説明するのが難しい葛藤のようなもの、
ともかく、ハッピー!イエーイ☆という感情とは逆のもの、
朝の瞑想タイムでそれが頭の中から続々と出てくることが多いのですが、
ヨーガはそれを消化し納得させてくれる力があるように思います。
     
前にも書いたけれど、根本の根本の問題(果たさなきゃいけないカルマとの直面)は
人に話して解決しないと感じている。
誰かに聞いてもらってスッキリするのは一時的なもので解決でも前進でもなく、成長もない。
だから私は、いわゆる悩みという形でもって表面化している時には、あえて一人になる。  
いつからか、死に際を見せない象のように、その間は姿を消すように生活し、観察する。
      
もし可能な時なら旅に出て、肉体的にも一人の状態をつくることも。
旅で自分を探す、という人もいるけれど、私は20代前半でそういった旅は終わったように感じている。
20代前半は、旅のあと虚しかった。 
まさに解決のない悩み相談と同じ。 
虚しさが蒸し返す。よもやそれは倍になって返ることもあった。
その度に蓋をした。 喋り、食べ、飲み、未来のない集いの中で。
      
もちろん始めからこうではなく、
いっぱい人に話して泣いて話して笑顔になり、スッキリしたような気になって、また同じことをして、
何度となくそれを繰り返すうちに、心が疲労困憊しちゃったことに気づいてからだ。
いい加減やめようよ、その繰り返し。飽きたよ。
心がそう言っているのに気づいてしまってから、そうするようになった。
   
さらにそういう時に頭に浮かび求めるのが、家族や友人、恋人へのcallingでもなく
聖典と先生の顔 笑
一番最近、そういう状況になった時がちょうど引越し準備の最中で
げげー!しまった!ヨガの本もグルの写真もチベット仏教の神様グッズも
めっちゃ元気やけ箱につめて実家に送ってしまったばーい!!
という具合に焦る自分に気づき、己のキチガイぶりに笑い冷静になりました。
ほ~らね、聖典と先生の力。 あ、違う? 笑
  
というわけでヨガはおすすめです。
  
↑ 書いてるうちに起承転結を考えるのを投げ出しこのまとめです。 ははは
  
いやいや
ほんとに、ポジティブに考えろ!とか考えるな感じろ!とか
確かにその通りなんやけど、無責任にその発言だけするんでなく、
やり方を手順に従って教えてくれ、かつ粗雑な肉体レベルで体験させてくれるから親切なのです。
Yoga=優しさ120%♥
 
さらに、グルは、直接的にそんな発言をせずにただ導いてくれる。
気がつくとそうしてくれている。
そういう人物だと感じています。      
  
 

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