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2015年4月30日木曜日

Beautiful night ; after party 2...


Namaste.
On Baghavarn's Maha Smadhi day... Nothing in my mind...
The vibrations of Sri Arunachala Akshara Mana Malai, the song for Arunachala Siva,
were so beautiful, full of love...
People who devote to Sri Ramana sing for him.

写真を撮ることにも、意味を感じないほどに、
美しいマハサマディの夜でした。。
Maha Samadhi= 入滅、肉体を離れること
   
バガヴァーン、ラマナマハルシが肉体を離れた日、
たくさんの花々が捧げられ、マハサマディの時間に歌が捧げられました。
嵐のようなスコールが続いた数日あと、澄んだ空気の夜のこと。
ジャヤンティと、このアラダナの前には毎年必ず雨が降るのだそう。
宇宙からアルナチャラへのBlessing…
     
言葉がなくとも…
言葉がなくとも、ハグや大きなジェスチャーなくとも、
あの歌の時間、確かに私たちは大きなものを共有していたと思います。
目を見てナマステだけで分かち合っているのを感じる、
これもまた、
この場所が好きな理由の一つなのかもしれない。
無の中に神を感じることのできる人種、日本人向きの場所ですょ。
大人数の人とその場限りのお付き合いをするのがすごく苦手だから、
それもあってここが好き。自分の内側と向き合ってる人が多い場所。
   
このスコールのある夕方、タイミング悪く街で買い物しており、
ひっくり返したバケツの水を10杯浴びるってこういう感じかな!!!
なんて、
財布のお札までびしょ濡れでリクシャも拾えず、
タミル語しか喋らん奥さんと、えらいこっちゃー!!笑いあい、
糞尿混じった道に足を奪われながら、
(コダイカナルにいる今、思い出しただけで鳥肌が立つほどヤなんだが、
あれぞアルナチャラでだけ為せる技だったと思う^^;)
iPhone故障覚悟で嵐の夜道、
バケツひっくり返し状態のなか懐中電灯アプリを頼りに突き進み、
半ば面白く過ごし、
なんかもうおかしくって色んなことがどうでもよくなった、
浄化の雨。
全てがアルナチャラからのギフト。


Maha Samadhi night...
胸がいっぱいで、
こういう時はお腹もいっぱい、プラーナだわね、
プラーナは愛なのねって静かに感じ入る。
とにかくもう幸せや愛ってこういうことなんだなぁっていう夜でした。
予定になく滞在を延長した
(も、こんな人ばっかりでし、ここ。
初めて来て、これまた延長した友人がうまいこと言ってて、
ここは一週間とか一人で来たら情緒不安定になって終わりだねー、と^^; 
心の消化不良を起こしたまま行ってしまう例をいくつか見ました。
私も最初の一週間下痢してるしね!去年も今年も!!)
旅人日本人も、インドで愛を感じてしまった、、と^^
    
このビューティフルナイトのその延長で、夢のようにルラルラと山に登ったり瞑想したり過ごしつつ、
そろそろバスチケットとるかーと予約しようとしたら何度トライしてもオンラインでとれなくて、
ハッと目が覚めた。やばい。
 
今までこんなことなかったのにー…
が、
今回ばかりは、アルナチャラが止めようとしても流れに逆らっていく気持ちで、
炎天下、バススタンドへ出向き、
久しぶりに釣銭をチョロまかされたりしながらナイトバスのチケットget!
   
いや行く!!私は今度こそここを出発する!強い決意で!
(何度かトラベルプラン変えてるの…)
だから今年の秋にまた引き戻してくださーい、お山に語りかけつつ、
連日の雨ですっかり涼しく過ごしやすくなったので、
一人だとバスをキャンセルしてティルにとどまる、なんてことも考えちゃいそうだったので、
旅仲間を得、一夜の二人旅と相成る。
旅は道連れ世は情けってやつかしら。
   
   
生きることは全てバランス。
ヴェーダチャンティングの力強さと、
タミルパラヤナの優しいヴァイブレーション、
太陽と月、
陰と陽、
男と女、
ここの、このバランスが好きだ。
我々は極端よりもバランス良いとこ、中道にある時に、
普遍の、失う恐れのない幸せの中にいるように思う。
   
上がったものは下がるしかないのである。
来たものは去ってゆくだけである。
変わりゆく極端なものは、不変の真ん中に引き戻ってゆくのである。

だから私は、
幼い頃から別れの悲しみも再会の喜びも大きく表現することを好まないのかもしれない。
異常なテンションの感情表現が子供時代からできない。
↑ これを周りに合わせて不自然にやろうとした結果、
心身が居心地悪くなっちゃたー  あと老けて見られた理由かしら^^;
今もやっちゃうけどね、生粋の空気読む日本人ダカラ。
日本の学校や会社って、
変わり者、協調性ないやつは打たれる、生き残れないということを
子供ながらに汲み取っていたのかな。
もはやそういう生き方の方が、生き残れないことを、
311後の日本で認め始めた人も多いように感じていますが、どうですか?
   
すべては自然に去り、自然にやって来る。
なにも頑張らなくてよい。無理して上げ下げしなくてよい。
自然でいる。
これもまた、ここでの体験が教えてくれたこと、でしょうか…
    
そして、
翌日フェスティバル、多くの人があふれる中、
朝はずーっと瞑想室で座り続け、バガヴァーンのダルシャン。
瞑想室では、
瞑想というより、彼のエネルギーに触れさせてもらう毎日ダルシャンだなぁと今年は思いました。
    
なぜかこの日、久しぶりに腹を完全に壊し、トイレとベッドの往復。。
(何故かっていうか、間違いなくデーツとナッツの食べ過ぎという心当たり大有り!
これにCoffeeで、魔のコンビネーションの出来上がりっ!)
    
アルナチャラから去る前にしっかり肉体浄化のギフトですかね。。
もうしばらく食べれない!ってザ•インド料理もデーツナッツに加え、
いっぱい食べていた。
イドゥリーワッダからのプーリを一枚追加するという、
南インドの朝ごはん全盛りに近いことやってたのだ(笑)
これだけ食べれた自分に、私って若い!と思った!!
欲張りは辞めなさいねっていう心の浄化でもあったかな^^;
    
フェスティバルの後の静かな朝、
ティルヴァンナマライでの最終日は、
ちびっこプジャリー達がおらず大人の熟練プジャリーばかり、
いつも以上に力強いヴェーダのチャンティングがホール中に響き渡り、
何の思考も言葉もなく別の世界に座っているようでした。
さいこー
   
そのまま、もちろんフワッと山へ。
いつもと違うひと気のない岩場を登りしばし坐り、
アルナチャラにしばしの別れを告げる。
そして出発の夜。
   
バガヴァーンを見つめていると、彼が答えてくれたように思います。
しばし涙…
なんて大きな愛をいただいていたのだろう、、、
毎日を、
今日がここでの最後だと過ごすべきだった、と振り返る。
俗世間の別のことに心を奪われている日も多々あった。
時間があると思うと、、、
つまり、未来について考えるということは、人を怠惰で傲慢にするのだなぁ。。
   
私らしく時間ぎりぎりに出発してしまい、(旅仲間に超迷惑ね)
リクシャマンに有無を言わせず、
おっちゃーん、バススタンドまでもち70Rpダーヨーネ?!
で、
何の交渉もなくしゅっぱ〜つ!
しばしのcompanyは、すげー交渉力…と言っていたがそうではなく、
おそらくこのリクシャマンは私のことを覚えていて、
最後に気持ち良く見送ってくれたのだと思う。
このオヤジの粋な計らいもまた、アルナチャラからのギフト、かな…なんて(笑)

(オフシーズンで外人客が少ないから、ってのが美化したい主観を離れた客観的意見w )
   
    
また戻ってこれますように。。
ふだん忘れてしまうほどに、あまりに自然で大きな愛、
まるで母が子に抱く、
地球が我々に常に与えてくれているそれのような。。
これを彼は沈黙の教えの中で教えてくれたように思います。 
   
また呼んでもらえますように、
魂よりももっと深い場所で愛しているアルナチャラへ。
I'm totally absorbed in Arunachala.

Arunachala...





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