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2015年12月28日月曜日

満月、お誕生日、循環すること


わなかむ。
クリスマスは満月からのBhagavan Jayanti(お誕生日)、
おそらくホリデーシーズン(tamil暦のMargazhi)も重なりで、
ここ南インドの田舎町、Tiruvannamalaiは大騒ぎでした。。

満月の日、ヒンディーの人々は、このSivaそのものであるところのArunachalaの周りを
回るので毎度、近隣から人々がやって来ているのでしょうけれど、
ホリデーシーズンで、遠くからもやって来る人々もいると思われる。
人々のエネルギーもさながら、ここで感じる月のエネルギーは強烈。

何故ここで見るお月様や星たちは、こんなに強く明るいんだろう、、、

明らかに沖縄の離島よりも空気は(水も、、)悪いはずなのに、
強い光を放つ、月と星。

ここに来ると毎年寝れない時期があるんですが、この満月とJayanti前後2、3日は、
早朝(っていうかまだ夜中ですよ、日本の私からしたら)3時にはギラギラと目が冴えてしまい
四六時中、夢心地で眠かったです。---ZZzzz
でもやっぱし夜の幄が下りているうちから瞑想に入ると、すごく良い感じ(^^)
自然と静寂のなかに入っていけると言いますか。

人が多かろうと踏んで、今年の春にやっていたように5時半頃から山に登り始めると、
6時になってもまだ真っ暗で、南インドといえどやはり冬なんだな~と思います。
春はもう、6時には昇った太陽が暑くて座っておれず下っていたもん。
暗いと猿など動物のウンコとか踏んじゃうからイヤなんだけども、「暗闇は無知」とはよく言ったもんで、
踏んだことに対して、明るい時より、ぎゃーイヤだ!って感じないでいます。
(ヨーガは、この世界に対する無知という暗闇を照らしてくれる智恵の光です。)


エネルギーの流れ、循環、ここではそれを感じやすい、理解しやすいです。
輪廻転生であったり、カルマの法則(自業自得)とも呼ばれる世界のエネルギーの動き、流れによって、
この世界が平等、神様(自然)は皆に平等だと感じていることについての説明がつき納得ができる。

という理由で、
私はカルマ論の信者(宗教団体に入信しているのでなく信じる者って意味で。
ヒンドゥー教徒になる気もないし、日本人にはなれないし)です。
「産まれた者は死ぬし、死ぬ者はまた産まれる」
生と死というエネルギーの循環、輪廻転生と名前をつけられたもの。
結果と原因の因果。
マインド、心の動きも同じく。
テンションは上がると必ず下がる。これもこの生死と同じ二つのエネルギー。
その振り幅も勿論相応に。
(ヨガは、上がり過ぎず下がり過ぎないバランスの良いところ、中庸、中道を
身体と心で体感(意識)し、それを日常化(無意識化)してゆけます。)

このところは、ヨガの体操をしながらも、もちろん悪い副作用はないものの
身体を使ってちょっと心のテンションを上げる作業だよな~結局おだやかな麻薬みたいなもんだな、
という体感でいて、
数時間後なり1日後に心地良さの消えて行く感覚を眺めています。
インド、特にこの場所で勉強し身につけたいと感じていること。
この変わりゆくものに一喜一憂する人生はもうやめて、
変わらないものを常にハートで感じ続けたい、息をしている間は。

しかしながら、おだやかなマリファナであるヨガはやはり良薬のようで、
ちょっと頭痛がするな、、冷えたな、、という時にショートカットの1時間でも行うと
すっきりするからやめられない。
穏やかな、自分で生み出せるマリファナって感じ。
(日本は大麻=悪って概念が植付けられているけれど、そもそも地球に自生しているものだから
使い方や量を間違えなければ、良い効果を得られるとい説は否定できないように思う。
使用経験ないから知らないけど、
効果がありすぎるため、薬が売れなくなるって製薬会社が政府と癒着してての陰謀説はよく聞く話。)


余談さておき、
これを日常でどういかしているか、と言いますと、、、
全てのことがエネルギーの循環で、その循環の仕方は宇宙の平等性にのっとっているならば、
例えば。
あらぬビジネスでやけに稼いで贅沢している輩がいるとします。
しかもケチときたらどうよ。
貧乏な私は悔しい!なんであんな嘘っぱちのインチキで儲けてるやつが良い思いして!!
(おまけにケチ!)
と未熟な私の心は動くわけですね。

しかしながら、
私が心を動かさなくても、どこかの時点で、それの結果エネルギーが働くわけです。
そのこすっぱいやつが、人を騙しているとしたら、騙すのと同質のエネルギーを得るわけです。
発生してしまったエネルギーが勝手に消えてっちゃうことはない。

で、
カルマ信者の私としては、恐ろしいのは、肉体が死んだ後でもこのエネルギーは残っていて、
そのこすっぱい奴の肉体は消えとて、そやつの魂がまた産まれたときに、
その「騙して金を稼いだ」というエネルギーに相応の結果エネルギーがどっかで浮上くること。
この結果が単純な、
「騙したから騙される」というエネルギー循環とはどうにも感じられなくて。
次に産まれた時点で、肉体から何かが引き算されていたり、
病気というオプションが付着しちゃったりなどし、
エネルギーとして顕在することも有り得るように感じています。
こわい、こわいわ、、 
(もちろん歳老いてからの難病とか、若いときの苦労とか、犯罪に巻き込まれるなども有り得る気がしてる)
私は死ぬことより、今は若いからか、どっちかというと健康を失う方に恐怖を感じます。
息をしているあいだは、健康で溌剌としていたい。
人間という肉体に産まれるとも限らないし、インドで殴られてる犬に産まれるっていうのもありうるしなー

インドの牛はいいですよ、好きに生きてる。
いつしか世界がこのようにうつるようになってから、
例え自分が騙されても、
そういうことはできないって思うようになりました。
そして別に悔しがる必要はないなって。
悔しいってエネルギーを生んだら、私はその「悔しい」の結果を受けとることになるわけですもん。
宇宙が勝手にエネルギーの循環を、何ら個人的感情もなく法則にのっとって淡々と行ってくれるだけ。
文字にするとすごくわかりにくくて複雑な話だな~と書いていて思いますが、
比較的心おだやかに暮らせるようになったような気がします。
これは私にはすごく良いです。
心の平穏、トッププライオリティ。

日常的に、外人からお金を得ようとしているインド人からは、多く請求されていて、
初めて来た時は本当に腹が立ったし嫌な気持ちになったものですが、
神様が、不必要分を引き算してくれたんだな、と感じるようになりました。
物乞いの人たちは、この騙しとった金を持っているインド人からもらってくれっインド人同士なら
相場もわかるだろうよって感じで快く騙されようってな感じですかねー
(払えない額はどこをどうひねっても払えないんで、断りますけどね。)
インドを楽しく旅するコツはケチり過ぎないこと!
お金あるのに、すごく節約している人が、遠距離のタクシー代を倍額払わされていたりするの見かけます。
1円2円をケチって、1万円以上騙し取られてるって、ねぇ、、皮肉な話です。
これまでの節約が水の泡、さらに後から相場を聞いて腹が立つっつう無駄なエネルギーの算出(^^;

お金も単に循環しているだけのエネルギー。
10年ちかく前にサイキックな知人が、
「お金も単なるエネルギーだからねー」と言っていたことがぜーんぜん理解できなかったけれど、
このところわかってきた気がします。
こんな風に、あの人たちは世界を見ていた、こんな世界を生きていたのだなぁ、、と。
私が目標とするあの人たちは、今どんな世界を見て生きているんだろう。
私も彼らと同じ世界を見たい、とやはり思います。
インドのこの場所に来ると、そう望む魂の声が強く聞こえます。
(日本では目の前の小さなことに気をとられて、人生の目的を忘れそうになって
きぃっ!てなることしばしですけど、、、)

裏表なく天真爛漫にのびのびと生きたい!とここに着いたとき思いました。
そのための瞑想やヨガであり、
小難しいことを勉強することにもはや楽しさを見出ださない、
それでヨガの目的と言われるヴェーダンタや何か哲学や宗教を学ぶことにすっかり興味を失いました。


アルナチャラ、この聖なる山、
不幸を破壊する神、シヴァの化身の声を伝えてくれた聖者ラマナマハルシは言います。
すべての知識を捨てたときに、あなたの欲しい自由はすべて手に入る、
否、すべて手にしていた、とあなたは知ることになるだろう、と。



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