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2010年7月28日水曜日

process is purpose


別れが淋しくなくなってしまいました。
まさか、こんな日が来るとは。
 
ヨガの先生たちが、淋しいとか悲しいにとらわれなくなるよって言っているのを聞いて
なんかそれかっこよくな~い?ってマネをして、とりあえず「 別れも必然 」なんて
一生懸命マネっこして言ってみていたあの頃が愛おしく思えますw
   
言ってみながら、私は本当は淋しかった。
どの別れも、ずーっと去っていく人たちの背中を見つめて、
いつ自分が自分の方角へ歩いていったらいいのかそのタイミングがわからなくて
自分だけが置いてけぼりのようで淋しかった。
映画を見終わったあとも、いつもそんな感じがありましたね。
その世界に引き込んでおいて私だけ置いてかないで~って感覚。  
 
淋しくなくなったのは、たぶん、ヨガをすることで
目的のために何かをする今の連続という毎日ではなく、
その今の連続そのものが目的で過程だと感じられるようになったからだと思います。
(まさかこの宇宙全体が心が作るバイブレーション=mayaだと感じてはいないと思うんだけれど・・)
別れも出会いも特別でなく、自然のひとつ。
  
これまで目的のために何かをやってきました。
特に、友だちや仲間が欲しいという欲求は大きかった。
仲間と楽しそうな人たちが羨ましくてしょうがなかったです。
今だから認められるけれど、
自分というものが何かを知らなかったから、誰かに存在を取り扱ってもらうことで
自分を確認したかったのかなぁ。
  
自分への期待というのも大きかったのでしょう。
その頃、毎日ミクシィに日記書いていて。自己顕示欲暴走 笑
 もちろんその欲求が満たされることなく、他で埋めようともがいた結果、
心身のバランスをおかしくして、あっちの世界にいっちゃいそうな恐怖に溺れたときは
自分の存在を消したくて、でも消えない事実に怯えまくっていたんですけどね。
なんて勝手な 笑   
   
ヨガを手がかりに他人じゃなく自分と向き合おうと続けていたら
いつの間にか、何かを絶対にしたいっていう欲求や仲間が欲しいとか、
誰かと繋がっていなくちゃという思いが消えました。
そうこうしているうちに、縁があって繋がれる人たちができていたみたいです。
目的への激しい執着は持たないほうがいいっていう、社会的評価とは真逆の考えでしょうか。
  
 
で、何が言いたかったかって、こないだ差し入れでいただいた
↑ 「豆たん」っていうお菓子が美味しくて可愛くて!!
 
こんな気が利いたお土産をもっていけるようなステキな人になっていけるよう
精進していきたいです!
お土産を冷蔵庫に入れっぱなで忘れてる場合じゃな~い!
  
 
 
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まとまりないまとめ。。個人のブログだからOKってことで。。。
 
 

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