2009年7月27日月曜日
魂が泣く
精進弁当です。
2年前に玄米菜食にはまったときに、図書館で借りた精進料理のメニュー☆
豆腐の照り焼き。 甘っ辛くて美味。
今、スタジオサイトのリニューアルに奔走していて、
(私の頭の中でだけ。yogaでno goodなパターン 笑 ギーターのaction in inaction状態です。)
スタッフやスタジオの写真を撮ってくださる方を探していて
愛する友人が、相変わらずセンスの良い情報をくれました。
その方の写真、前から別のサイトで見たことがあって、理由はわからないけど泣きました。
そのときベストコンディションじゃなかったからpassionの涙だと思っていたけれど、
あらためて、写真を見てまた泣きました。
過去に蒔いた種からまた芽を出し繋がりました。
意味を説明できない涙は、魂の声なのだと思って、この声に従うことにしています。
あと、突然やってくる、ぞわぞわって鳥肌とかも。
アビヤンガ(アーユルヴェーダのオイルマッサージ)をしてもらうときは、
鳥肌が立ってる感覚すらなく、すごい出てる(らしい)から、よほど魂が極楽なのでしょう♪
昨日からっていうか、ずっとなのですが、昨日改めて思ったこと。
言葉に意味がないんじゃないかなということ。
大事なことを、喋れば喋るほど、それがマヤMAYA(cosmic illusionって教わりました)
になってしまう感じがして、なんだか空虚な気がします。
sakaeちゃんとも、インスピレーションがすべてだよねってよく話すことと同じ感じです。
なんらかのこだわりだとか、存在の意味だとかはなくて、実はなにもなくて、
ヨガをやっているということさえ、ヨガを教えるということさえ、最近は大きな意義も執着もなくて、
いつでもやめていいなぁと思っています。
自分にとって、困難なことなので、生徒としての立場と違う成長がやってきているのは事実ですが 笑
たまに「 ヨガ以外に何か興味があることはないんですか? 」って質問をされるけれど、
( このときはきちんと社会人として、目に見えるわかりやすい形でお答えをします。 )
なにも、ヨガさえもなく、目に見えてやっていることに大きな意味はないっていうのが
当てはまる気がします。
シヴァナンダヨガをしているのも、いつでも変わっていいと思います。
ただ今は魂がこうして泣くから、そうあり、グルのエネルギーを伝えているだけです。
マントラを唱えなくてもいいと心と脳は言います。 ただ魂が喜びます。
マラを毎日身につけるのも、今の私のストレスを感じやすい弱い肉体をポジティブに保つためです。
食べるものにもこだわりがなくなりました。
コンビニ弁当でぜんぜん平気っていうヨギーを見ると本当に羨ましくてたまらないです。
自宅で肉を買わないのは、まな板が汚れるのが嫌なのと、
肌が弱くてお肉を触りすぎると手が荒れるのと、節約のため。
さいきんは美味しく感じないからっていうのもあって、
ただでさえ太りやすいんだから、美味しく感じないものまで食べてなるものか!という感じで。
昨日、シヴァナンダさんの言葉、
Serve, Love, Give, Purify, Meditate, Realize,
(Be Good, Do Good, Be Kind, Be Compassionate, Adjust, Adapt, Accommodate)
をスタッフの前で喋っていて涙が出そうになって声が震えました。
気合を ぬんっ!と、入れたので落ちませんでしたが、あーこの感覚がすべてなんだなぁと
しらっと喋りながら、しみじみとしている自分がいたのでした。
ザ・自己満足☆って感じ?
team sivanandaのメンバーより、
昨日はマヤ暦の暦の移り変わりの日で、新月の日食と重なった大きな変動の時期、
この日をどう過ごすかでこの先が変わってくるらしいよ、とのメッセージとともに、
サットサングを一人でがんばった私の行く末は明るいとの予言もらいました 笑
それから、たっぷりと愛し敬うことのできる頭の良い方と人生を共にする、との予言も
とあるヨーギーからいただきました 笑
根拠はよくわからんけど良いこと言われてhappy day☆
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿