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2010年3月13日土曜日

幸福論



またまた元気くんの本読みました。
もう恋しそう、そんな好感を彼に覚えます。
むかしヨガの先生に「 どんな人が好み? 」って聞いたとき
『 生命力の強い人 』という返答に共感できずにいましたが今ならできる。
そして彼が思い浮かぶって感じです。 
  ・・・ ところどころのギャグでポカンとしちゃうから笑いの好みが違うみたいやけど 笑

内容は四国八十八ヶ所をお遍路さんしたときの記録です。
印象的だった箇所を防備録for me

 
       ◇
  
よく、悩んでいる時間がいちばんのロスタイムだと言われているが、ドッグイヤーと呼ばれるこの時代にあって、一歩踏み出す勇気がなくて躊躇している人が多いのかもしれない。後悔というのは、自分のやったことにするのではなく、自分のやらなかったことに対してする方が多いと思う。
 為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり。

  
       ◇

ある本に「普通」と「自然」は違うということが書かれていた。
僕も「普通」でなく「自然」でいようと心がけている。本来、人間にはそれぞれの持ち味というものが必ずある。それは最大限に尊重するべきだと思っているし、みんなが各々、自分の絵に好きな色を塗ってもいいのだと思う。
みんなが「普通」という同じ色に染まるのではなくて、それぞれが好きな色を塗って、好きな絵を描いて、それを合わせると一枚の大きな絵が出来上がる。それはパズルと一緒で、部分が全体であり、全体が部分でもある。
 
 「自然」に生きれば、それが「独創性」につながる


       ◇
 
他人を変えようとするのではなく、まず自分を変える
世界や他人を変えたがる人が多いが、自分を変えたがる人は少ない。結局、幸せのために職場や恋人を変えても、自分自身が変わらなければ、どこに就職しようと誰とつき合おうと一時的な幸せ以外、何も変わらない
 
 真実は、自分が変われば世界が変わる
 
その安らぎを感じられれば、自分自身はもちろん、周りにいる人だって幸せな気持ちになれる。
安らぎは自分の中にこそ見つかるものであるし、「青い鳥」も「悟り」も外側にはなく自分自身の内側にあるのだろう
だから、この旅を通じて自分の内に入り、自分の直感と対話をしてみようと試みた。
 
 
       ◇
 
「言霊」という言葉があるように、言葉には力があり、言葉というのはエネルギー体である。そして、アインシュタインの物理法則である、 E=mc2 (エネルギー=物質×光の速さの二乗) という公式を考えると、エネルギーと物質はイコールの関係にあるし、言葉がエネルギー体であるならば、言葉を声にして出すことで、それが物質化するのではないか。
 
そのため、日ごろから僕は、ネガティブなことは口にしないように心がけている。
ネガティブな言葉は、自分だけでなく、それを聞かされる周りの人もイヤな気持ちにさせてしまうものだ。
 
ピンチや逆境を嘆いて、悲嘆にくれてもその状況は変わらない。いや、むしろますます悪くなっていくことだろう。
それよりも、前向きな姿勢を自ら作り出すべく、ポジティブな言葉を意識的に発し続ける。それはとても大切なことではないだろうか?
エジソンや本田宗一郎も「今の成功は過去の失敗によって出来たもの」と言っている。
経験したものをどう意味づけるかによってすべてが変わってくるのではないか。
 
 
       ◇
 
周囲の騒音が消えた時、そこに聞こえてくるのは小さなささやき声ではないか。それは人によって神の声なのかもしれない。
それは自分自身の直感の声。
アインシュタインの言葉に「 知性ではなく、直感が人生の扉を開く 」というものがある。
頭で考えたことだと、どうしてもそこにいろいろな思惑が入って、ピュアなものではなくなってしまう。それよりも、自分の直感をもっと大切に生きてみてもいいのではないだろうか?
きっと、ゴッホやピカソも、絵筆を握っている時は頭で描いているのではなく、直感、インスピレーションが絵筆を動かしていたのだと思う。
東京にいては、なかなかノイズのない世界に身を置くことは難しいかもしれないが、もう少し静けさと向き合う時間を大切にしよう。
 
 
      ◇
 
『竜馬がゆく』で描かれている坂本竜馬は、その思考も行動も、人との接し方も、すべてが実に軽やかである。
内面と外面は反比例する。
これは、自分の内面に自信があれば、あえて自分を大きく見せようとする必要はなく、着飾る必要がなく軽やかである。逆に、内面に自信がない人は自分を大きく見せようとして威張ったり名刺の裏にたくさんの肩書きを書いたりする傾向が強い。
 
自分に自信があって、自分の強さを信じることが出来る人は、あえて闘う必要もない。そして、そういう人こそ最強の人なのだろう。
 
 
      ◇
 
人生、たまたまなど何もないのだ。
 
 
      ◇
 
物でもお金でも、あるいはチャンスでも、もし自分に何かほしいものがあったら、まずはそれを人に与えることから始めたらいいだろう。
人に与えることを惜しまない
それは結局自分に施すことにつながる。なぜならすべては一つだから。
 
 
      ◇
 
自分が何を楽しいと思うか。
今、何をすることが一番ワクワクするか。
それを基準に仕事も日常も生きることが、人生うまくいくコツでもあるのだろう。
 
自分が楽しまなければほかの人を楽しませることはできない。これは恋愛でも同じことが言える。
結局、大事なことほど自分が楽しむことを意識すればうまくいくのである。
 
 
      ◇ 
 
「食」という字は「人を良くする」と書くだけあって、おいしいものをきちんと食べることは人間にとって本当に大切なことだと思う。
といっても「たんぱく質」とか「炭水化物」とか、そういう栄養素のことではなくて、しっかりと太陽の光を浴びて、大地の恵みを受けたものをきちんと口にすることが大切なのだろう。
 
ベジタリアンのほうが質のいい瞑想ができると以前聞いたことがあるけれど、これもこうしたことと関係があるのだと思う。
 
 
      ◇
 
僕は最近、頭は「秘書」のようなもので、自分の直感こそが、「社長」であり、すべての決定機関だということに気づいた。
そして改めて、自分の直観と向き合いたかったのである。つまりは、自己との対話をしたかった。
物事を決断する時には、“損得=頭”ではなく“感情=直観”を優先する。
「これをやれば後で得をする」という考えではなくて、「気持ちいいからこれをやる」という直観を大切にしたい。
 
 
      ◇
 
― シンプルであること。
 
どんな文明でもデザインでも高度化すればするほどシンプルになっていくのではないかと思う。
今の世の中のように、政治にしても法律にしてもより複雑化していく社会というのは、逆にその文明の退化を表しているのではないだろうか。
複雑になりすぎることによって、どんどん本質から離れてしまっているような気がする。よりシンプルであることこそ、より人間らしく生きるコツなのではないだろうか。
  
人生何を手に入れるかではなく何を手放すか。
 
ここが人生の皮肉である。手放し、執着しなくなればなるほど逆にそれをふんだんに手に入れることができる。 
 
 
      ◇
 
アランの『幸福論』にこういう一節がある。
 
「成功しているから満足しているのではなく、満足していたから成功したのだ」
これは「成功」を「幸福」に置き換えても同じことが言える。
 
「幸福だから楽しいのではなく、楽しんでいるから幸福なのだ」
つまり、経験が在り方を生むのではなく、在り方が経験を生むのである。
 
 
      ◇
 
今この瞬間を生きる
人は過去も未来も生きることができず、リアリティーとは、この瞬間だけである。
過去は変えられないけれども、そのとらえ方はいくらでも変えることが出来る。そのとらえ方によって、過去の経験が豊かなものにも辛いものにも変わる。
そして、今が幸せであれば、未来もまた幸せになる
だからこそ、今、この瞬間を幸せに生きる
 
 
      ◇ 
 
 
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お遍路さんに憧れる。根性ないけん無理かなぁ・・・
 

 

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