2009年9月22日火曜日
おくりびと
昨夜、テレビで見ました、おくりびと。
「 死は誰もが通過する門のようなもの 」という台詞にヨガだなぁと感じました。
つまり、死の先に続きがあるってことでしょう?
こうやって形になって大反響を呼んだものに関しては、深くしみじみ感じ入るが、
輪廻転生などと軽々口にすると、怪しい目で見る人もいるので、
人ってMAYA(cosmic illusion)=目に見える形になっているものに惑わされやすいんだなぁ~と思います。
でもこうして真実も存在しているので、世の中を観察し、自分で見極めていくことが大切だと思います。
生も死もその先も、ヨガでは全てがreal
この考えを聞いたとき、否定もなしにすんなり入ってきました。
というのも、一番ひどい精神状態のときに、「死ぬ」では足りない、とずっと感じていたからです。
「 もっと根幹から、自分を消さないと、この大きな力からは逃れられない 」 と思っていたから
どんなに苦しくても死という選択肢はありえませんでした。
周りは私が死んじゃうのではないか、とかなり心配していた様子ですけど。
あの頃は、どうやったらこの大きな力から見られない場所に行けるか、そのことばかり考えていました。
たぶん、当時、恐れていた大きな力っていうのは、いわゆる運命であったり
宇宙の廻り合わせ、そして深いところにいる「自分自身」なのだと思うけれど、
ヨガのおかげで、自分が最良の友に、宇宙の流れが味方になったような感じで、
どこにいても安全だし平和だな~と思います。
( こういう話を聞くと同情してくれる優しい方も多いですが、
今の私はとても幸せなので過去はただ過去なだけです。そういう日もあった、それだけです。 )
これは感じているヨギーが多いみたいだけれど、「痛み」というものには執着が減ったみたいで、
痛いは痛いんだけど、感情的にならない=自分は痛みと無関係、みたいな感覚もやってきました。
ヨガのとき、よく足がつるのだけれど、痛いね、でも治るからね、さっやるよ、
みたいな。
ただし歯に関しては不可逆だよって歯医者の先生に教えてもらって、
抜いたらもう生えてこないし虫歯が勝手に治るってことはないから
歯ブラシに命かけるようになりました 笑
お風呂入らなくても歯は磨く執念 w
私の矯正歯科の先生は予防歯科の先生なので、健康な歯のために良い話をたくさん聞かせてくれて
生きるうえでの知恵になります。
しかし愛する人の死、自分自身の死を前にして冷静=感情の無関係 でいれるか不明。。。
それとこれとは話が別なのよって超勝手なところなので、
こういうヨガの深いところはまだ人に伝えられるレベルではないっす 笑
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿