2009年8月26日水曜日
∞ 丸と丸と線と線と ∞
愛するLakshmiがこんなステキおもろな作戦を教えてくれました ↑ ↑
ってももう秋やけどw
いや、また暑い日ある。打ち水しよう。
なんというか、自然と生き方に共感をできる相手とか
理由はわからんけども、なんか良いっていう人が皆それぞれいると思うんです。
Lakshmiもそのひとり。 会うと、まるで自分を見ている気になるのです。
ゆるりんヨーガ部の部長さんとの集まりのときに、よくこの話になりますが。
その部長とパートナーさんを見ても、それがとてもわかる感じでした。
なんか良い。 なんか好き。 なんか・・・・な気がする。
この 「 な ん か 」 こそが全てなんじゃない?って教えてもらっています。
考えすぎな私にとって、最初聞いたとき目から鱗な意見やったけど、
この「 ナンカ 」って感を信じること、それが自分を信じることなんやな~と、
しっくり少しずつ馴染んできています。
and それを素直に受け入れる力をyogaがくれるのです。
それで、部長がいつかの宴の席で、
「 人と人は一緒にいるときは、宇宙のなかのただ円と円が重なっているだけで
それが重ならないときに一緒にいないだけ 」
と言ったことが印象に残っていて(一緒にいるっていうのは肉体だけでなく心も)
「 ナンカ 」と共通している感じ。
こないだ、とあるヨギーとお話をしていて、
その人と私のサークルは永遠に重ならなくて、ずーっと平行線なんやろうなぁと思いました。
隣り合わせで似ていて、その人のことよくわかるんだけれど、重ならないの。
最初、がんばってがんばって、そのサークルに合わせようとしていたら、
胸騒ぎがして辛くなっていることに気づきました。
ああ、もうこれは私の我(エゴ)がどうこう出来るものじゃないものなんだなぁと。
でも肉体が離れても、ずーっと近くに感じていく気がしています。
もちろん今後お互いが変わればサークルは重なるかもしれない、
それが自分で変える運命ってやつじゃないかしら♪
ヨガの先生たちが、ある程度、色んなことに割り切りができるようになるって
言っていたのは、おそらく、
サークルの重なりが見えなくなったとき、他者のサークルに執着しなくなるってことなのかなと思います。
またまた某先生から引用すると ( たびたび失礼します )
「 yogaの楽しさは、人と一緒に行っていても完全にプライベートな体験ができること。
その、それぞれの超個人的体験が、大きな宇宙でつながっているのがまた楽しい。 」
こういう個人的体験(サークル)が、宇宙の中にたくさんあって
それが重なるときに一緒に体験する、重ならなくとも確かに存在していて・・・・って
書いているうちに、わけわからんくなってきたよこれ、、、
・ ・ ・ とにかく! yogaって、生きるって「そういうこと」なんだな~と思いました。
みんな同じ土俵(宇宙)にいる、ただのサークル。
誰かが、何かが、優っているとか劣っているとかなくって、フラットなところにフワフワ浮かぶ球体。
そう感じるようになってから、難しい~!!無理!!と思っていた
新聞に載っている政治や経済のことがスイスイ頭の中に入ってくるようになったから、
今まで自分で世界をややこし~くしていたんだ、と改めて思いました。。。
部長のパートナーさんみたいに、
「 仕事も遊びも全部一緒。
どこまで仕事とかどこまで遊びかとか線引きはなく全部が遊び 」
とは、まだなれないですけど、ね☆
出会いも別れもすべては宇宙の意のままに。
でもそれは「本当の自分」の意ってことなのでしょう。
むーん、ふだん感じていることを文字にすると長くなりすぎちゃいます。。
感じるって、心って、無限大ですね~☆
JAYA ∞ JAYA
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